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ブタの青いTシャツ が嫌いだった -「かわいい」を知るまでの自分史-

いくつの頃からだったのか定かではないが、
ピンクで可愛いものが大好きで、
身の回りのものは全部ピンクのものを欲しがっていた時期があった。

プリキュアや
リカちゃんや
シルバニアファミリーや
うさぎのぬいぐるみ
それに限らず机や筆箱、服なども。
柄などはなくていい、無地で濃くないピンクが良い。
ひかえめなピンクはかわいい。
白いレースが付いているともっと良い。

しかし親はよく
「ピンクならなんでもいいんでしょ」と言った。

あるとき親がショッキングピンクの動物がでかでかと描かれたTシャツを買ってきたことがあった。
しかし私はそれを見て露骨に嫌がった。
あるいは憤怒した。なぜか強烈に。

それはブタだった。今思えば愛らしくデフォルメされたピンクのブタだった。あざやかな青いTシャツにそのショッキングピンクはよく映えた。しかし当時の私はそれを良しとはしなかった。青も嫌いだったし、ブタはもっと嫌いだった。

なぜか。
それはまだ幼かった私のコンプレックスを必要以上に刺激した。
当時、自分の姿を鏡や写真を通して見ることは、成長が始まり肉がつき始め、周りの少女と見比べるという概念が現れ始めた頃、これ以上ない屈辱であり嫌がらせだった。
周りの子たちに比べると、私の顔は丸々と肉付き、鼻は低く、髪はごわごわしていて、目も細かったし、歯並びも悪い。
プリキュアが好きで、でもなりたいと思ったことはなかった。思いつかなかった。ただ生まれ変わりたいと思っていた。

ただ絵を描いていた。
自分の思い描く【かわいい】と、実際の自分の容姿が結び付けられないほどかけ離れているのを私は常々感じていた。

ブタだ。
母はこれをかわいいと言った。ネコやうさぎやクマなら良い。でもブタだ。ブタをかわいいと言った。鼻の穴が丸見えの、丸々としたフォルムで耳も目も小さい、色だけは理想的なブタだ。かわいいと言った。母は。

母は愛のある人だと思う。他の家庭をちゃんと見たことはないが、少なくとも悩みには相談に乗ってくれるし、毎日抱擁で迎えてくれるような、そういう母だ。「お前が1番かわいい!」と心から言ってくれる母だ。その母がブタをかわいいと言った。そうか。かわいいのか。母から見ればかわいいのだろうな、と思う。同時にあなたのかわいいというのはこれなのか、とどこか絶望するように思ってしまっていた。そしてそのブタは濃いピンクをしていて、私がもっとも嫌いな色だった。

どうしてもズレが生じる。

私の思うかわいいは(あるいはおもしろい、たのしいも)、両親の許す範囲でしか動けなかった。
しかし、両親の趣向の共通集合は広かった。広かったので、抜け出す気にならなかった。そうしていつしか矯正されていた。こうあるべきと。

その範囲のギリギリで許された[かわいい]が、無地の薄ピンクだった。

濃いのではダメだった。あくまで薄い、
白に近い、パステルのやわらかいピンク。
だがそれは伝わらなかった。

あるとき父が
「どんなにフリルの付いた服を着ていても、
髪が汚ければかわいくない」と言った。
それもそうだ、と思った。

シンプルで清潔であること。

でも私は、だれかに愛されるためではない美しさがとても好きだった。
汚いくらいでよかった。プリキュアが泥だらけになって戦う姿が好きだった。もしくはもののけ姫のサンが好きだった。
布が破れて髪が乱れて顔が汚れてもなお、その隙間から見える、光を失わない目と整った顔立ちが私を強烈に引き寄せた。

またあるとき母が、私の髪をきっちりと三つ編みにしてくれた。ほらかわいい。そう言った。ピアノの発表会だった。

上品で綺麗であること。

でも私は、縦にカールされたツインテールの毛先がぽわぽわと揺れるのが好きだった。もしくは無造作に下ろした髪が自由に風になびくのが好きだった。三つ編みされた髪はロープのように垂れ下がっているように見えた。耐えきれず、結び目を解いた。

ごわごわの髪が広がった。
母は、それ以来私の頭を三つ編みにしなくなった。
手先が器用な母は、よく私の髪を綺麗に結んでいた。そしてそれをよく褒められていた。
私は、母のそういう楽しみを奪ってしまったのかもしれない。


ブタ。ブタのTシャツ。青い布地。
青が嫌いだ。思い出す。良い天気の日は外で遊べと言われる。休み時間くらい休ませてほしいのに。休み時間は絵を描いていたい。私は足が遅い。運動ができない。そのくせ威張っている。見下されることに耐えられない。
それでも絵を描けば純粋に褒められた。そこに蔑みはなく、ただすごいねと、そう言ってもらえた。
自分がかわいくなくても、絵のなかにはある。
全部ある。生きていて良い。

ブタのTシャツはゴミになった。
その前に母が、せっかく買ってきたのにもったいない、最後に1回着てと言った。祖父と一緒に川の中を歩いた。水の気持ちよさよりも、川底の藻のぬめりばかり鮮明に覚えている。
同級生に会いませんようにと願いながら歩いた。
川の水で汚れたブタのTシャツの行方はわからない。

服を選べなくなった。正確には、選んでも「ジジくさい」「こっちの方が似合う」「なんかおかしい」と言われ続けた。実際そうだった。私は服を選ぶセンスはなかった。1人で服屋に入る勇気もなかった。それを、自分の顔が悪いからだと判断した。ほんとうに服を選ぶセンスがなかっただけなのだが。

成長につれ、不思議と体重がみるみる落ちていった。ピークから10kgは落ち、1番肉のあった太腿にはいつの間にかひびのように肉割れが刻まれた。それが新しいコンプレックスになったが、制服でも短パンでも隠れるので問題なかった。そういえばジャージの色もずっと青だった。
むくみが取れることを知って、鼻と目だけはマッサージを欠かさなかった。軟骨が柔らかいうちは鼻を高くできるんだよと友達が言っていた。まぶたが重かっただけでじつは二重だったことがわかった。
歯並びだけは、矯正に莫大な費用がかかることと痛みに弱いことから断念した。


高校生2年のとき、転機があった。
恋人と呼べる存在ができた。
リップなに使ってるの、と聞かれた。何もわからないまま、普通の、と答えた。
リップクリームすらひとつも持っていなかったので、そのあと隠れるようにして入った薬局で1番安いものを買った。
化粧を意識しはじめたのはそのときで、初めて色つきリップクリームを買った時の心臓の音を今でも覚えている。

そのころ、周りの子達は皆化粧をしたり、スカートを折ったりして怒られていた。どうしてだろうと思っていた。今なら理解出来る。かわいいからだ。かわいいは、じつは少し規則を破ったところでやっと手に入れられるものだった。
写真で周りの子と並んでいると私1人だけじゃがいものように見えるのはそういうことか!とひとり納得した。

そして母に言われるのだ。
「化粧しないほうがかわいいわよ!」
「色気づいちゃって〜」
最初はとても嫌だった。が、だんだん慣れてきていた。そして多少は母の思う「かわいい」から外れても、別に怒られはしないのだということに気付いた。

かつて憧れていた泥だらけの美は難しくても、
かわいいは自分の手である程度つくれることを知った。そして私の人生はかなり明度があがったように思う。結局親の言うことは大人になってみれば正しいということも。

話は戻るが、たぶんブタの青いTシャツはそのまま捨てられて二度と目にする機会がなかった。
なぜか急にこの話を思い出した。なぜか。

写真を見返せば、そこにはただの子供、ただのブタのイラストの青いTシャツがあるだけだった。
なぜあれほどまでに嫌っていたのか、突然に呼び起こされた記憶でしか辿れないほど普通にそこにあるだけだった。

おそらく私は、ブタがピンク色をしていることが許せなかった。鼻の穴見えてるくせに、かわいくないくせに、かわいい人にしか許されないピンクを全身にまとっている。
私と同じ。
そう思っていた。

今なら着られると思った。
今なら青を着ても、三つ編みにしても、太っても、顔が丸くても、化粧がなくても、ブタを必要以上に嫌うことはないだろう。

なぜなら今のわたしは昔よりも「かわいい」。
それは顔がとか体型がとかじゃなくて、模索しながら生きてきたこの約20年の成長の末に手に入れた[自分]というものを、かわいいと思えるようになったからだ。



妹がいる。5歳下のかわいい妹だ。生まれつき目が大きくて、鼻が高くて、細くて色白でスタイルがよく、サラサラのショートヘアだ。私にないものを全部持っていた。
私が1日30分までだとかと規制されていたゲームやテレビを、ほぼなんの制限もなく得ていた。
私が昔からピンクや赤ばっかり取るものだから、妹は毎回青や水色を選んだ。でもそれが好きなんだと言った。好きで選んでいるからいいのだと。

しかし。妹は自分の欲よりも争いを避ける方を優先する性質だった。丸く収まる選択肢を選ぶうちに、それが自分の好きだと勘違いしてしまっているのではないか?それでは私と同じことに……


ならなかった。

妹は今や私より絵が上手い。自分の好きと思えるキャラクターを見つけ、推しと呼びライブに行き毎日グッズを集めて過ごしている。服のセンスだってあるので、たまに選ぶのを手伝ってもらう。体調を崩しやすく、途中から高校は通信制に変更したが、それが合っていたようだ。本人は自分のかわいさに気づいていないが、好きなものを語る表情はとても楽しそうだ。

ただ、それは外から見た感想でしかない。本人のことは本人にしか、しかもそのときの感覚によってしか、わからない。

最近は好きな映画を見ても母に言わないようになった。言ったところで、「そんなののどこがいいの」と言われて余韻を消されるのがオチだ。
別にわざわざ、興味のない人間を説得する必要がなくなったのだ。大学へ来てからは、あるいはずっと前から、私の好きは私のものであって、母でも父でも妹のものでもましてや名前をしらない誰かのものでもないのだ。わかってくれるひとがいるなら、その人と共有すればいいだけなのだ。いないなら、それでもいい。
私が私の好きなものを好きと言って何が悪い。


そうだ。
1番かわいいと思う服を着て、
1番かわいいと思う瞬間を撮ってみたい。
今度。

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