透明人間になりたい
透明人間になりたい
そう一度は思ったことある
なんて人は結構いると思う
かく言う私も今まさに、
『透明人間になれたら』と思うひとりだ
「消えて儚くなりたい」なんてことはなく、
ただ、いっとき存在を消したくなるときが誰だってあるのではないだろうか
そんなとき、透明人間は便利だ透明人間になったからといって傷つかないわけではないけれど
その場にいても、「存在してないように扱われる」という苦痛からは解放される
好きの反対は嫌いではなくて「無関心」なのだと昔聞いたことがある
嫌いと思っているうちはまだ好きなのだと。そして無関心になりたかったら、距離をおくべきだとも。人間、日頃関わらない人間はそのうち忘れてどうでも良くなるらしい。時間が解決してくれる、なんてこともよくきく
ただ人間関係というものは、めんどくさい代物で、どうしたって物理的に距離を置けない人との仲がこじれることだって残念ながらよくある話だ
職場の人、部活の人、家族、おんなじコミュニティ内で何かがあると、距離なんて置きたくても置けない、関わらざるを得ない
私も今まさにそんな感じのひとり
だから「透明人間になりたい」なんてことを思いついてしまった
できれば、相手も透明人間になってくれたら、どんなにいいだろうなんてことも考えてしまう
お互いのコミュニティ内ではお互いの姿が見えない。存在しない。完全なる相互不干渉というわけだ
見えない→存在が認識できない→関わらない(というより物理的に関われない→どうでもよくなる→無関心
そんな都合がいいサイクルを妄想してしまう
まあ、現実的なことを考えると、おんなじ空間にいるはずなのにお互い見えないとしたら、周りの人は混乱するだろうけど
妄想するだけはタダだから
こんなくだらないことを取り留めもなくずっと考えている
いつかこんな日も笑える日が来るといいなあ、なんて諭した風に心の中で思う自分もいてる
「透明人間になりたい」だなんてバカげたことを考えてた日があったなあ
と。そう思える日がくるのを
今は待ち侘びよう
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