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幸せに必要なのは愛情ではない「愛情への依存」『いやな気分よ、さようなら』第十二章

 十二章です。

 ここ何章かで扱ってきた「暗黙の仮定」には、「異性に愛されない限り本当に幸せにはなれない。」というものもあります。

それなしでは幸せを感じられない態度のことを「依存」といい、今回は愛情依存について話になっていきます。

個人の幸福や満足には、必ずしも愛情が必要なわけではない。

今回のポイントは、これです。それでは始めていきましょう。

愛情の依存者であることの欠点について

 愛されることは絶対に必要なこと、あるいは好ましいことなのでしょうか。

 本には一人の女性の例が出ています。彼女は愛情依存で「男性のいない自分など生きていても仕方ない」と考えていました。バーンズは彼女にもそう考える長所と短所をあげさせました。

彼女が考える長所は、

安心感が持てる
人生の生きる目的と理由が生まれる
求めているものを与えてくれる

という三点に対し、短所は

こういう考え方をすると気分が落ち込む
やらなければいけないことができず外出の機会も失う
気分に張りがなくなる
自分を哀れんでしまう
自尊心や地震がなくなり他人を妬ましく思う
自己破壊的な感情から一人でいることが怖くなる

 これほどまでに多かったのです。

 他人に頼りがちで依存的な人間は注目をひきたがり何かやってほしそうにみえるので、威勢の最初の関心を引くことだけでなく、続いて付き合いを保っていくこともとても難しいのです。

 もし自分が本当に自立していたら他人を必要としない人間と見なされて、その結果一人になってしまうのではないかという誤った観念のために、依存的であり続けようとする人もいるかもしれません。これは依存と温かみを同じだと考えているのです。

 自立している人は、一人でいても幸せを感じられます。自分自身を愛する方法を学べば、今よりも人から頼られ、高い自己評価を持ち続けることができるようになります。

 まず自分が自立することを望んでいるのかどうかを見定めることが第一歩なのです。

孤独とただ一人でいることの違いを了解すること

 なるほど、言ってることはわかります。でもそれって現実的なのでしょうか。実際問題一人ぼっちでいれば感情的に劣等感をもつのではないですか?

 こう考える人は多くいると思います。多くは愛がすべて、愛が世界を動かしていると思っています。今回は

愛情を得ることで初めて幸せになれるということに反論してみます。つまり

一人でいること=孤独なこと

という等式をじっくり考えてみましょう。

そもそも事実として、

人生の基本的な満足というのは、たいてい自分自身によって得られる。

というのがあるのではないでしょうか。本を読んだり、おいしいものを食べたりするのに、誰かが一緒にいることが必ずしも必要でしょうか?朝起きて、今日はいい天気だなと感じることに誰かがいるか否かが関係するでしょうか。

 一人で楽しめる娯楽と満足できることを挙げればきりがないんです。

 満足は誰かが一緒にいるか否かが問題なのではありません。自分が満足できるか否かが問題なのです。

そりゃそうかもしれないけど、そんなの一緒にいることと比べたらクズみたいな幸せじゃない?

 そう思いましたか?

 この本には書いてありませんが、泉鏡花の戯曲「海神別荘」には、海の世界の王子である公子のもとに陸の世界から生贄として嫁いだ美女とのこんなやり取りがあります。

美女 嬉しい、嬉しい、嬉しい、貴方。私がこうして活いきていますのを、見せてやりとう存じます。
公子 別に見せる要はありますまい。
美女 でも、人は私が死んだと思っております。
公子 勝手に思わせておいて可いではないか。
美女 ですけれども、ですけれども。
公子 その情愛、とかで、貴女の親に見せたいのか。
美女 ええ、父をはじめ、浦のもの、それから皆みんなに知らせなければ残念です。
公子 (卓子テエブルに胸を凭出だす)帰りたいか、故郷へ。
美女 いいえ、この宮殿、この宝玉、この指環、この酒、この栄華、私は故郷へなぞ帰りたくはないのです。
公子 では、何が知らせたいのです。
美女 だって、貴方、人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。
公子 (色はじめて鬱す)むむ。
美女 (微酔の瞼まぶた花やかに)誰も知らない命は、生命いのちではありません。この宝玉も、この指環も、人が見ないでは、ちっとも価値ねうちがないのです。
公子 それは不可ん。(卓子テエブルを軽く打って立つ)貴女は栄燿が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、自分で満足をせねばならん。人に価値をつけさせて、それに従うべきものじゃない。(近寄る)人は自分で活きれば可い、生命を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。人に与うる時、十倍の光を放つ。ただ、人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる。

 ここにも愛する人といることの幸せについて触れていますが、それが絶対的条件ではなく、自己自分で満足することの副次的なものとして書かれています。美と醜の考え方がまことにプライドが高い感じですが。

 誰かと一緒にいなければ幸せではないという考え方は、それこそが認知の歪みです。

 大切なのは、

自分で自分の面倒を見るという姿勢です。

 誰かがいるかいないかではない、自分の満足は自分で獲得するのです。

喜びを予測する方法

これは「一人ぼっちは呪わしい」という信念をテストするものです。

五章でふれた、満足-予想表を使えば簡単です。

 これを数週間行ったデータを解釈してみてください。もしかしたら一人の方が楽しめたというものがあるのではないでしょうか?

 何かを欲しいと思っていることと、必要としていることの間には違いがあります。酸素は必要ですが愛情は欲求です。

愛情は大人が必要とするものではありません

 愛情は素晴らしいですが、他人からの賞賛や愛情、注目を生きるためや最高レベルの幸せを味わうために必要としても意味がないのです。

 もし愛情がうつ病の特効薬ならば、精神科医がいる必要はありません。バーンズの患者の中で自殺した人の多くは実際に配偶者や子供、家族から心から愛されていたからです。

 行動をもっと創造的にするとともに、一人でいるときに頭に浮かぶマイナスの考えに立ち向かうのです。

 以上十二章でした。

 この問題に対しては、僕自身も感じていたことであり、悩んでいたことでもありました。でも、満足-予想表を何か月かやってみて、満足は恋人がいるか否かはあまり関係がないことに気が付きました。寂しさを埋めたり、自分にないものを求めるために、愛情を必要とするという心理はすごく理解できますが、それは愛情を受け取る本意ではなかったと気が付いたのです。

次回は、仕事があなたの価値を決めると思い込むことに関してのことです。仕事ができるってかっこいい。社会的地位の高い仕事についていると鼻が高い。そうじゃない自分はだめだと思ってる人は是非見てほしいです。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')