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「バブルフラワー」4

    その日、僕はすごい発見をした。
 子供の頃からずっと、気が強い人が苦手だったんだ。具体的に表現すると、優秀で正確に素早く仕事をこなせる反面、負けん気が強くてプライドが高いファイタータイプって感じの人。完璧主義な性格は頑固にもなりがちで、他人にも自分と同じやり方や考え方を要求するせいで日に何度も苛々と腹を立てることもある。
 で。父さんはこういう人だった。あくまでも、一個人の視点から見た、ということだけどね。多分、オーバー過ぎる表現になってしまっていると思う。勝ち気なファイタータイプの気持ちが少しでも分かる人なら、もっと柔らかい表現を使うだろう。だから、少し盛ってあると思って読んでいただく方がいい。
 その日の夕方に話を戻すと、久々に父さんの怒りが爆発した。荒々しい態度にキツい言葉。機嫌を取ろうとすればするほど、ますます怒らせてしまう。こういう時の父さんは、人間と一緒にいるとは思えない。ドラゴンだとか歩く爆弾と一つ屋根の下にいる気分だ。
 言い訳になるけれど、ドラゴンをどうなだめたらいいんだろうと思っている時に、バイト仲間のアンから言われたアドバイスを思い出したんだよね。家族には感謝と愛情を表現しなきゃダメだよって。
 「そうだ、感謝を伝え忘れているんだ!」
 と思った。それで、キッチンに立つ父親に向かって、
 「ごくろうさま」
 って、言ってみた。そうしたら、
 「はあ!?何だ、ごくろうさまって!?意味が分からん!」
 とまあ大失敗。
 「おつかれさま」
 にしなかったせい?敬語が良かったの?でも家族だし、ラフさを出してみたんだけど。
 それはさておき僕は、父との関係を改善させる次の一手を思案した。でも、機嫌が悪くなったそもそもの理由すら分からないから策の練りようが無い。そうなんだ。そこだよね。つまり、僕には父さんの怒りポイントが分からないってこと。
 恐らくあまりにも性格が違いすぎるからだと思っているんだけど、子供の頃からずっと、父さんが怒り出す理由が分からないままだ。何がいけなかったのかはよく理解できないけれど、とにかく僕は間違ってしまったんだ、と思い続けてきた。これって、けっこうキツい。理由が分からないと、改善しようがないから。
 その日はじめて、父さんからグサッと言葉で刺された後でこう思った。
 「アレッ、でも、僕、今、間違ってないじゃん!」
 って。
 「何も間違ったことしてない!」
 って、思ったんだ。
 とはいえ、相変わらず隣で父親はドカンドカン荒れているわけで。
 「ああ、まあ、間違ったことはしてないけど。だって、何一つとして悪意なんて抱いていないし。どの言動にも相手を否定する気なんて無かったし」
 と思いつつも、
 「何か心ないこと言ったりしたんだな」
 「敬意の欠けた言動をとっちゃんたんだ」
 って、思った。
 何せ甘やかされて育ったのは自覚しているし、親父さんはやり手だし、こっちは夢中になると周りが見えなくなるし、一人でいつもルンルンしているタイプだし、何か父さんの善意を踏みにじるような言動を取っちゃったんだって思ったんだよね。
 普段だったらそれから、アレがダメだったのかな、コレがいけなかったのかなって、いろいろ分析するんだ。反省しなきゃって思って。
 でもその日は、そこで心に沸き上がってきたのが。
 「もう疲れた」
 っていう、感情だった。
 自分がこんなにも父親の怒りの爆発に対して、(だって理由が分からないから)うんざりしているとは思わなかった。もうその理由を思案することさえ投げ出したい、そんな状態だったんだ。
 怒りっていうのはあくまでも本人の問題であって、その引き金になった事柄や人物の問題ではない、というのはもちろん知っていたけれど、実際に他者の怒りに触れると、何せ自分だって完璧じゃないんだし、なんかやらかしたんだって思っちゃうんだよね。
 でもその日は父さんの怒りに対して、
 「もう付いていけない」
 って、心底思っていることに気づいた。
 まあ、別に付いて行かなくても良いし、こっちに歩み寄ってもらわなくてもいいはずなんだけど。
 結局ここがちょっと難しいところで、家族だし話せば理解し合えるのでは?的な気持ちになるし、だからお互い歩み寄って、とか思うんだよなあ。
 でも、言葉を尽くせば尽くすほど怒られるし、もうぜんぜんダメなんだ。一挙一動が逆鱗に触れちゃう。ITという鉄壁の共通項があったころは、周りがうらやむ仲良し親子だったのに、僕の興味が薄れてくるとギクシャクが止まんない。
 本当は相当、僕ら親子は相性が悪いんだと思う。もし親子じゃなかったら絶対に関わらないでしょう、お互い。欠点しか目に入らないでしょう、お互い。ここ笑うとこだけど。
 とはいえ、親戚や友人たちを見ていても、もちろん我が家もそうだけどね、この部分で家族って本当にすばらしいなと思う。ぜんぜん価値観が違うな、お互いの生き方を理解し合えないな、とか思うでしょ?でも実際、血縁ですらなかったら、良い部分は一つも知らないままだっただろうなあ、って思うものね。
 父さんにしろ、祖父母やジェーン伯母さんやタニアにしろ、
 「この人の生き方って意味分かんない。価値観なんて理解不能。でも、悪い人じゃないってことは知っている。むしろいっぱい良いところがあることすら知っている」
 みたいな感じだったりするよ。ありがたいよね。他人だったら、価値観や性格に混じり合う部分がなかったら、関わり合おうともしないし、良いところがあるなんて分からないままだもの。
 ところでその日は、まだ発見が続いた。
 「あーもー、疲れた」
 「付いていけないよ~」
 「いつ地雷踏んだか、わかんないんだもーん」
 って、僕が思っている間にも、父さんからはグサッと刺されーの、バンバンバンバンと打たれーのが続いていたんだけど、そこでふと気づいたわけ。父親の一挙一動に身体が怯えているって。もうほとんど泣きそうなくらいに。
 「うわー、めっちゃ親父にビビってたんだなあ」
 って、思った。小さな子供でもないのにさ。
 でも、僕には何が父親の逆鱗に触れるかが分からないから、もう何をするにも何を言うにも潜在意識ではビクビクだったんだね。自分に申し訳ないくらいに、まるで気づいていなかったけれど。
 数年前まではとても良い親子関係だったのにって思っていた。でも実際には、父親を怒らさないように、機嫌を損ねないように、いつも気を張ってビクビクしていたみたいだ、昔から。
 だって家の中で親子二人でいると、親父さんが爆発したらかばってくれる人がいないわけじゃない?怒られたら怒られっぱなしですよ。否定されたら否定されっぱなしですよ。怖い。もう傷つきたくない。そう思ってビクビクだったんだね。
 今回のことがあってよく分かったけど、どうも父親の前では未だに、機嫌を損ねてしまわないように、怒らさないようにと緊張しているみたいだ。「あっ」と思い至りました。自分が緊張するタイプだとは思っていたんだけど、実は父さんの視線に、怯えていたんだって。
 僕、思ったんだけど、怒ったり批判したり否定したりすることで人を傷つけることができるのは、両親だけなんじゃないかな。もちろん他の人に否定されても傷つくけれど、それはその人の向こうに両親の姿を重ねているからじゃないだろうか。父親に似ているタイプの人の前だと途端に緊張して、何かやらかさないかって不安になるよ、僕は。
 気が合う親子だと思い込んでいたけれど、子供時代から身体に触れられることにも、触れることにも抵抗があったって言うのは、やっぱりちょっと不自然だよね。多分、無意識に身体がビクついていたんだろう。
 人が本当に怖いのって、この世で両親だけかもしれない。すごく仲良しでも、ね。
 結局のところ、人間って両親に取り憑かれているみたいな感じだから。
 「愛されたーいのよ!」
 という意味において。切ないことだね。
 父さんの逆鱗に触れるであろう出来事や、苛々の原因になりそうなこと、父さんのコンプレックスを刺激するような人なんかがいたりするだけで、身体が緊張するのが分かる。大人になった今でも。
 僕ね、父さんが嫌いなタイプの人に対して怒りが沸くんだ。
 「親父のコンプレックスを刺激しやがって!」
 「親父のご機嫌を損ねやがって!」
 って。僕が怒る必要無いのにね。なかなかお節介でしょ?
 でもさ、その日の父さんの爆発の後ようやく気づいた。父さんが嫌いなタイプの人のこと、ずっと避けてきたんだ今まで。自分も父さんと一緒で、嫌いだって思い込んでいたから。父さんが批判するのと同じ理由で、僕も憎んでいるって思い込んできた。でも、我に返ってみると、本当はその人たちのこと嫌いじゃなかった。むしろ好きなくらい。だから仲良くしても良かったんだね。でも、近づかない方がいいと思って。だって、父さんが苛々しだすから。お前の勘違いだって、父さんは言うかもしれないけれど。
 今まで嫌いだと思っていた人たちのこと、ああ好きでいいんだって思うと、すっごく楽だよ。
 その日が僕にとって特別な日になったのは、極めつけ、何よりも素晴らしい発見があったせいだ。それは、父さんも間違っていないんだ、って気づいたこと。
 たぶん父さんからすれば、黄緑のものを、
 「黄緑でしょ?」
 って、言っているようなものなんだよ。
 でも、僕が、
 「え?ピンクでしょ・・・?」
 とかいうリアクションだから苛々するんだ。
 でも、黄緑に見えないものは「黄緑だ」なんて言えないし、じゃあ、父さんは間違ってんのって、いやそうではなくて、もしかしたら見る角度を変えたら「黄緑」かもしれない。でももう、わざわざ「黄緑」だって納得できなくて良い。それに、「ピンク」だって納得してもらわなくても良い。
 もういい。理解できなくて。
 どちらも間違っていないから。
 どんどん怒ってくれていい。
 ただ、もう二度と、
 「何か間違えた?」
 「失敗しちゃった?」
 とは思わないです、僕。
 間違えたから、怒られている。
 間違えたから、批判されている。
 間違えたから、否定されている。
 とは、金輪際、思わないです。
 僕も間違えていないし、父さんも間違えていないんだ。
 でも実際問題として、引火しやすい火薬と一緒にどうやってリラックスして過ごしたらいいんだろうね?それはまだ、妙案が浮かんでないんだけど。そのうち打開策がみつかるのかな。あの父の怒り大爆発は満月のせい、という楽観案に今はすがっている。ちょうど満月の前日くらいだったから。満月って、馬なんかも性格が繊細になるらしいじゃない?
 とにもかくにもその日以来、楽になりました。かっかしやすい人の怒りポイントが分からないから僕は相手が怒る前からビクビクしちゃうんだ、ということに気づくことができて。本当にすっきりした。十歳くらい若返ったような気分になったくらい。

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