見出し画像

婚活してよかったと思うこと

私は20代のころ、彼氏がほしい&結婚したいと、とにかく必死だった。
その行動力はすさまじく、マッチングアプリから結婚相談所まで「自分にできる全ての手段」を実行した。

必死すぎたのか、みごとに全部失敗した。

今でも近くに『おそらくマッチングアプリで初対面であろう2人』がいると、つい耳を傾けてしまう。ぎこちなく盛り上がらない会話に、私は当時を思い出して「あぁ…しんどい」と心の中でため息をつく。

出会いの場を楽しめる人なんて、いるんだろうか。いるんだろうけど、私は絶対に無理。婚活にいい思い出なんて本当にひとつもない。

婚活っていうか、恋愛じたい人一倍下手くそだった。私は一般的にダメンズ好きとかメンヘラとか、そういうタイプだったから、振り返れば黒歴史しかない。

10代から20代は、恋愛にダメダメな自分がとにかく嫌いだった。周りを見るともっとスマートに恋愛したり、結婚したりしているように見えた。

自分もそうなりたくて色々頑張ってみるが、どうしたらいいのか「ちっともわからない」日々。

見た目が終わってるのかな、めんどくさい性格してるからダメなのかなと、出会いを重ねるたびに自己否定ばかりしていた。つらいから止めたいけど、年齢も迫ってくるし、やめたら出会いのない生活に戻るだけ。

それに、やっぱりいつかは好きな人を見つけて、一生に生きていきたい。

それだけはどんなにつらい目にあっても、決して揺らぐことがなかった。だからこそ逃げ場がなかった。

つらくて、二度とやりたくない婚活。それでも、私はあの頃があってよかったと思う瞬間がある。

夫と2人でいるときだ。

「これは当たり前の幸せじゃないんだ。ありがたいな」と心から思うのだ。

自己否定が限界にきた私は、28歳で婚活をやめた。出会いのない生活に戻ると思いきや、知り合いの紹介で夫と出会い、結婚することになった。付き合えたときは「奇跡が起こった…」と自分でも実感が持てないほど驚いた。

あんなにうまくいかなかったのに、タイミングがきたらあっさり。だったら今までの婚活って何だったんだ?と思ったけど、たぶん私には必要なプロセスだったのだ。

婚活は、どうしてもデータから入る。写真、身長、仕事…、そこから「自分が許せるライン」「マッチングするかどうか」「危なくないか」と”頭で考えて”相手を探す。だからどうしても減点法で相手を見てしまう。

夫と付き合いたいなと思った瞬間に”頭”の部分はあっただろうか。絶対になかった。夫には申し訳ないが、彼はむしろ私が苦手な条件を揃えている。

恋愛経験が少ない、奥手、実家暮らし。

結婚相談所や目上の方の紹介にて、高確率で出会ってきた条件の男性。高学歴で真面目、親を大切にしていて、性格も穏やかで優しい。学校や職場が男性ばかりで出会いがなく女性慣れしていない。

だからデートでも黙りこくり、私が話をふらないと喋らない。または無理して話そうとして自分の話ばかり捲し立てる。話に登場するのは上司か家族。「リードしてくれる女性が好み。自分は決めるのが苦手だから」とか平気で言う。

私はそういう男性とたくさん出会い、辟易していた。

でも、夫は違った。条件は綺麗に揃えてしまっているけれど、聞く・話すのバランスが良く、話していて楽しかった。私の話をよく覚えていて、いつも好きそうなお店を予約してくれた。

不器用で話はうまくない。
恋愛経験がないのでロマンチックさはない。
LINEの返信が遅くて、話が進まない。

でも何だか自然体で、私を緊張させない。だから「よく見せよう」などとは考えず、取り繕わないで話すことができていた。

3回目のデートでふと車の後部座席を見たとき、るるぶが5冊も置いてあった。その日は初めて、ご飯だけでなく1日デートする約束だった。

「私のために、一生懸命デート先を探してくれていたんだな…」

その気持ちがうれしかった。

その日お付き合いすることになったわけだが、婚活だったら、条件だけ見て最初から「ナシ」と決めつけてしまい、出会うこともなかっただろう。

婚活をしていたからこそ、”頭で考える”恋愛に疲れてしまっていたからこそ、夫と出会ったとき”心”を大切にできたのだと思う。

婚活という辛い経験をしたからこそ、今こうやって夫婦でいられることの幸せが奇跡的なものに感じる。

すんなり恋愛してきた人たちより、きっと、その幸せを何倍も噛み締められる。

現在、婚活をして苦しんでいる人にできるアドバイスはない。婚活で相手を見つけていないし、「こうやったらうまくいった」的な方法も見つけられなかった。

ただ、一つだけ言えることがある。

『この先結婚できたとき、人より何倍も幸せを感じられるよ!』

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?