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1-ただ身を大学に置いているだけの、実質ニート

(1391字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)

 高校3年生の頃。
 センター試験が近くなるにつれて、周りの大人達はまるで話し合ったかのように、口を揃えて受験生にこう言った:
 「今は何も考えずにとにかく勉強しろ、後もう少しの辛抱だから」
 「大学に行けば自由になれるから」

 それは受験生に対する決まり文句の励ましのようなもので、即ち「試験が終われば今のプレッシャーから解放されるから、最後まで頑張れ」という意味だった。
 が、当時の私はどうしようもない馬鹿で、その言葉を文字通りに解釈してしまった。

 「大学に行ったら好き勝手出来るんだ」
 「もう必死に勉強しなくて良いんだ」
 「毎日遊べるんだ」

 試験にも大学にもあまり興味は無かったが、そんな夢みたいな日々を期待し、また「どうせもうすぐ自由になれるし」と、私はふっきれたように試験勉強に没頭した。


 いよいよ志望校と専攻を決める日。
 「どうするの」と母に聞かれ、私は「さぁ」という顔をした。

 「今の点数で受かる無難な大学行けば良いんじゃない?」
 「無難な大学って……いい加減ね。
  じゃあ専攻はどうするの?将来に関わることなんだから、しっかり考えなさいよ」
 「適当で良いじゃん。ほら、『就職先は専攻とほとんど関係ない』って言うし」
 「あんたねぇ……」

 母はすっかり呆れてしまった。
 これ以上何を言っても娘は真剣になれないと分かると、仕方なしに自ら専攻について調べ、私に色々勧めてくるようになった。

 結局、「稼ぎが良さそうだから」という理由だけで、経済学科に決まった。


 ちなみに私はその後、中国上海にある某名門大学に見事受かった。

 夢も目標も何も無かったが、一応勉強はしっかりしたので点数は悪くなかったのだ。
 更に奨学金までもらえた。

 家族は大喜び。私もこの上なく浮かれた。
 そして、「気ままな大学生活が始まる」ワクワクを胸に、故郷を後にした。

 こうして、私は晴れて大学生になったのである。


 「大学に行けば好き勝手出来る」という誤解通り、私は自由をそれはそれは楽しんだ。

 ゲーム・ネットサーフィン三昧。
 生活リズムはボロボロに壊れ、好きな時間に寝て起き、食事もジャンクフードばかりだった。

 授業中はこっそりスマホゲーム。
 「単位が取れれば良いや」と、勉強は試験前日にだけ適当にして、ぎりぎり合格程度の点数のみを保持することにした。

 向上心はゼロ。
 今後については何も考えなかった。

 1年過ぎ、2年の時間が流れ、3年目も終えて4年目にさしかかった頃、私はすっかりただ身を大学に置いているだけの、実質ニートな廃人になっていた。


 周りを見ると、同級生達はいつの間にか就職の準備をせっせと始めていた。

 「そんな時期なのか」

 取り敢えず流れに乗ろうと、私は重い腰を上げた。

 「まぁでも適当にやっていれば、何処かにもらってもらうだろう。
  さっさと解決して、残りの大学生活も思いっきり謳歌しよう」

 そんな軽く甘い気持ちで、私もエントリーシートやらを書き、面接会場に向かった。


 そこで、私は思い知らされた。

 自分が如何に無能で、「使えない」人間であるのかを。


 「あれ、あんた日本人だったの?でもねぇ、言いづらいけど、試験結果から見て君の日本語は中国で勉強した中国人の日本語以下のレベルだよ」

 「死んだような目をしているな君は……そんな暗い人を雇いたい会社は無いよ」

 「大学で何を頑張ってきたの?」


 来る日も来る日も否定され続けた。

 何処にいっても、私をもらってくれる企業は無かった。


 私は、行き場を失った。

(つづく)

📚「不自由」から逃げると、自由を失う


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