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ひかげのたいよう #14

 こうして迎えた大学三年目。遂にこの年がやってきた。私の中の自信がからっぽになるまで残り七ヶ月を切っていた。当時の私は二十歳。一般的にみれば人生まだまだこれからという時だった。書道部の為に全力を注ごうと決めた私は、成績が悪くても文句を言わないと約束したのをいいことに、単位は必要最低限とることにした。そして私の持てる情熱全てを書道部の為に使った。前年までしていたアルバイトも辞めて、部活に専念した。朝起きたら大学へ行き、講義が終われば部室に顔を出し、教室の利用が許されている夜九時までそこで過ごした。その後は書道部のメンバーとご飯を食べに行ったり、友達の家に泊まったりして殆ど家にはいなかった。歌うのが好きだった私は、オールでカラオケに行くこともよくあった。“あの人”と顔を合わせなくて済むし、この生活がとても気に入っていた。夜遅くなってくると
「何時に帰ってくるんだ。いつまで遊んでるんだ。」
とメールが何件も入ったけれど、部活の話し合いがあると言えば怪しまれなかった。そんなに毎晩出歩いて何を話し合うことがあるんだと疑いの目を向けられた時も、同じ部活に所属していた姉が助け舟を出してくれた。
「執行部になると結構忙しいからね。しょうがないんじゃない。」
 姉のこの一言で私は自由な時間を勝ち取った。私のことは信用していなくても、勉強とバイトを両立している大学院生の姉の言葉になら耳を傾ける人だった。私にとって大切なのは、“あの人”から信頼されているかどうかじゃない。少しでも“あの人”から干渉されない時間を手に入れることだった。こうして自由の身になった私は、この年に書道部の部長という大任を任されることになる。任されるというよりは、自ら志願した。書道部の為に何かがしたいと思った。字は上手くないし、何かの書体を得意としているわけでもない。そんな私でも力になりたかった。私も含め同期の六人で執行部を立ち上げ、それぞれが自分のやるべきことをこなした。書道部をもっとよくしていこうと意気込んでいたものの、部長として過ごす毎日は孤独の連続だった。部で何かトラブルが起こるたびに部長の決意が弱いんじゃないかと同期からは責め立てられ、相談できそうな先輩だと思っていた人からは
「それって自分に甘えてるだけなんじゃない。」
と切り捨てられた。この人にはきっと私の気持ちは届かないんだなと思うと涙だけが零れたた。そんな時だった。一緒に芸術展の準備を進める中で知り合った四年生の藤子先輩だけは、私の心の叫びに耳を傾けてくれた。
 大学生になり色んなことが上手くいかなくなると、その原因を、育った家庭環境や“あの人”に押し付けるようになった。そうでもしないとやってられなかった。その苦しみを誰かにわかって欲しくて、私を切り捨てた先輩にもこの悩みを打ち明けたのだけれど、環境を言い訳にして逃げているだけだとキツイ一言を浴びせられてしまう。そんな時、藤子先輩が現れたのだ。
「そもそもスタートが違うのに他の人と比べるなんて酷いよ。大丈夫。じあんちゃんは頑張ってるよ!」
 まさに救世主だった。自分が頑張っていると胸を張って言えるほどではなかったけれど、でもその言葉が心の折れかかった場所をテープのように補強してくれた。人はいつも我儘だなんだと私を下に見て、本当に心配して気にかけてくれる人は少ない。だからこそ藤子先輩の言葉がとても嬉しかった。しかし、補強された心はそう長くは持ちこたえられそうにない。私の中の全てがからっぽになるまでの残された時間は、ひと月弱。私の心は、ふっと息を吹きかければ簡単に折れてしまいそうなほどによろめいていた。
 芸術展の準備で慌ただしくしていた秋のある夜。その日は朝から騒々しかった。住んでいるマンションの改装工事があり、各自の持ち物を部屋の中心に寄せなければならなかった。結構な重労働だ。私は部活を言い訳に家に寄り付かなかったこともあり、その作業をまったく進められずにいた。いつになったら荷物を動かすのかとせかされるたび
「前日までに必ずやるから。」
と言って後回しにしていた。私は芸術展に全てを注ぎ込んでいた。家のことに時間を割いている暇はなかったのだ。改装工事を翌日に控えたその日、事態は一変する。親からも姉からも早く片付けろと言われ、その日は仕方なしに帰宅した。私が帰宅するなり、先に作業をしていた姉が苛立ちをぶつけてきた。
「あんたが自分でやるって言ったんでしょ。言ったんなら早くやんなよ。」
 怒鳴られて、私も一瞬にして怒りがこみ上げた。負けじと怒鳴り返した。大声を上げても怒りは収まらず
「もういい!出てく!」
 そう言って玄関へ向かった。上着を着て、靴を履いて、ドアノブに手を伸ばした瞬間
「何をふざけたこと言っとるんだ!!!」
 父の怒鳴り声が背中に降りかかった。この人に怒鳴り声を上げられるのは三度目だった。一度目は幼稚園の時。頭を掴まれ、コンクリートの地面に顔を打ち付けた。二度目は忘れもしない受験の真っ只中。文句を並べていたらビンタをお見舞いされた。その過去二回を上回る怒りを掌に込めて、私に掴みかかってきた。こんな血も繋がらない娘の面倒を見るのも、いい加減嫌になっていたに違いない。
ー殺される。
 そう察知した。姉もその気迫には驚き、慌てふためいた。止めなければ私が死ぬと思ったのだろうか。必死になって父の腕にしがみつき、落ち着くよう声を掛ける。姉が止めに入っていなければ、“その時の私”はぼこぼこにされ床に倒れ込んでいたかもしれない。さっきまで怒りを向けていた姉に感謝している自分がいた。少し落ち着きを取り戻した父が、口を開く。
「一体何なんだ。何がしたいんだ!」
 その時抱えている心の中のごちゃごちゃを、整理もせずそのままぶつけた。両親はどんな時も、私の気持ちは置いてけぼりにする。その気持ちに寄り添うどころか、また問題を起こしたのかと私に軽蔑の眼差しを向けた。こんな時でさえそれは変わらない。私の本当の気持ちを見ようとしてくれる人は、家族(ここ)にはいない。せっかく藤子先輩が治してくれた折れかかった心は、もう限界に達していた。もう駄目だ。私の人生はこんなもんだったんだ。何もかもを諦めかけたその時、心の奥からもう一人の私が叫ぶ。
『諦めないで。あなたが苦しんでるのも、闘ってるのも知ってる。だから諦めちゃだめ。』
 どうしようもない虚しさが、沸騰したお湯が鍋から吹きこぼれるように口から飛び出した。
「もう死にたいんだよ!」
 ずっと堪えていた。でも一人で解決するには重た過ぎた。そんな必死な気持ちをぶつけた。けれど次の瞬間、父の冷めた言葉が、鍋の中の熱湯を瞬く間に凍らせてゆく。
「死にたい!?何を言っとるんだ。だいたい死のうとしてるのに靴を履いていく奴があるか。」
 必死に訴える私を見て、父は笑った。
「死にたいと思っている人が上着を着て靴なんか履いていくわけないだろう。死ぬだなんて、笑かすんじゃない。」
 そう言って嘲笑った。血の繋がりがないにしても、家族どころか私の味方ですらいてくれないのかと落胆した。折れかかっていた私の心は、既に萎れてぐったりとしていた。玄関先でそんなやり取りを繰り広げていると、仕事を終えた“あの人”が帰ってきた。間が悪いとはこのことか。
「なになに!?いったい何事?」
 半分馬鹿にしたような笑みを浮かべて、いつもの眼差しを私へ向けた。
「いやぁ、急に死にたいなんて言うもんだから、ちょっと話しとったんだ。」
 父が、こちらも馬鹿にしたように鼻で笑う。堪えきれず溢れた私の苦しみを受け取ってくれる人は、やはり家族(ここ)にはいなかった。理由を問われた私は、勉強や人間関係で悩んでいたことや、今すぐ死んでしまいたいと思うのにその勇気すらなくて苦しんでいる胸の内を初めて話した。届くかどうかもわからない想いを言葉にした。けれど“あの人”はやっぱり“あの人”だ。散々私の気持ちを馬鹿にして、醜いものを見るかのような視線を浴びせ、たった一言こう言ったのだ。
「だいたい、死ぬのに勇気なんていらないんだよ。」
 勇気がないとか言っている時点で死ぬ気なんてないんだと、どこまでも私をダメな人間にしようとする。私の心は、その所有者でもない人たちにずたずたに踏みつぶされ、最初からそんなものなかったかのように知らん顔をされた。私の存在が無かったことにされたように。必死の訴えにも“寄り添ってもらえなかった私”は、自分が何の為に生きているのかわからなくなった。あれだけ情熱を燃やしていた歌にも向き合う自信がなかった。
ーこんな私に叶えられる夢など最初からなかったんだ。
 全て奪われてからっぽになった私の心は、この日を境に光の当たらない暗闇になった。“あの人”はこれで満足なのだろう。自分の意思を持たず、ただ言いなりになっているだけの私を求めていたのだから。これでいいんだ。誰にも受け取ってもらえなかった魂の叫びは、私の中でぐるぐると回り始めた。月子と気持ちがすれ違っていったのも、ちょうどこの事件の少しあとくらいだった。寄り添ってももらえず、大切な友を自ら遠ざけ、からっぽになった私。こんなことの為に生きてきたんじゃない。けれど私にはもう、“あの人”に立ち向かう力なんてこれっぽっちも残っていなかった。

 ワタシナンカウマレテコナケレバヨカッタ

 ‘誰か’が心で呟いた。今すぐにでも消えてしまいたかった。

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