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昭和10年代の台湾-台東の夜行列車

もはや行きたい場所もなくなってしまったので駅で汽車の切符はないかと聞いたら今晩の花蓮港行き夜行があると云われた。夜行に乗るのも面白いと思い切符を買う。晩飯は盛場で小料理と地酒一献。女なし。今日の酒も面白くなし。
夜十一時発の汽車はノロノロと人少なく揺れも酷く、そして外の景色も闇で一切見えないものであるから、それならいっそ縦貫に乗ったほうが楽とも思ったが、それにしても内地には帰りたくなし。玉里辺りで目が醒め(結局温泉は寄らず)、みずほ、ことぶき、早朝花蓮港駅に達する。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

1940年9月頃に書かれたメモ書きです。
筆者は台東から花蓮港まで夜行に乗りました。理由はわかりませんが、記録には「行きたい場所もなくなって」「面白くなし」などとありますので、一日でも早く台東を出たかったのでしょうか?
それにしても夜行に乗車するとは! 戦前の夜行に乗った記録なんてとても珍しいと思うので、個人的には、もう少しことこまかに書いて欲しかったのですが、夜行は一旦乗ってしまえばあとは寝るだけだから、あっさりとした記録になってしまうのは致しかたないかもしれません。

(当時の絵葉書。「鯉魚尾」は現在の寿豊駅)

当時の時刻表を見てみると

ところで、筆者は当時どの列車に乗ったかが判明しています。1940年10月の鉄道時刻表(当時は『時間表』)が復刻されており、台湾総督府鉄道台東線の項目を見ると「1940年8月1日改正」と書かれていました。

該当の部分(当時、太ゴシック体は午後を示していました)

筆者が乗車したのは台東発東花蓮港行き20列車で、『時間表』を確認すると、この列車は23時ジャストに台東を出発し、1:10関山→1:58富里→2:52玉里→3:41瑞穂→4:31上大和→5:01鳳林→5:46寿→6:30花蓮港→6:43東花蓮港 に到着します。
174.7キロを7時間43分かけて進むので、時速換算で約20キロ強、かなりの鈍行ぶりです。他の列車のスピード等から比較して、この夜行は各駅停車だったと思われます。

遅い理由

それにしても速度の遅い列車です。「自転車の方が早いのではないか」と思ってしまったのですが、当時の台湾東海岸には道路が整備されていなかったため徒歩で往来することはできず、結局台東線に乗るしかなかったようです。
また、台東線の軌間は762ミリしかないとのこと。日本の新幹線(標準軌)は1435ミリですから、その半分しかなかったわけで、軌間が狭いと高速運転が難しくなってしまいます。そのくせ、台東から花蓮港に走る列車は6便のうち2便が急行だったので、「こんな狭い線路に急行を走らせてもいいのか」とも思ってしまいます。
とはいえ、夜行列車は翌朝の頃合いのよい時刻に目的地に到着しさえすればいいので、ゆっくり走ってもなんら差し支えはありません。逆に午前3時や4時に到着すると時間を持て余してしまいます。

いまなお走る夜汽車

ところで、台湾では日本と同様に夜行列車がほとんどなくなってしまいましたが、毎週日曜日のみですが台東発の夜行列車が走っています。台東発樹林行莒光615号がそれで、23時5分に台東を発した急行列車は、1時35分花蓮着、4時40分台北着、そして5時ジャストに終点の樹林に到着します。
莒光号はヴィンテージな趣きのある古い急行列車で、新幹線やMRTよりも「台湾の旅」を感じさせる乗り物だと思います。

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