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【瀬戸SOLAN小学校 学校視察レポート②】


〈授業の様子について〉

 朝の伸びやかに始まるマイタイムの時間。1人1人のその子らしさを際立ってみることができた。けん玉、ベーゴマ、タブレットなど、一人一人が思い思いに時間を過ごす。その時間にも、できた喜びに溢れる声、夢中になる眼差し、豊かなコミュニケーションが数えきれないほど存在した。その時々の目的や目標に応じて、やってみたいことや挑戦したいこと、補いたいこと、磨きたいことに時間を使う。これが自律した子どもたちを育む上で大切な時間になっていると思った。目的がなければ、何をしようかと出てこない。また、振り返りがなければ、具体的な行動や修正も難しくなってしまうかもしれない。しかしそれを強制するのではなくて、フリーな時間、フリーな場所、フリーな人との関わりができる環境を整え、自由に過ごす中で子どもたちは自然に学んでいくのだと思った。何より、渡辺先生は「書くこと」「バイオリンの練習」をしている。錆びつかないように研ぐ様子をダイレクトに見せることで、その時間の価値がぐんと上がっていた。
 朝の会を終えると、モジュール学習へ。自分の頭の容量では到底処理できないくらいの情報量、活動量があった。しかし、一つ一つはとてもシンプルな仕組みでできている。
 面をくらったのは暗唱しながらの準備。今まで見たことのない景色に、驚きを隠せなかった。タイトルを言うだけで、つらつらと諳んじること。しかも、それを別の作業をしながら。このレベルまできたら、完全に身についたと言い切れる。何より子どもたちにとって暗唱することができるという事実が大きな成功体験となっている。まずは、短い詩から扱い、誰でも覚えることができる内容から始めることで、自分にもできるんだという大きな自信になり、やる気に火が灯る。1人に灯ると燃え広がる。苦手な子も聞いているうちに頭に入っていく。何も見ずに言えることは、まさに技能化したレベルだなと。
 筆算も同じように、「声に出して言える」という状態であった。やり方を説明するという抽象的なレベルではなく、「何をする・何をする・次にこれをして・最後にこれをする」といった具体的なレベルまで分けて、細分化していた。細分化することで、見通しをもつことができる。「わからない」「できない」といった時も、どこで躓いたのかはっきり見て取れる。またこれも、何も見ずに言えること、言葉に出して言えることは、「できる」という状態。見ずに声に出していえるということは、ポンと問題を出されても頭で唱えながら、そのまま手を動かせばいい。やっぱり「見ずに言える」は、技能化したレベルだった。それにしても子どもたちの声にはハリと艶がある。美しい。生き生きとした心がそのまま口から飛び出している。心と体はやっぱりつながっている。そう感じた。
 そんなことを頭で考えていると、いつの間にか社会になっていた。この活動と活動の重なりの設計がもう言葉にならないほど絶妙なのである。頭ではわかっていても相当の技術がないと具現化できるものではない。地図帳の準備をしながらも暗唱は続く。準備できた子から、問題を出すことができる。速い子を待たせず、ゆっくりめな子も目立たない。そのグラデーションの付け方に渡辺先生の腕が光っていた。仕組みとしては、速い子は問題を出せる。また次の子は問題を出す。というシンプルなものであるが、その活動と活動の重なりのデザインはそう真似できないものであると感じた。
 フラッシュカードのテンポ感は圧巻。自分は正直ついていけていなかった。地方にある県の問題を解き、次は県庁所在地、そして特産品へ。この流れで記憶が強化される。私も初対面の子どもたちを覚えるときに、ベーゴマの〇〇さん、俊足の〇〇さん、新聞の〇〇さんと、その子と言えば〜という他の情報と関連づけて覚えていた。何かと関連付けることで、記憶の引っ掛かりを増やし、引き出しやすくなる。
 その記憶の強化もはかりつつ、何分のいくつ正解したのかという評価も組み込まれている。そして子どもたちをみるとすぐにわかるが、比較の対象はいつだって自分自身であった。過去の自分と、なりたい自分とを比較していた。また、クラスで共通のミッションを設定することで、一体感も生まれていた。
 ドリル音読が始まる。ここまでの圧倒的な活動量、テンポ感、身体を動かす、仕組み化されたルーティン、声を出す、活動ごとの達成感を通して、教室全体は熱を帯びている。音読の声は、録音をして、栃木で待っている自分のクラスの子どもたちに聞かせたいほどだ。
ルーティン化された仕組みの中で、発達に凸凹のある子どもたちも入り込める。特にアスペルガー傾向がある子どもたちにとっては、決まり切ったルーティンは安心するものだと学んだ。
過去の自分と比較する音読レース、そしてドリルを進めると仕組み化された中で進んでいった。
というタイミングで、渡辺先生からの「ユニット5」と音読をする場所の指示。このイレギュラー感は特に多動傾向な発達の凸凹を抱える子どもたちにとってより良いらしい。
そして、そのイレギュラーを心待ちにし、なんとか打ち返そうというわくわくした気持ちが表情に滲み出ていた。
いきなりなどで飛んでくる辞書引きのサプライズも同じだ。
 指名なし音読。過去最高記録の更新にクラスで一体となって取り組む。先ほどまでの自己を磨く時間とは違い、ここでは打って変って、「一体感」がそこにあった。それぞれのベストの力を出し尽くす様子に素直に感動した。あれほどまでに夢中になれる姿に。
そして、100玉そろばん。教材室にあるものはこれまで何度も見たことがあるが、実際に目の前で見たのは初めてだ。ものすごいテンポ感に自分の目が追いついていなかった。
「飛ぶ数を変える、分ける、見ないで」など、難易度の設計もまた意図的になされていた。こういった細かいところに面白さ、ゲーム感覚があるから気がついたら燃えているのだと。
 最後は作文の視写。これまでの圧巻のエネルギー放出とはまた別の世界かのようなしっとりとした時間が流れた。エネルギーの放出を意図的に初めの時間にもってくることで、自然と集中する時間へと入り込む入口はもうすでに完成していた。
 ここまでで45分。凄すぎると人は笑ってしまうのだなと思った。
 英語、情報の時間を経て道徳。
 その間の休み時間にも辞書引きを始めるほどの熱量。もう楽しくて、やりたくて仕方ない状態。完全に何かにハマっているという状態。
 「仕事はいくつある?」という問いから始まった道徳。ここで口々に言わせることに驚いた。どんどん思った数字いってごらん!!と、どんどん言わせる。子どもたちは声を張り上げ、思い思いの数をいってく。もし、自分だったら「わかったわかった、少し落ち着いて。」といってしまいそうだ。そしてまだ子どもたちが数字を言っているものにかぶせるような形で次の指示へ。三分構成のボリュームある内容。削れる部分は徹底的に削っていることを感じた。 
そして、思いつく仕事を5つかけたら1つ発表と、また次の活動が入る。そして「仕事とは?」とキラーパスが入り、辞書引きへ。ここまでわずか数分で立て続けに活動が入り込んでいる。子どもたちはあっという間に入り込んでいた。この導入での活動は、変に「これから〜をしますよ、いいですか?」と始めるより圧倒的に効果が高いのだと思った。
辞書で引いてから、仕事とはどういうものか書かせる。1行で。書けた人から順に発表していく。順に発表していくことを考えると、やっぱり短く書くのだと思うし、何より結論を一言で言い切れる力もつく。また順に発表していくことで、思いつかない子も耳で聞きながら、それをヒントに書くことができる。合法的に体も動かしている。そして、終わった児童にはすぐに理由をたくさん書く指示が入る。結論は短く、理由は長く。そこに賢さの価値付けが入ることで、改めて熱量が上がる。
次に参観者がいたことで、大人の人たちは「仕事とは?」とインタビューする時間。まずは「自分は〜だと思うのだけれど、、、と一言加えること」と質問した上で自分の考えを先に話すことへの価値についてサッと触れた。子どもたちのコミュニケーション力の高さは、こういった日々の価値づけにあるのだと再確認。
そして、記事から「仕事とは?」のいくつかの回答が映し出される。出てきたキーワードから自分が思う「仕事は?」という考えに近いものを順位づけする。ベスト3が決まったら、立って発表。やはり動きがワンセットになっている。その際に悩む児童に対して、「悩むよな〜」と渡辺先生から共感の声が。こういった一言で考えている子どもは大きな安心感を得ることができるのだなと。次々にベスト3を発表する子どもたちを見つめながら、渡辺先生自身が、その考えの多様さを心から面白がっていることが伝わってきた。さらに子どもたちは安心して、発言をすることができるだろう。みんな違っていていいのだと。
「学校で行っていることは、仕事につながっているか?」とまた次の問いが子どもたちに届いた。その瞬間、子どもの反応が少し悪かったからなのか、間が空いたからなのか、元からその予定だったのか、「仕事になる、ならない、わからん」の3つに分けて、分けたら近くの友達と話してごらんと活動にスパッと切り替わった。そして子どもたちは迷いなく話し始めた。その指示が切り替わる間、時間にして0.5秒程度。この即時の判断力と引き出しの手数に、また渡辺先生の磨き上げられた技の切れ味の鋭さを感じた。
 ピクトグラム、リンク先へとぶ仕掛け、本、動画、音。様々なツールへのこだわりを感じた。最初はピクトグラム、次に画像、次は動画を挟んで、、、といったように、出し方を少しずつ変化させている。子どもたちは自然とその教材に入り込んでいた。「聞いて」「話すよ」「前を向いて」などの言葉は一切必要ない。滑らかに子どもたちが吸い込まれていく。
リンク先にとんで、開かれる職業をみるたびに驚く。これでもかというほどの渡辺先生の情報収集力の高さに危うく腰を抜かすところであった。その仕事で活躍している方についての知識やつながりの太さが圧巻であった。
 またその情報は、午後に講演をされる松原さん、伝説のドアマンさんなどこれまでの学習や、これからの学習との関連付けがされている。することで、復習はもちろんのこと、5・6時間目の探究学習によりわくわくした心へ動くのだろう。
最後は余韻を残しつつ、「仕事とは?」と再度問いかける。「変わったわ〜」という子どもたちの言葉から、最初の問いかけから、教材にどっぷりと漬かり、思考してきたことが伝わってきた。
 百人一首の実践は耳にしたことはあるものの、実際に目の当たりにしたのは初めて。達成感、やった分だけ取れるようになる、やればやるほど取れるようになる、というやる気に火をつける面。また、見る、聞く、動く、反応する、数える、覚える、思い出すといった必要なスキルの面、どちらをとっても教育効果が高いことに初めて気がついた。
 10、100、1000とポイントをつけた札を用意するルールを追加することで、苦手な子も山をはることができるので面白い。私自身が、初めてであったのでそのルールのおかげで楽しむことができた。これも条件を限定することで、全員が安心して取り組めること、また難易度を上げるというゲーミフィゲーションと視点でみてもこれ以上ない即興的な一手であった。
本当に初めて感じる驚きで溢れた授業。
自分の授業観を良い意味で、ボコボコに壊していただいたような授業。
あそこまで、諳んじることができるのか。
あそこまで、テンポを上げることができるのか。
あそこまで、言葉って必要ないのか。
あそこまで、情報収集をするのか。
あそこまで、熱狂するのか。
あそこまで、音や映像などのツールにこだわるのか、、、。
それも、普段の日常でここまでの質を提供することができるのか、、、。
 渡辺先生のこれまでを全て知ることも分かり切ることも到底できない。誰もの想像を遥かに超える膨大な積み重ねがあったのだろうと想像することしかできない。渡辺先生の歩んできた道は、渡辺先生しか分かり得ない。
 もし、自分が渡辺先生と全く同じ道を歩んできた者ならば、もっともっと感じ取れるものがあったのだろうと思う。
 しかし、今の自分は今の自分。まだまだ渡辺先生の一歩目にすらたどり着いていないような自分が受け取れるものは限られているかもしれない。けれど、だからこそ全身でその授業を感じ取ろうと五感をフルに使って吸収することに全力を注いだ。
 日本一の研ぎ澄まされた授業を目の前で、全身で浴びることができた。
感動しただけでは、到底表現し切れない思い。

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