「異なるもの」と「他なるもの」 ー『食客論』から観る、他者と出会うことの葛藤としての『戦場のメリークリスマス』

映画『戦場のメリークリスマス』を、私は「他者と出会うことの葛藤」というパースペクティブで観ている。
そして、星野太さんの『食客論』(講談社)を読み、このパースペグティブでの『戦場のメリークリスマス』と非常にリンクすると思った。

『食客論』で論じられているのは、「友でも敵でもない、あるいはいずれでもありうるような曖昧な他者」、「傍にいるもの」、「中間的な他者」、「不審者」という存在だ。

例えば、『戦場のメリークリスマス』に出てくる、俘虜(捕虜)について考えてみる。俘虜は敵でありながら、殺すことができず、最低限の保護をしなくてはならない。これは『食客論』で論じられている、「曖昧な他者」に近いのではないだろうか?

しかし、何より重要なのは、ヨノイにとってのセリアズという存在である。
ヨノイにとってセリアズは、『食客論』で論じられているような存在なのではないかと思う。そしてヨノイは、このセリアズという他者との出会いによって、葛藤する。

ヨノイにとってのセリアズが、どうして『食客論』で論じられているような存在なのか?そのことについて論じる前に、口に纏わることも確認しよう。

『食客論』では、口に纏わることも重要な論点になっている。
そして、『戦場のメリークリスマス』でも、口は重要な要素になっていると思われる。

例えば「行」。これは、怠惰を直す為にヨノイが俘虜に命令した断食だ。そして、ロレンスは「我々がやれば彼もやる」と言う。「行」において、何よりも、ヨノイ自身が怠惰を直したいという思いがあったように思われる。それは、その前の激しい気合の稽古からも感じられる。ヨノイはどうして怠惰を感じたのだろうか?この怠惰は何によってもたらされたのだろうか?それは「他なるもの」ではないだろうか?そして、断食とは「他なるもの」を取り込むことを拒絶し、自己を律する、もしくは自己の法を回復すると解釈できないだろうか?

その他の口に纏わるシーンにつていても確認しよう。
天皇家の家紋がついたタバコの喫煙。このタバコは贈与として贈られるものだ。自己の法の最高位からの贈与を取り込むこと(しかもタバコという、味わう嗜好品)。これは自己と法の、一体感を高めることにならないだろうか。

ヨノイとセリアズが直接関わるシーンでも、口に纏わるシーンはある。「行」を破ったセリアズが、ヨノイに「自分をなんだと思っている。お前は悪魔か?」という聞かれ、「そう。あなたに禍を」と言って、目の前で花を食べるシーン。そして、終盤のセリアズからヨノイへの、頬へのキス。このキスによって、それまで武人らしく硬く結ばれていたヨノイの口は、半開きになる。

私は先日、『食客論』刊行記念の國分功一郎さんとのトークイベントに参加した後に、ふと「異なる」と「他なる」は、何が違うのだろと思った。
恐らく、「異なる」は違うと分かること。例えば敵という存在がそうだ。また、『食客論』では、「他者を巡る遠近法」という言葉があり、トークイベントでも、この言葉について星野さんが説明されていたが、「異なる」はこの遠近法において、遠いものを意味するであろう。そして、「他なる」は、『食客論』で論じられる、曖昧だったり、不明瞭なものであると考える。
『戦場のメリークリスマス』のヨノイにとって、セリアズは敵(異、遠)という存在であった。しかし、敵ということ以外に、「他のもの」を感じてしまった。これは「異なる」存在から「他なる」存在への変容とも言えるかもしれない。
ヨノイ自身、自己(同、近)にとっても、自己の中に不明瞭で不気味な、「他のもの」を感じるということでもあろう。自己の中でも、同一なるものから、「他なるもの」への変容が起きていると考えられないだろうか?この「他のもの」は、それが何かが分からない。それは自己の法を乱す悪魔(異、遠)でもあり、惹かれるもの(同、近)でもある。『戦場のメリークリスマス』は、「異なるもの」ではなく、「他なるもの」との出会いの映画なのかもしれない。
不気味さや不審を感じるとき、有象無象の「他なるもの」が私に侵入しているのではないだろうか。この「他なるもの」は、私、あなた、われわれ、そして、「人間とはなにか?」に揺さぶりをかける、『食客論』で論じられている、不審者なのではないかと思う。
ヨノイは問う。「あいつはどういう男だ?」と。

『戦場のメリークリスマス』から少し話はずれるが、一つ付け加える。
セリアズを演じるDAVID BOWIEについてである。
DAVID BOWIEは「他なるもの」という存在であったのではないかと思う。
DAVID BOWIEは、一般的な意味でのノーマルでもクィアでもなく「未知」であり、マジョリティでもマイノリティでもなく「孤独」であったのではないか。DAVID BOWIEはまさに「宇宙人」であり、DAVID BOWIEの現れは「スペースインベーダー」であったのだろう。


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