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「言い方」が心地よい距離感をつくることもある

数字の7って「なな」って発音しますか?それとも「しち」って発音しますか?

同じことを指していても、言い方が異なることってありますよね。私は「しち」っていうのが上手く発音できず、「“ひ”ち」になってしまうから、7を発音するときはできるだけ「なな」と言うようにしています。7時は仕方ないから「ひちじ」。

で、私の仕事である理学療法士は、リハビリテーションのお仕事なわけなんだけど、日常的には何をしているのかっていうと、患者さんと1対1で体操したり体操したり体操したりしています(こういう言い方を怒る人もいるからちょっと怖い笑、他にも色々してるよ!)。

で、体操ってだいたいが10回×2セットなんです。人によって違うけど。
「いち、にい、さん、しー…」て数えながら、座ったまま太ももを持ち上げたり、立ったまま踵を持ち上げたりしています。

よくあるこの風景。そんな中で、時々ちょっとしたハプニングが起こります。それは「ごー、ろく」と続いて、私が「なな」と言ったのと、患者さんが「しち」と言うのが同時になってしまうこと。これって私だけなのかもしれませんが、あの瞬間てちょっと気まずいんですよね。

だから2セット目の7は、少しだけ大きな声で「しち」って言います。相手が気にしているかどうかはわかりませんが。で、本当に時々だけど、患者さんも気を使ってくれて「なな」って言い換えているときがあって、そういう瞬間てなんだか空気が緩んだような気がするんですよね。

後になって、そのことについて特別にお話しすることってあんまり無いんだけど、私たちの間には、ちょっと気まずいような、気恥ずかしいような、そんな空気が流れます。これって何でもない話なんだけど、年齢も生まれた場所も置かれている状況も何もかも違う私たちが、お互いに少しだけ歩み寄ろうとした瞬間だなって、私は内心ほっこりしてしまうんです。取るに足りない、ほんの少しの和みの瞬間。

私たちの仕事って、患者さんとの距離感をどう保つか、本当に難しい。遠すぎると上手くいかないし、近づきすぎると後で大きな失敗をしたりする。だから時々、SNSで「患者さんにタメ口の医療職ってなんなの?」っていう論争が巻き起こったりするんだけど、そんな中で心地よい距離感を探すのに、「敢えて同じ言い方にする」っていうのはとても有効なことだと思います。

「あなたに近づきたいから、同じ言い方をしているよ」

なんて、声に出して言わなくても、2セット目で私が言い換えた「しち」は、最初に噛み合わなかった気まずさを自然と打ち消してくれます。だからね、相手も「なな」に言い換えられてしまったりすると、なんだか嬉しい。患者さんの気持ちを理解する、というのはとても難しいしはっきり言って不可能です。でも心地よい距離感の中で一緒に同じ目標を目指せるような、そんな関係を築きくために、少しずつ少しずつ、歩み寄っていけたらなぁと思うんです。これは別に、どこかの偉い先生が言ってたお話ではないんだけど、きっと“いいもの”。

それからこれって、患者さんと医療職に限らず、友だちや恋人同士にも言えることなんじゃないかな。あんまり露骨なのは、返って逆効果になりそうですけどね笑。

「いや、プロなんだから、仕事中は普通言い換えるでしょ」って言われちゃうと、元もこもなくなってしまうので、その辺はご容赦ください笑。

そういえば、この前代行で入った患者さんは、
「いち、にい、さん、しー…」と続いて2セット目に入ったら、
「じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし…」と数えてらしたので、
ほんと、勉強になるなぁと思いながら、私も負けないように元気よく「にじゅう」まで数えました。

読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。