雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今ま…

雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今まで歩きながら撮り溜めた写真など、街道歩きの軌跡を記録として整理したく、このページを立ち上げました。 古いものから時系列に紹介していますので、内容が最新ではないこと、ご容赦下さい。

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

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    • 雑司が谷散人の街道遊歩 0597

      東海道 28日目-17 2018.12.5東海道旧道左手には、竹鼻の地名がある。 天智天皇陵造営の際、その陵守として置かれた家のひとつが、竹鼻氏という。 旧三条通りこと東海道旧道左手に、五条別れの道標。 西日本では脇街道の分岐点を「別れ」と呼ぶことが多いが、ここは三条通りの東海道から清水、五条方面への道が分かれる場所。 徳林庵前で見た道標と同じく、沢村道範によるもの。 東西本願寺や今熊野、清水などへの道を示す。 旧三条通りこと東海道旧道は、御陵地区に入る。 御陵とは天智天

      • 雑司が谷散人の街道遊歩 0596

        東海道 28日目-16 2018.12.5四ノ宮川を渡ると、右手に見える六角堂は徳林庵。 ここにある山科地蔵は、小野篁による六体の地蔵のひとつ。 後に後白河天皇が6ヶ所の街道筋に分置したもので、山科地蔵は東海道の守護仏。 徳林庵前に、独特の書体で文字が刻まれた道標。 沢村道範による道標で、「南無地蔵尊」「伏見六ぢざう」とある。 沢村道範の道標は、この先の五条別れにもある。 東海道旧道右手の大きな鳥居は、諸羽神社の参道入口。 貞觀4年に清和天皇の命で造営された古社。 山科盆

        • 雑司が谷散人の街道遊歩 0595

          東海道 28日目-15 2018.12.5京街道との追分のある髭茶屋の地名は、かつてここに髭を蓄えた親爺の茶屋があったということか。 大津市の髭茶屋町は旧町名となってしまったようだが、京都市山科区側には髭茶屋桃燈町、髭茶屋屋敷町などの町名が今もある。 東海道旧道右手に閑栖寺。 門前に置かれた石は、京都を中心に各街道に敷かれたという車石。 牛車の車輪が通る溝があり、今はそれが街道沿いの民家の庭石などにも転用されているようだ。 国道1号を歩道橋で渡り、大津市最西端となる横木の

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        雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

          雑司が谷散人の街道遊歩 0594

          東海道 28日目-14 2018.12.5大津の市街地から東海道沿いの至る所に掲示されていた大津百町の旧町名。 逢坂山を越えると大津百町もあと僅か。 上火打町、下火打町は火打権現に因む町名という。 逢坂越えを抜け、山科盆地へ下りてきた国道1号。 東京日本橋から488キロ地点。 この先の藤尾交番前から旧道が左へ分かれる。 藤尾交番前から追分の旧道に入る東海道。 大津市と京都市の境界があるということは、滋賀県と京都府の境界。 この先の髭茶屋追分までは、旧道の左側が京都市、右側

          雑司が谷散人の街道遊歩 0594

          雑司が谷散人の街道遊歩 0593

          東海道 0593 28日目-13 2018.12.5大谷には京阪電車の大谷駅があるが、大正元年に当時の京津電気軌道がここに駅を開くより早く、明治12年に東海道線大谷駅が開業。 大正10年の新逢坂山トンネル開通で大津から京都へのルートが変わり、駅は廃止された。 名水「走井」を使った餅飴の老舗「走井餅本店」は、江戸中期に逢坂大谷で創業。 京阪電車大谷駅前がその跡地。 大谷の旧道から東海道は国道1号へ合流し、山科方面へと下っていく。 左手には月心寺。 名水「走井」で知られた走井

          雑司が谷散人の街道遊歩 0593

          雑司が谷散人の街道遊歩 0592

          東海道 28日目-12 2018.12.5国道1号右手に弘法大師堂。 逢坂関跡まであと少し。 国道1号は逢坂関跡へ。 ここは近江国と山城国の境となっていた関所跡。 但し、近世以降に道が掘り下げられたこともあり、位置は定かでないという。 古来、東海道と東山道が越えた要衝で、不破関、鈴鹿関と並ぶ三関のひとつ。 逢坂関跡を過ぎると、国道1号から右へ旧道が分かれ、京阪電車の踏切を越えて大谷の集落に入る。 大谷といえばうなぎ。 「大谷茶屋」「かねよ」といった老舗が旧道に面して大き

          雑司が谷散人の街道遊歩 0592

          雑司が谷散人の街道遊歩 0591

          東海道 28日目-11 2018.12.5国道161号は京阪電車の踏切を渡ると、右手に安養寺。 ここの観音菩薩像は「立聞観音」と呼ばれ、琵琶法師蝉丸の琵琶の音色を毎晩立聞きしていたという。 東海道はこれより逢坂越えへ。 国道161号右手に、東海道線の旧逢坂山トンネル東口。 明治13年に日本で最初の山岳隧道として完成。 大正10年に現逢坂山トンネルの開通により、その使命を終えた。 東海道線の大津〜京都間のルートが、今とは大きく異なることがよく分かる。 国道161号は国道1号

          雑司が谷散人の街道遊歩 0591

          雑司が谷散人の街道遊歩 0590

          東海道 28日目-10 2018.12.5国道161号から右へ入ると、京阪電車の踏切の先に長安寺。 南北朝時代に廃絶した関寺の跡地といわれる。 長安寺への曲がり角に、小町湯。 長安寺付近にあったとされる関寺に、晩年の小野小町が草庵を結んだと伝わる「関寺小町」からの命名か。 逢坂越えが近づく国道161号。 左右から山肌が迫ると、右手の京阪電車の線路越しに、妙光寺。 国道161号は東海道線を跨ぐ。 右手に見える重厚な煉瓦隧道は、上関寺トンネル。 正しくは京阪電車が東海道線を

          雑司が谷散人の街道遊歩 0590

          雑司が谷散人の街道遊歩 0589

          東海道 28日目-09 2018.12.5札の辻に近づく東海道旧道。 京町1丁目は大津百町の上京町。 上京町の鶴里堂は、大津菓子の老舗。 大津の街を比叡山から見ると、その弓なりの形が翼を広げた鶴の姿に見えるところから、大津を鶴の里と呼んだことに因む。 東海道旧道は京町1丁目交差点へ。 ここは大津宿札の辻の跡地。 ここで東海道は左へ折れ、国道161号に入る。 直進する道筋は小関越えの古代北陸道。 国道は京阪電車が轟々と通過。 大津名物の風景。 札の辻に大津市道路元標。 こ

          雑司が谷散人の街道遊歩 0589

          雑司が谷散人の街道遊歩 0588

          東海道 28日目-08 2018.12.5東海道旧道右手に、和菓子店「餅兵」。 宝暦年間創業の老舗。 京町2丁目。 既に大津宿に入る。 このあたりが宿で最も旅籠の多かった場所。 東海道五十三次の53番目にいよいよ到着。 大津百町では、今の京町は上京町と中京町。 大津百町の中心地。 大津の最も賑わった時期は元禄年間。 町数100、家屋4726件、人口17810人との記録があるという。 大津宿のうち京町の特色は、近郊農村向けの商店街だったこと。 大津の庶民向けの商店街は、

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0587

          東海道 28日目-07 2018.12.5石場地区を進む東海道旧道。 石工が多く住んだ地だろうか。 石場一里塚跡がこのあたり。 東海道に沿って東西に拡がる大津の街並みを、大津百町と呼ぶ。 大津城の城下町、大津宿、そして三井寺の門前町などの集まる一帯で、江戸期には百ヶ町以上の町家があった。 今も大津の市街地には、百町の旧町名があちこちに表示されている。 大津駅に近づく東海道旧道。 左手に滋賀県庁の建物が見える。 昭和14年築。 早稲田大学大隈講堂などの設計で知られる佐藤功一

          雑司が谷散人の街道遊歩 0587

          雑司が谷散人の街道遊歩 0586

          東海道 28日目-06 2018.12.5相模川を渡る東海道旧道。 その先に、石坐神社。 「延喜式」に記される古社。 石坐神社前を過ぎると、東海道旧道は西ノ庄へ。 西ノ庄を進むと、東海道旧道は小さく曲尺手に曲がる。 そこが膳所城北総門跡。 ここで膳所城下を出る東海道旧道。 膳所駅に近づく東海道旧道。 左手に義仲寺。 木曾義仲の死後、巴御前が墓所の近くに草庵を結んだことに始まるという寺。 芭蕉が度々滞在したことで知られる。 石場踏切で京阪電車を渡ると、東海道旧道左手に平

          雑司が谷散人の街道遊歩 0586

          雑司が谷散人の街道遊歩 0585

          東海道 28日目-05 2018.12.5東海道旧道左手に、膳所神社。 秀吉や家康が神器を奉納したという社。 鳥居の後ろの表門は、膳所城大手門を移築したもの。 東海道旧道は本丸町から丸の内町へ。 東海道旧道左手に和田神社。 鳥居の後ろの表門は、膳所藩の藩校だった遵義堂の門を移築したもの。 境内の大イチョウは、関ヶ原で敗れた石田三成が、京へ護送の途中にこの木へ繋がれ、休息をとったと伝えられる。 東海道旧道は木下町へ。 琵琶湖からの目印になった大きな木があったという。 大

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0584

          東海道 28日目-04 2018.12.5東海道旧道は本丸町へ。 膳所城本丸。 膳所の地名のルーツは、天智天皇が都を大津へ移した際、この地を御厨所、すなわち天皇へ出す料理をするところと定めたことによる。 東海道旧道左手に、亀屋廣房。 京都の亀末廣の別家としての歴史を持つ膳所の老舗。 膳所城のあった琵琶湖へ突き出た半島状の地を陪膳(おもの)の崎と呼び、これが詰まって膳崎、膳前となり、膳所に変化したといわれる。 「所」と書いて「せ・ぜ」と読む例を、関東では見たことがない。

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0583

          東海道 28日目-03 2018.12.5若宮八幡宮周辺に、別保の地名がある。 天武天皇の命でこの地に若宮八幡を造営した際、付近の琵琶湖畔での殺生が禁じられ、漁師たちから特別な浦の意で「別浦」と呼ばれたことに因むという。 東海道旧道は京阪電車瓦ヶ浜駅へ。 膳所城は大津城、坂本城と並ぶ琵琶湖の浮城のひとつ。 慶長6年に家康が東海道の押さえとして築かせたもの。 その城下の東海道旧道。 中庄地区を進む東海道旧道。 膳所城下の中心部。 東海道旧道左手に、篠津神社。 表門は膳所城

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