こらだのお話 〜居るのはつらいよ、ケアとセラピーの覚書〜

まだ半分までしか読んでいないんですが、ちょっと忘れないようにここまでの感想を。

私がこの本を知るきっかけになったのは、コルクの佐渡島さんが書かれた下の記事がきっかけでした。

この記事を読んで、「私はセラピストなのに、セラピーが足りない。依存は引き受けられるけど、介入を目指し自立させることは苦手だな」、そんな風に思いました。いや、苦手だけど、ちゃんと仕事はやりますよ。

主人公は博士号を取った臨床心理士。沖縄の精神科クリニックが運営するデイケアに就職するところから物語は始まります。デイケアには喫煙室でタバコを吸うだけの人、スポーツ新聞を読むだけの人、窓の外をぼんやりと眺める人など、ぼんやりと過ごす人ばかり。その中でただ「居る」ことを求められる仕事内容に、主人公の心理士としての専門性は砕け散り、そこから「ケア」とは何か、「ただ居るだけの価値」は何かの模索が始まります。

前半部分の主人公は、だたひたすらに「ケアがわからない、ケアがわからない」と、深刻ながらもテンポの良い文体で、ゆとり世代が思わず喜んでしまうようなドラえもんネタやもののけ姫ネタなんかを随所に散りばめて、すごくすごく読みやすい文章で頭を悩ませていらっしゃいます。

で、「こらだ」のおはなし。まだ読み終わっていないのに、noteを書いてしまったのは、このお話を読んで思い出したことがあったからなんです。

デイケアのメンバー(利用者さん)は、精神科で診断を受けている人たちなので、内服が上手くいかなかったり、病気の波があったりして、ときどきすごく不安定になります。喧嘩をしたり、叫び出したり、「心と体」は分けておいたほうが便利なのに、実は分け切ることができないグニャグニャとした部分があることを、主人公や周囲の人に、いとも簡単に思い出させます。

そんな状態を、主人公は「こらだ」と表現しています。

調子が悪くなって「おかしな」状態になるとき、心と体の境界線は焼け落ちる。そのとき、心と体は「こらだ」になってしまう。(中略)こらだが現れるとき、自分で自分をコントロールできなくなってしまう
ひとたび、こらだが現れると、プライバシーのために閉じられていた場所が、他者に開かれる。こらだはコントロールが効かないから、他者を巻き込んでいく。(中略)熱が出たとき、怪我をしたとき、眠れないとき、泣きそうなとき、僕らの「心と体」はこらだになって、触れられることを求める。
こらだには伝染力がある。こらだを目の当たりにしたとき、僕らの「心と体」までこらだになってしまう。目の前で老人が転倒したとき、いてもたってもいられずつい手を伸ばしてしまうのは、僕のこらだが反応しているからだ。他者に開かれたこらだは、実際に他者のこらだを引き出す。その最たるものが性行為ではないか。

メンバーが転んだとき、主人公は相手に触れることで、自分の体は「こらだ」になってしまうような気がして、手を伸ばすことができませんでした。

でも、主人公と共に働く3人の看護師たちは、躊躇なくこらだに触れていきます。それも「ケア」だと言わんばかりに。

この部分、泣きながら読みました。理学療法士になって1年目の時、初めて高次脳機能障害の人や認知症の人と向き合って、どうしたらいいかわからなかった。ああ、私もこんな気持ちだったなぁ、どうしたらいいかわからなくて、すごく辛かったなぁ、それを思い出したんです。

多分、あの時の私も「こらだ」になってしまうのが怖かったのかもしれません。それまで穏やかだった人が(最初から穏やかじゃなかった人もいたけど)、急にそわそわしたり怒り出したりして、時々だけど暴力的になったりして、周りがざわざわして、でもこんなの初めてだし、どうするのが正解なのかわからない。それも一度や二度の経験で対応できるほど容易いことではないんです。何度も同じような場面を経験して、先輩たちがどんな風に振舞ってるか観察して、相手によって声のトーンや行動の素早さを変えてみたりして、だんだんできるようになっていきました。

自分が「こらだ」にならないやり方は、正直、今でも分からなくて、私は弱い人間だから、10年目になった今でもすぐに「こらだ」になっていじけています。多分、それは「ケア」ができるようになったわけではなくて、「こらだ」になってもなんとか平常心で居られるような、そんな脆い術を身につけただけなんですよね。

あの時の私に言ってあげたいのは、「こらだ」にならない方法は、申し訳ないけど10年たっても正解が見つからないっていうのと、でもあなたが「こらだ」になりながら対応することで、また穏やかな状態に戻る人もいるからねっていうこと。だから「こらだ」になってしまった相手に対して、「不穏」とか「葛藤期」とか便利な言葉で片付けてしまうのではなくて、その人がどんな風に居たいのかとか、どうして「こらだ」になっちゃったのかとか、そういうことを考えれられる理学療法士にろうね、ということです。

まだ半分なので、こんな哀愁漂う感想を書いていたのに、どんでん返しを食うような展開が待っているのかもしれないし、正直もう少し長々書きたいこともあるんだけど、1日たっぷり遊んだ娘を寝かさないといけないのでこの辺で終わります。

続きが早く読みたいです。

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