ゼロベースランニングが生まれるまで(4)
大学1年の3月のある日の朝練習で
膝を捻ってしまった僕は
その後7月くらいまで満足に練習できず
ようやく8月くらいから全体練習に入ることになります。
とは言ってもまだ右膝の痛みは抱えたままの状態。
練習も、絶えず右膝を気にしながら
かつ、気にならないように走りを調整しながらって感じ。
ただ、そんな状態なのに
故障する前まですごく苦手だった30km走を楽にこなしたり。
痛みはあるのに、ものすごく走りは調子いい。
だけど、日常生活でもずーっと右膝が気になるし
気持ちよくはないんですよね。
こんなに調子がいいから
あとはこの鬱陶しい右膝の痛みだけなくなってくんないかな・・・
ずっとそう思ってました。
夏合宿も終わり
いい調子をキープしながら秋シーズンに突入。
その年もチームは、箱根駅伝の予選会から。
ただ、この年はメンバーには入れませんでした。
なぜなら、他の選手がすごく調子良かったから。
だってその年、帝京は予選会をトップ通過するくらいですもん。
あとにもお話ししますけど
この第76回箱根駅伝では
帝京大学は過去最高順位の4位で走ってます。
なので、こればっかりはしょうがない。
ってことで、秋冬シーズンは記録会などを走りながら
自己記録にチャレンジすることになったんですけど
この秋冬シーズン、自己記録を連発!
右膝の痛みは相変わらずなんですけど
レース出る度に自己ベストを更新!
これがすごく不思議だったんですよね。
何で右膝の痛みは相変わらずなのに
すごく調子がいいのか?
結局、5000mも10000mも自己記録を更新しましたけど
前述の通り、箱根駅伝のメンバーには入ることができませんでした。
タイムだけみると
10000mが29分34秒だったので
メンバーに入ってもおかしくないレベルでした。
ただ当時の監督は、僕を選ぶことはありませんでした。
そこはまぁ、当時は悔しかったですけど
ただ、すごくよく走れてたので
もっと力伸ばして、来年勝負!って気持ちに
すぐ切り替わりました。
そして。
正月の箱根駅伝が終わり、新しいチームとして動き出す頃には
じわじわ右膝の痛みが軽くなってたんですね。
おお!やっと来たかー!
これでやっと思い切り走れる!!!
って練習も順調にこなしてたんですけど・・・
3月に入る頃から、なんか走りがしっくり来ない・・・。
この頃には、痛みはほとんど気にならなくなってきてました。
なのに、なんか走りのキレがない。
そんなこんなで出場した、3月の京都ハーフ。
1時間4分前半は出したいと思ってスタートしたんですけど
結果は1時間5分40秒くらい。
明らかに、年末の走りができなくなってる・・・。
それから結局
自分の思うような走りができなくなってしまった。
何で、痛みがあった時はあれだけ調子よく走れたのに
痛みがなくなってしまったら、うまく走れなくなっちゃったんだろう・・・。
今考えれば、右膝が痛かったせいで
右荷重時にあまり体重載せないようにしてて
左荷重時に地面を押す動きが身についてた。
でも、右膝の痛みがなくなったせいで
このバランスが崩れたのかな、と。
左荷重を強調することで取れてたバランスが崩れた。
今振り返れば、そういうことなんかなと。
ただもちろん、その時はそんなこと考えもしませんから
結局そのまま、思うような走りができず。
思うような走りができないなりにもがいてましたけど
右膝の痛みを抱えながら走って出した自己ベストはとうとう更新できないまま
最終学年の12月を迎えることになります。
長らく続く低調な走り。
このままだと箱根駅伝のメンバーに選ばれることは間違いなく、ない。
そんな時、ある事件が起きます。
それを機に、僕のパフォーマンスは息を吹き返しました。
最後の箱根駅伝を前にして起こった、ある事件とは?
続きはまた次回、ということで。
●高岡がオーガナイズしてるランニングクラブはこちら↓↓↓
高岡 尚司(たかおか しょうじ) ゼロベースランニングクラブ・オーガナイザー 熊本国府高校陸上競技部長距離ブロックコーチ 鍼灸マッサージ師 ランニング足袋・開発アドバイザー ALTRA JAPAN アンバサダー 合同会社エフエイト・代表社員