「働くおっぱい」の、働き方と生き方と
少し前のこと、思い余って夫に「閉経したら乳房切除しようと思うんだけど、どう?」と尋ねたところ、悩んではいたが許可をいただいた。
Twitterでバズっていたこんなツイートを見たのがきっかけだった。
私は今、ちょっとした小動物を肩に乗せて生きている。何だか無性に腹が立つ。
正直、こいつのせいで損ばかりしている。服を着たら似合わないし、デブが強調される。中学時代、肩掛けのカバンを同級生にからかわれたのがトラウマで、今でも買うのをためらってしまう。
飲み会の席で、酔っぱらった男性の先輩に胸を触られたこともある。故意とは思えない命中率、ほんとムカつく。どうかあいつとあいつがご自身の望まない形でハゲ散らかしますように、と折に触れて願っている。切実に。
肩こりは万年だ。「すごく僧帽筋が張ってますね」なんて幾度となく言われたけど、もはや自覚がない。だから、一度こいつが無くなった世界を味わってみたい。
乙武洋匡さんが義足プロジェクトで
「いつか自分の衰えた脚を切り取ってロボット義足をつける時代がくるかも」
と話していて、なら「おっぱいを切り取る時代が来たって良いじゃないか!」と素直に思ったことを覚えている。調べたらそういう手術もあるらしい。高いけど。
なんて息巻いていた今日この頃、紗倉まなさんの『働くおっぱい』を読んだ。
男子ならば知らぬ人はいないAV女優の中のAV女優。最近ではタレントや女優の他に小説やエッセイなどの執筆業もこなしている。
そんな彼女が、仕事や人生について語っているこの本のタイトルは、その名も『働くおっぱい』。なんというか、受け入れ方が尖っている。
自分の仕事の何が素晴らしいか、違う業界の人に説明するのって実は難しい。どれほど熱く理学療法やリハビリテーションを語ったところで、“病院で平行棒で歩く人”といったイメージが一番伝わりやすいし、夫ですら未だに「おじいちゃんと運動する仕事だろ」と雑な解釈を食らわしてくる。
だから、うっかり認知症で普段は微動だにしないおばあちゃんがピアノの前に座ると延々と何か聞き覚えのあるメロディを繰り返し弾くエピソードや、朝7時に出勤してひたすら患者さんの着替えを手伝う早番のテンションの上げ方とか、訪問リハでいわゆるゴミ屋敷的なお宅に足を踏み入れた話なんかをしてしまうと、「私には無理だなぁ…」なんて言われて切なくなるが関の山だ。
当たり前のことなんだけど、どんな仕事だって意味があってやっている。自分の仕事の役割に気づくか気づかぬかで、世界は大きく違って見える。
AV女優という仕事の慈しみを、こんなにも素直に、でもどこか潮らしく受け入れている本書には、女性としてだけでなく社会人としても学ぶことがある。
私がポータブルトイレをどんな言葉で説明すれば不快に思われないか熟考するのと同じように、彼女はどんな喘ぎ声が受けるのか思慮するし、トイレを断念してオムツを検討するときに感じるあの何とも言えない胸のざわざわは、寝取られの作品に出演することへの不道徳に胸を痛めるのと似ているように思う。
そんな風に本書を読んでみると、おっぱいというものに対して尊敬の念さえ湧いてくる。なので最近、こいつらと少し向き合ってみようと思い直し、手入れをしてみたりする。
ここ1週間、これまたTwitterで見かけたおっぱいマッサージなるものを試して見ているんだけど、これがまた効果覿面なのである。
このマッサージの真の狙いはバストアップではあるのだが、毎日乳房の下のラインをごりごりと指で押したり、乳房をしたからうえへと包み込んだりしていると、「昨日は深酒したから今日はごわごわしてるなぁ」とか、「ふかふかなのはよく寝たからだろうな」とか、その日のコンディションがわかってくる。そして、終わった後は乳房がじんわりと温かくてなんだか心地よい。ちなみに性的な興奮はあんまりない。リラクゼーションと化している。
そういうわけで、しばらくは切っても切り離せないであろうこのおっぱいと、もう少し付き合ってみることにした。なんだって神様はこんなものつけてくれたんだろうと呆れるけど、働くおっぱいへの尊敬の念を評してもうしばらくこいつと共に生きてみようと思います。
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