異文化理解の壁は自分が作っていた
こんにちは!
趣味が海外旅行の社会人です。
今回は旅行の話題ではなく、
「異文化理解って意外と難しいんだな」
と思った話と、そこから学んだことを綴っていく。
僕は2011年に一年間中国に留学していた。
留学前は中国文化や習慣を学ぶ機会があったり、留学経験者の話を聞いたりして、事前に情報を仕入れていた。
「隣の国でもこんなにも習慣が違うのか〜!
文化や風習の違いって面白い!」
と発見や驚きがあって楽しかった。
だから、まさか自分自身が異文化理解に苦しむなんて発想は毛頭なかった。
しかしいざ現地で生活してみると、中国生活での小さなストレスが溜まり、一時期中国や中国人を嫌いになってしまったことがある。
日常の小さなストレスたち
当時「嫌だな」と感じていた日頃の出来事をピックアップしてみた。
中国に限らず他の国でも日常茶飯事のことだと思う。
これは2011年当時のものなので、現代の中国とはだいぶ改善されている可能性アリ。
・道端で痰を吐く
(「っぐぁらぁぁぁぁっ、ペッ!!!」という不快音)
・並ぶなどの秩序の概念がない
・路上に捨てられたゴミが放つ悪臭
・夏場の暑さと自動車の排気ガスのコンボ
・車のクラクションをしょっちゅう鳴らす
・知らない人から声をかけられたと思ったら、「金くれ」と要求される
・しつこい物売り
・部屋の修理を依頼しても来ない
・人によって言うことが違う(たらい回しにされる)
・店員が無愛想
・レストランで席につくや否や、店員が側でひたすら注文を受けるのを待っていて圧を感じる笑
・買い物や注文の際に何を聞いても頼んでも「メイヨウ(=無い)」「メイヨウラ!(それはもう終わった・無くなった!)」と言われる
・釣り銭をたまに投げられる 等々…
中には、「こんなのしょうがないじゃん」「それは思い込みが強いのでは?」というものもあるが、
今となっては
「まぁこんなの海外だったらあるあるだよね」
と思うのと同時に、
「こんなことでイライラする方がおかしい!」
とツッコミを入れたくなるほどの小さな出来事だが、振り返ってみると自分も成長したなぁと思う。
むしろこれらのことをたまに日本で経験すると、海外気分(中国気分)を味わえて興奮する(笑)
ただ当時学生だった僕は視野が狭かった。
以上の出来事は中国でのみ起こることと思い、
「だから中国は遅れている!」と勝手に非難している自分がいた。
常に日本と比較していたから
「異文化理解なんて楽勝!」
「習慣や風習が違うの面白い!」
と留学前に思っていた僕が、なぜここまで異文化に対して不寛容になってしまったのか。
その原因は自分にあると気づいた。
それは日本と常に比較していたから。
いやいやいや
「中国は日本じゃないんだし、日本と比べるのはナンセンスだろ!」
「文化や風習が違うのは当たり前だろ!」
と総ツッコミを受けること間違いなしだが、当時の僕はその違いを受け入れることが出来なくなっていた。
無意識のうちに少しずつ溜まる現地のストレス。
「日本だったら店員さんが優しく接してくれるのに」
「日本だったらトイレがきれいなのに」
「日本だったらすぐ謝ってくれるのに」等々
幾つもの「日本だったら」という仮定形。
度重なるカルチャーショックを受けてきて、知らず知らずのうちに「これは異文化なんだ」という意識や余裕が無くなっていた。
その理由の一つに、
同族意識があるからではないかと考える。
「似たもの同士」だからこその罠
ここで言う「似たもの同士」というのは、
顔も見た目も文化も似ている「東アジア」という同族意識を指す。
もし先ほど挙げた小さなストレスが、中国ではなく、欧米諸国や中東・アフリカ地域で経験していたことなら、多少なりとも異文化として受け入れられていたと思う。
「日本から遠い国だから、文化や風習・考えが違って当たり前」
というのが感覚的に分かっているから。
しかし日本と中国となると話は異なる。
顔の様かたちや文化や習慣が似通っているからこそ、
「◯◯はこういうものだ」
「◯◯で当然」
「こうあるべき」
と勝手に一括りにして、嫌だと感じるものを「習慣の違い」と認めず、拒否してきてしまったのではないかと考える。
また、この時代の中国は今以上に勢いがあった。
上海万博や、中国のGDPが日本を抜いたこと、レアアースによる日本の弱腰外交など、日本のテレビでも取り上げられない日はないほどだった。
しかし実際に生活してみると
「中国のGDPが日本を抜いて2位になり、経済的にも勢いがあると聞いていたが、実際は全然違うじゃないか」
とカルチャーショックによるストレスから、終いには中国への負の感情をも生まれてしまった。
いわゆる"ライバル視"による悪循環。
そのことも起因して、嫌な部分を見つけては、文化や習慣の違いと捉えず、勝手に「日本基準」を押し付けていた。
違って当然なのに、見た目も似ている近隣だからこそ意識してしまう。
だから東アジアに関わらず、近隣諸国との関係が仲良くないのは、そういった側面もあると思う。
地理的・文化的距離が近い分、「我々は違うんだ」という考えが無意識に薄くなり、小さなことにも許せなくなってしまう。
だから同族文化こそ受容が難しいのは、そのような点にあると思う。
僕もその罠にハマってしまったというわけだ。
「違いを楽しむ」という心の余裕
そんな当たり前のことに気づいてからは、一気に考えが変わった。
ここは日本じゃないんだから、日本と違うのは当たり前!
日本と比べること自体がナンセンス!
こんな当たり前のこと、どうして忘れてしまったんだろう?
そもそも日本が丁寧すぎるし優しすぎるし先進すぎるのだ。
中国の友人も言っていたが、
「確かに中国は色々問題があるし、多くの社会問題を抱えている。中国は国土が広いし、一括りに中国といっても人口が多い分、変な人もいるし悪い人もいっぱいいる。
でも昔に比べれば中国も色々改善されてきた。これからは日本をはじめ、他国の良いところは学び、今後さらに発展していけば良いと思う。」と。
本当にその通りだと思う。
成長や発展にはそれぞれ段階があり、中国は今発展への道をすごいスピードで進んでいる状態。
かつての高度経済成長期の日本も、これまでの中国と似た状態だったと聞く。
それからは発想の転換で、小さなストレスに対しても、日本との違いを楽しんでやろう!という心の余裕を持つようにした。
例えば、
車のクラクションをしょっちゅう鳴らすことに対して、「うるさい!分かってるよ!」とイラついていたが、
それからは、無闇に鳴らしているのではなく、
「車が通るよ!」と車の存在を知らせてくれているんだな!優しい!
と思うようにした。
実際本当にそういう意味らしい(笑)
また、買い物や注文の際に何を聞いても頼んでも「メイヨウ(=無い)」「メイヨウラ!(それはもう終わった・無くなった!)」と言われたときも、
昔は「じゃあメニューに書くな!」とイラついていたが、むしろそのテキトーさが中国の良さであり、詫び入れるそぶりもなく一言で「ない!!!」と片付けてしまう潔さに一周回って好きになった(笑)
むしろお目当てのものが食べられることに感謝。
正直、全てがポジティブに変換できたわけではないが、完璧な国や人なんていないし、慣れてくると日常になってきてストレスもなくなった。
むしろ冒頭でも書いたように、
たまに日本の中華料理店などで中国的サービスを受けた時は昔に戻れたようで懐かしくなるし嬉しくなる。
そして中国が段々発展してきて、以前と比べると社会主義的な対応や扱いをされることが少なくなったという話を聞くたびに、残念な気持ちになっている自分がいる(笑)
まとめ
この経験を通じて、異文化理解は決して楽しい側面だけではないと学んだ。
素直に受け止められることもあれば、理解に苦しんだり、なかなか受け入れられなかったりすることもある。
異なる価値観や文化・習慣を理解し、時には受容したり認めたりすることが真の異文化理解なんだと気づいた。
もちろん全てを受容する必要はないし、良くないと思うことは良くないと思ってもいいが、僕のように全て日本の基準で比べるのは間違っている。
なんだかんだ言って僕が海外旅行を好きになったのも、この「違いを楽しめる」という感覚を身につけられたのが大きいと思う。
この経験のおかげでインドも楽しめたし感謝している。
本日もご覧いただきありがとうございました!
謝謝!
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