April 2020

画像1 2020/04/03 | 「自分は恵まれている」という感覚について考えていた。コロナウイルスによって社会的弱者への支援の滞りが指摘される情勢下において、社会の階層構造を認識せざるをえない毎日だ。短絡的な思考や捉え方に陥ってしまわないように、自分の現状を把握しようとする。学生であり、寝る場所にも食べるものにも授業を受けるのにも、困っていない自分の状況を踏まえた上で、少しでも自分が健康でいるために工夫できることや、少しでも他者と連帯し柔軟に変化するためにできるわずかなことを探す。
画像2 2020/04/08 | 自分が納得するために使う言葉と、他者に伝えるための言葉は全く違う姿をしていると思う。考えたことが0~10あったら、私は全てを自分の言葉で解放したくなり、しばしばそれが攻撃的・暴力的であると自分自身でも感じられることがある。要は相手の都合を考えずに、ひたすら忍耐を強いているのではないかという懸念を抱くことがあるのだ。就活がなかなか進まない私にとっては、アジェンダという横文字がどうも自分のものとして馴染まないような気もした。
画像3 2020/04/11 | 考えすぎなのかもしれない、と感じた時は自分の情動を解放できるようにクレヨンを使う。小学校からずっと使っているのになくならないクレヨンの色数に物足りなさを感じながら、幼稚園児の頃はもっと太いクレヨンを使って消耗がもっと早かったような気がしたことを思い出した。
画像4 2020/04/24 | 友人や家族と連日電話をして疲れていたのか、日にちが空いてしまった。月に一度の心療内科は15分程度のカウンセリングだが、久しぶりに涙が出て自分が今抱えている本質的な問題と向き合うこととなった。夕方の帰りの電車は一つの車両に私を含め2人しか乗っていなかったが、読んでいる途中のル・グウィンのエッセイをパラパラとめくったり、スマホに今日のカウンセリングの内容を記録したりして、そこに自分の空間が生まれて心地よかった。夜行列車とか今度乗ってみると気にいるかもしれない。
画像5 2020/04/25 | この日も2人の友人と電話をした。私は人との会話・対話に自分にとって有意義なものを見出したいと期待する。そうすることで相手に負担を強いているのではないかと不安になることもしばしばある。しかしながら、その人の表層を形成する楽しさや面白さだけではなく、もっと根源的な「何か」があるのではないか、あるならそれを知りたいという探究心を捨てたり削ったりすることが惜しくて仕方ない。だから話を一緒にしてくれる人には、ほんとうに感謝したい。
画像6 2020/04/26 | 月曜日と雨に対する嫌悪を和らげる
画像7 2020/04/27 | オンラインでのやり取りが増えた。直接人と関わるときとはまた違うコミュニケーションになって、慣れるまでに時間かかる。
画像8 2020/04/29 | ふれられるかな〜
画像9 2020/04/30 | いつかね〜

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