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存在の不透明さに死にたくなる

私はずっと「いない」のに「いた」── いくらでも周りの空気に同化できたし、同化することに居心地の良ささえ感じていたのに、私はちゃんとここに存在してしまっていて、いくら同化できても、それにはなれなかった。


記憶に残っている初めての出来事といえば、スーパーマーケットの入り口で、じっとしゃがみこんでいたあの日のこと。

太陽はまだ上の方にあって、羽織もいらない暖かい日だった。私は、入り口のグレーのマットを行き交う蟻の列を眺めたり、店内にくり返し流れる音楽を聞いていたりして、ただぼうっとそこに「いた」。
暑くはなかったけど、喉は乾いていた気がする。ベリー(うちのかわいい犬)はどうしてるかなとか、ごはんはもらっているかなとか、ベリーのことを考えるとちょっと不安だった。

悲しくはなかった。ママが発狂して、私を置き去りにするのはお決まりの流れだったし、いずれ迎えに来ることもわかっていたから。

そうして日が暮れてきた頃、ママは迎えにきた。顔を腫らすくらい泣きじゃくって、私を見つけるとぎゅうと抱きしめて、「ごめんね、ごめんね」何度もそう言って、頬に熱いチューをくれた。暖かいママの体、柔らかいエプロンの肌触り、とろけるような甘い匂い。どれも安心だけをくれる魔法だったのに、あの日の私はなぜか、何にも感じなかったの。

ママが私を必要としてくれていることに安心して、いつもみたいに泣くことができたら、もっとわかりやすく悲しい子になれたのに、それすらできなくなった私は、「可愛くない」……その言葉を初めて言われた時はショックだったけど、今は安心するんだ。

どれだけ着飾って、どれだけ色んな人に「可愛い」って言われても、鏡を見るたびにどうしようもない中身が顔を出そうと機会を伺っている気がして、私はいつもびくびくしてしまう。背中や、胸元や、靴下の隙間、そういう死角から不意に現れて、「ああ、なんだ」って相手をがっかりさせてしまうんじゃないかって。
だからママの「可愛くない」って言葉で、私の中にあるどろどろしたものが認められている感じがするの。

#創作大賞2024

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