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『白い牛のバラッド』

原題「ペ GHASIDEYEH GAVE SEFID / 英 BALLAD OF A WHITE COW」

◆あらすじ◆
1年前に夫が殺人の罪で死刑に処せれられたミナ。幼い娘を抱え、未亡人のシングルマザーとして辛い日々を送っていた。そんなある日、裁判所から真犯人は別にいたことが判明したと告げられる。納得できずに担当判事の謝罪を求めるも、まったく取り合ってもらえないミナ。絶望と無力感に打ちひしがれる彼女の前に、夫の旧友だという男性レザが現れ、母娘に優しく手を差し伸べてくれるのだったが…。


何処かでチラッと「衝撃のラスト!」みたいなの見かけたんだがそれはちょっと違うと思った。
この映画の衝撃は"潔白と生贄"を意味する白い牛が処刑場で壁と人に囲まれているファーストカットに在ると思う。
全てを観終わった後にその意味が解る。

イランには公開処刑と言う慣習がある事もこのファーストカットに織り込まれる。
そして同国にはキサースと言う加害者に被害者と同様の苦痛を与える報復刑が存在すると言う事。

死刑執行数世界NO.2の国と言う事実。
宗教に基づく『全ては神のご意思』と言う考え方。
冤罪死刑と言う取り返しのつかない事物にまで誠意無く正当化する権力側と司法。

そして目に余るほどの女性差別の現実。

ただそれらに抗おうとする主人公2人の想いとそれぞれの意思が複雑に絡む贖罪と遺恨の中にイランと言う国の背景を散りばめる見せ方は良かった。

同じ死刑制度を持つ国だが日本とは明らかに違う思考が描かれているのは興味深い。

全てが理不尽にも思えるが償うと言う行いの難しさも描かれ、死刑且つ報復刑を認める国ならではのラストとも思える展開にミナの心に堅く存在する清廉潔白さを感じた。
彼がきちんと名乗り、償えば違う道があったのだろうか?と・・・。

自分の夫を冤罪で死刑に処した判事達を相手に訴訟を起こしたミナに対し「きっと(判事達は)報いを受ける」と自答するレザの言葉がその後重くのしかかる。
愛する身近な人を突然失う事はどれだけ心身共にチカラを奪われるか・・・

今作は冤罪がテーマに映るが実は命の重さの再認識や女性が男性に依存しなければ生き難いイラン社会への異議申し立てにも思える。
あのラストシーンが如何にもそれを表している様に感じる。

自分の母をモデルに描いたマリヤム・モガッダムにとって監督、脚本、主演をこなし危険を冒してまで作る意味は大きいのだろう。

2022/02/23

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