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母に怒られてばかりだった、あの頃。

今日ふいに、小さい頃のことを思い出した。

母がいつも、私に怒っていたことだ。

かつて、母は周りから見ても明らかな「妹びいき」だった。
それは親戚から「どうして上の子ばっかり怒るの?」と注意されるくらいのレベルで、妹も「母から怒られたことはない」というから、その差は明らか。

ちなみに私は母のことが大好きだし、仲良しだし、感謝している。当然、いい思い出が一切ない訳ではない。大人になってしばらくして、泣きそうな顔で「本当に悪かったね」と謝ってくれたこともあった。

それだけは、母の弁護のため言っておきたい…のだが…。

こんなことを書いてしまうこと自体…私は冷たいのか、いまだにその点だけ根に持っている。

あの怒られる日々の中で、心のほとんどを占めていたのは「なんで私ばっかり」「妹が同じことをしても許すくせに」という怒りだった。

私は限られたお小遣いで頑張っていたのに、妹は足りないからと増額。自転車も、私は安いもので我慢したのに、妹には高いものをあっさり買い与えた。

そのせいで、私は妹のことが大嫌いになり、姉妹仲は非常に悪かった。もちろん母は妹の肩を持つので悪循環。

一度、私の頬を引っ掻いた妹を、祖父がひどく叱りつけたことがあった。
この時はもう「守ってもらえた安心感」で泣きそうになった。こうやって逃げ場を与えてくれる祖父母や、可愛がってくれる親戚がいなかったら、たぶん、ダメになっていたと思う。

怒られる原因について、私は「私がお父さんに似ているから嫌いなんだ」と分析していた。我が家は母子家庭で、離婚後、母は父のことを少しでも口に出すと烈火の如く怒るようになったからだ。

離婚する前に住んでいた家の近くを通るとき、母は怖い顔で「懐かしいとか絶対に言わないでね」と言った。勇気を出して「お父さんの写真、1枚でもいいから欲しい」と言ったら「そんなものない。捨てた」と冷たく突き放したこともあった。

私は生まれた時から「父親似」だった。

つまり私を見ると、母は大嫌いな父を思い出すのではないか。母にとって結婚生活は思い出したくない過去であり、父親の記憶がほとんどない妹の方が、扱いやすく可愛いのではないか。幼い私に思い当たる理由はそれしかなかった。

母の態度が軟化したのは、小学6年生のときだった。

ある喧嘩をきっかけに、私はいくつか例を挙げて、母がどれだけ「妹びいき」かを説明した。「私だけが言ってるんじゃない。周りも明らかに贔屓だって言ってる。いつも私だけ怒られて納得ができない」と、こんこんと説明した。

母はポツリと「お母さん、そんなに妹ばかり大事にしているかな」と反論しつつ、黙って私の話を聞いた。この日は珍しく、それ以上に怒ることはなかった。

大人になって、諸悪の根源は『家庭を顧みない父』にあったことや、母が私たちを食べさせていくため、心の余裕が一切なかったこと、何より、母は私も妹も同じくらい愛してくれていることが分かるようになった。

妹より私のほうが、不登校になりかけたり、変な彼氏を作ったりして迷惑をかけてきた。習い事をたくさんさせてもらったり、親戚と距離が近く可愛がられやすいのも私の方だ(だからイーブンじゃん、と言われると納得できないのだが)。

そして、私は年々母そっくりになっていき、父親の面影がまるでない大人になった。性格も、母親のコピーといったところ。妹とも関係は良好だ。

こんな記事を、何かのタイミングで母が読んだらひどくショックを受けるかもしれない。でもこれは、私自身のために、そっと振り返りたい出来事だった。

小さい頃の私は、よく頑張ったと思う。よく乗り越え、大人になってくれたなと思う。大人になってからも色々あったけど、やっと落ち着いたね。私たち、頑張ったね。

そう自分に声をかけてあげたくなったのだ。

ちなみに、この件は母が傷つくので「どうして私をあんなに怒っていたのか」は聞けていない。でも、いつか理由を聞いてみたい。

あぁ、それにしても、なぜ急にこんなことを思い出したのだろう。
不思議な気分だ。

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