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エッセイ#02 『手紙』

 LINEが主流になり、手紙を書く機会がなくなってきたが、私は文章を考えながら相手に返事を書くのが好きだったし、今も再開したら好きだと思う自信がある。絶対に手紙である必要はなく、やはり使う機会がどっと減ったEメールでもいい。実際4,5年前は、Eメールで知り合いと長めの文を送り合ったものである。
 元々その人は長めの文章を書く人で、LINEを持っていない、あるいは持っているがほとんど使わなかったような気がする。どちらからともなく、気付いたことがあったり、その日話したことの続きで言い足りなかったことがあった場合に、Eメールが送られてくる。相手から送られてくるときは、大抵長い文章だったし、こちらから何気ない一行を送り始めたとしても、そこから派生する事柄が多いのか、いつも長文で返ってきた。私はその長文が嫌いではなかった。内容が多い方が、実際に会話しているような感覚になるし、短い文字数で送られてくれば短い文章で返し、長い文章で送られてきたら長い文字数で返す。それが当時の私のコミュニケーション方法でもあったからだ。
 文章が出来上がると、文法的に間違いがないか、誤字がないかを必ずチェックし、訂正してから電波の波に乗せ、相手の(電脳世界上の住所とでも言おうか、)アドレスに送信する。所謂添削の作業も、私は好きだった。自分が理想とする完成形に少しでも近づけるという作業が楽しかった。自分の中で納得をしてから送信するので、一種の達成感が残る。次の返信は来てほしいが、思いの外待てずにせっかちになることはなかった。やってきた郵便物を好きなタイミングで取りに行く。それまでは、その日にやらなければならないことや、他にやりたいことを自然とやっていた。メールに追われている感覚はなかった。
 最近は、コロナで自粛をせざるを得なかったり、家族と過ごす時間が有りすぎて逆にストレスを抱え込んでしまった方も多かっただろう。コロナ離婚の危機に瀕している、などのニュースも飛び交い、紛れもなくこれまでに類を見ない大規模な社会現象となった。しかし、39県の緊急事態宣言も解除され、いずれ東京のそれも解除されていつも通りの日常に戻るだろう。そして、その細菌の波が収まったら、コロナについては当分は思い出さないかもしれない。むしろ思い出したくもないだろう。長いメールでも最終行が来るように、コロナと共に生きる生活もいずれは終焉を迎える。東京や横浜に住んでいる方々はもう少しの辛抱、他県にいる方はまだ気を緩めず、危機感を持って生活されたい。




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