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日本人の「絵」の源流をたどる:「やまと絵」展@東京国立博物館を見に行ってきた

トーハクまで「やまと絵」展を見に行ってきた。橋本麻里さんの熱い紹介記事を読んだためだ(後に引用するが、この解説だけでもすでに面白い)。

絵巻物の挿画?が多かった印象。特に最初のほうは和歌を書いた"切れ"の背景に、金泥などで模様を描いたものがいくつかあった。「絵」のエという読みは音読みであり、極端なことを言えば絵は中国から導入された概念らしい。

「絵」「画」はいずれも「え」「かい」と読むが、これは音読みで、訓読みはない。つまり日本列島で使われていたやまとことばの中にはもともと「絵」にあたる語はなく、日本人は中国の絵画に接することで、鑑賞の対象としての「絵」という概念を学んだというわけだ(銅鐸(どうたく)表面の線刻など絵図そのものは存在した)。

日本と中国、至高の美の競演 『やまと絵』展と『北宋書画精華』展 セットで見るべき理由とは? - T JAPAN:The New York Times Style Magazine 公式サイト

王朝の日本人にとって、やまと絵の源流には中国の絵から培った技巧に加えて、和歌を彩る装飾としての工芸技術や美意識もあったのかもしれない。

そもそもやまと絵と漢画の区別は考えたこともなかった。土佐光信と狩野元信の絵が出てきて両者の交わりを見せる展示があったが、言われてみると和漢の意匠の違いみたいなのはぼんやり感じる。山水と言うか、風景をパノラマ&遠近を意識したような絵画はやまと絵っぽくない。人物や建物は細かに描写するのに、山とかはえらく記号化された印象だ。

個別の作品では「病草紙」や「百鬼夜行絵巻」、雪舟も印象的だった。「百鬼夜行絵巻」は(あまりにも凡百の感想だけれど)色の鮮やかに驚かされる。あと鬼の体のモコモコした感じが刃牙っぽいなとか考えていた。オーガの遺伝子……。雪舟の水墨画の本物を見たのは多分初めてだが、太い枝や岩が黒ぐろとした描線で輪郭付けられて存在感を主張しているのに対して、鳥や松の葉は細く繊細な描線で、柔らかい。コントラスが強烈だった。あと八幡菩薩の絵。僧侶の背後に金箔で"気配"だけを描いているというもの。イカす。

次の日はセットで根津美術館にも行ってきた。(つづく)

(追記)続き↓

以下、おまけ。
せっかくだし、久しぶりに東洋館も覗いてきた。外国人だらけでびっくりした。大学生のころ(10年くらい前)ちょいちょい行っていたけれど、そのときはもっと閑散としていたような……。まあ人が来るのは良いことなのだけれど。
東洋館では主に地下でのんびりしていた。クメール美術など、東南アジアやインド関連の史料が並ぶ。行った記憶がない。最近できたのか、単に私が見逃していたのだろうか? 写真は台湾のパイワン族の椅子。一刀彫りで作られた贅沢品らしいが、怖い……。

人面付椅子


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