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なにが中国美術と日本美術を分けるのか:「北宋書画精華」@根津美術館に行ってきた

「やまと絵」展を見に行った話の続き。

「やまと絵」展を見に行った次の日、根津美術館に「北宋書画精華」を見に行った。そもそも「やまと絵」展を見に行ったのは橋本麻里さんの紹介記事がきっかけだったわけだけれど、その記事自体が「やまと絵」展と「北宋書画精華」をセットで紹介している。これは一緒に行くしかない。

北宋書画精華

「北宋書画精華」が「やまと絵」展とセットで紹介されていたのは、「古今和歌集」と「和漢朗詠集」の二つが出品されていることによる。橋本さんの記事に紹介される板倉聖哲先生の言葉を下記に引用しよう。

「平安時代初期の894年に遣唐使が停止され、以後は中国からの影響が減少、国風文化が発展した、というのが教科書的な定説でした。ですが近年の研究では、公的な国交が絶えたあとも、私的な貿易・交流を通じて大量のものが移動していたことが明らかになってきています。そのひとつが仏教絵画で、もうひとつが書に用いる料紙でした。今展にも出品しますが、平安時代の日本にも同時代の北宋で制作されたものへの関心や、絵画の表現への影響があったと考えていいと思っています」

日本と中国、至高の美の競演 『やまと絵』展と『北宋書画精華』展 セットで見るべき理由とは? - T JAPAN:The New York Times Style Magazine 公式サイト

料紙について言及しているが、たしかに「やまと絵」展では宋や元から輸入した料紙を用いたという書画の作品をいくつも見た記憶がある。両展に共通して出品された「古今和歌集」や「和漢朗詠集」もそうした作品のうちの一つということらしい。

「古今」だったか「和漢」だったか、「北宋~」で作品とその解説を読んで、ちょっと考えてしまった。「やまと絵」展を見たとき、和歌を書として記す料紙にほどこされた図案をして、「和歌を彩る装飾としての工芸技術や美意識もあったのかもしれない」などと漠然と考えていた。ただ詩歌を記した料紙の背景に図案を施すことは、北宋でも行われていたらしい。つまり料紙の背景の装飾も、もしかしたら中国の影響によるものかもしれないのだ。どこまで追いかけてくるのか、中国美術。

とはいえ、中国の美と日本の美には違いがあるようにも思う。「秋山蕭寺図巻」だったと思うが、端に小さく人物を配すことで山河の雄大さをパノラマで表現するスケール感はやはり日本美術には感じないし、書は(あくまで個人的にはだし理由もわからないが)圧倒的に中国のものが印象に残る。勢いある筆致の「伏波神祠詩巻」はこの展示で一番のお気に入りだ。

強い影響を与えながら日本では再現されなかったところに中国美術の特色があり、また中国美術の模倣からはじまりながらもにじみ出てきたものに日本美術の神髄があるのかもしれない。その後、常設の青銅器なんかをぼんやり眺めながら、根津美術館ではそんなことを考えていた。

なお中国美術の文脈では、趙孟頫李公麟の「五馬図巻」と「孝経図巻」が揃って展示されることがヤバいらしい(11/26追記 李公麟を趙孟頫と書いていた。そもそも時代が違うのでは……?)。あと徽宗の「鳩桃図」も出てくるとか(それはちょっと見てみたい……)。「五馬図巻」の技巧的な素晴らしさは私の理解と言葉では説明できないが、明らかに"西方の異人"とわかる人物像がかなり写実的に描かれている点はたしかに印象に残った。「梁職貢図」など、貢物を持ってくる異邦人たちを描く伝統が中国には恐らくある。それらと比べても面白そう。

五馬図巻〔一部〕(「東京国立博物館 - 1089ブログ」より)

とにかく美術品は生で見てはじめて考えることもある。博物館・美術館で目の前の作品や史料と対峙して、頭がそれでいっぱいになりようやく考えることもある。日本と中国、両地域の神品が数多く出てくる「やまと絵」展&「北宋書画精華」ならそんな体験を多分できる。興味があるなら見に行って損しないと思う。

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