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生理痛が重たい私が後悔した話

小学校5年生で生理を迎えてから、ずっと思春期まで生理痛がひどかった。
父子家庭だったこともあり、月に一度くる生理痛がとんでもなく辛かったけど父にには言えずに過ごしていた。
これが平均的な痛みなのか、当たり前なのかもわからないままでした。
そして祖母に「お腹が痛いから薬が欲しい」「ナプキンを買いたい」というと何故か叱られる。「女はお金がかかる!」と。
子供を産むための臓器が仕組まれているのだから仕方ないし、私だって好きで生理になっているわけではない…とは言えずに我慢をしていた思春期。
今思えばこれは、現代で言う「生理の貧困問題」というやつだったなーと思います。

さて、そんな私が今アラサーを迎えているわけなのですが、思春期から現在に至るまで生理に関して様々な変化がありました。

1.学生時代

学生時代は特に生理痛が特に重たい時代でした。
初日から三日目まで量も多く、二日目になれば生理痛の症状が異常でした。
・顔は真っ青
・冷や汗、悪寒が止まらない
・腹痛
・嘔吐(1日最高で3回は吐いてました)
・腰が痛い

生理痛が重たい生徒として保健室に月2回はお世話になっていたのですが、鎮痛剤などはなかったので、ひたすらベッドの上で寝込んでいました。
寝込むにしても真っ白なベッドを血祭りにしないか怯えていたので、あまり休まった気になりませんでした。

また、量がとんでもなく多かった。
部活動やっていたため1日学校にいることを考えれば普通サイズのナプキンを12枚は持っていました。これが1日なのであっという間にナプキンは無くなります。
上記であったように祖母から言われた「金がかかる」と言う呪いの言葉が常に頭の片隅にありました。

そして更に、生理の質にも変化がきます。
親指サイズの塊が出てくることが多くなりました。
これが出てくる時の前触れとして経血の量が減るんです。
まるで出口の蓋をしているように。
そして出てくるとドッと溜まった経血が出てきます。
ですが私は、それも「周りの子も同じようにあるんだろう」と過ごしていました。

2.そして新卒社会人へ

社会人になり、広告代理店へ就職。
後日、記事にしますがそこはとんでもないブラック会社でした。
当時、高卒で新卒入社だった私(19)、真夜中まで残業→朝方に帰宅→3時間ほど仮眠→就業時間までに出社というおかしいサイクルを過ごしていました。
それでも心には「これが社会人ということ!」と社畜であることを純粋に誇りに思っていました。これを世間では洗脳と言います。

もちろん、そういうサイクルを過ごしていれば生理周期も五月雨になります。
量は多かったのですが、だんだん落ち着きを見せて安定してきました。
初日から四日目までは日中夜用のナプキンが当たり前になっただけ。
量が多い方ではあると思うのですが、当時の私にとっては学生時代よりはマシな方だと感じていたし、私の主観で「当たり前」だと認識していました。

そして相変わらず生理痛は重たい。
嘔吐することはなくなっただけで、1日寝込むほど。
こういう話を知人に堂々と話せる性格ではなかったため、相談相手はいませんでした。なのでこれもみんな当たり前にあるんだと思い、病院に行くという選択肢はありませんでした。
今思えば、この時産婦人科に行けば、何か変わっていたのかなと思います。

3.社会人に慣れてきた頃

上記に記載した広告代理店を8年近く勤めましたが、心が病んで退職。
色々職を転々としていく中で、web広告デザイナーへ就職。
広告代理店時代よりもデザイナーの人権(笑)は確保されており、給与もそれなりにあったので、やっとで人らしく生活のサイクルを送れる!と過ごしていましたが、ここでも変化がありました。

4.痛みが現れる

20代の後半に差し掛かり、重たく量が多い生理に対しても悪い慣れがありました。
いつものように過ごしていましたが、ある日、それは変化へと変わります。
排泄をするだけで激痛が。
排泄をしているだけなのに、下からナイフがぐさっと刺さってくるような激痛を感じました。尿意があったのにそれを忘れるぐらいの激痛。
「うぐっ!」とトイレで呻き声をあげるぐらい。
そんな激痛を体験したにも関わらず、入籍間近だった事や仕事の忙しさにより、頭から謎の激痛の件はパッと忘れるのでした。

5.ある日急に生理の量が減る

ある日、量が減りました。
日中は夜用のナプキンは手放せない!というぐらいの量だったのに。
「やったー!過ごしやすくなるじゃん!」と思いましたが、ふと頭によぎったのは「私、今年前厄じゃん」という事。
30近いし、なんだか気になるなという事で近くのクリニックへ。
「ピルもらったら生理のコントロールしやすいって聞くし、パッと行ってもらってくるかー!^^」と軽い気持ちでした。
そう、これがフラグだとは知らずに。。。

6.クリニックへ

近くのクリニックへ行き、問診・診察へ。
問診ではPMSが酷いことや、生理の量、塊の件、激痛の件などお話ししました。
問診してくださる看護師(?)の眉間にシワがより「ちょっと気になりますね、先生にも、より細かい詳細をお話ししてくださいね」とのこと。
私は「はーい」と軽い返事をしエコーを受けました。
先生がエコーで子宮内を確認している最中、頭の中では「さっさと済ませてピル貰いたいなー」ということだけ。とんでもなくアホ野郎です。

ですがここで先生の言葉によって深刻さへと変わりました。

「子宮筋腫、子宮内膜症、チョコレート嚢胞ですね」

7.病気が発覚して

お医者さんの言葉が言っている意味がわからなかったのを覚えています。
事細かく症状について、そして妊娠を希望するか、治療について…などなどたくさん話を聞かせてくれましたが、その時間は私の中は頭が真っ白でした。
家に帰ってから、単語ひとつひとつを調べつくしましたが私が思春期時代に生理が重たかったことなど色々記憶が重なり「あー…症状はずっと前からあったんだ、そうだったんだ…」と数日かけてやっとで事の重大さを痛感しました。
そして「早くクリニックへ行けばよかった」という気持ちが津波のようにドッとくるのでした。


8.最後に

この病気になってからは、周りで「生理痛が重たいんだよね」「おかしいんだよね」と話を聞くたびに病院へ行って欲しいと口酸っぱく言うようになりました。
(時々ある、女子の「私の生理痛きついんだよね」マウンティング)
もしかしたら、注意しすぎてうざがられているかも。
でも、自分自身、自分が思っている以上に歳をとっているんだなと気づかないと思います。
私は軽いノリでクリニックにいきましたが、色々と病状がわかって行って初めて「体ボロボロだなー、思った以上に内臓って若くないんだな」と痛感しました。

今の時代、どんどん便利になっていきます。
様々な市販薬が出てきて手軽に購入できますが、それはひとときの痛みを凌ぐものにすぎません。
どうか身近で生理痛について悩んでいる方がいたら「ちょっと病院へ行ってみては?」と声をかけてみてください。
私の実体験を基にした記事でした。

こちらの記事は個人の経験なので全てを正として感じないようにお願いします。


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