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悩みを克服し絶対的安心を得るための3つの考え方

※この記事は未公開の下書きのまま眠っていたので、少し改訂しています。2022年1月5日作成。

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

何事にもくよくよ悩まない、絶対的に安心した状態になるにはどうしたら良いのか。
今日は、悩みの本質について考えてみたいと思います。

悩みとはどこから生まれる?

ほとんどの人が、日々何かに悩んで生きている事でしょう。
最も大きな割合を占める悩みは、対人関係だと思います。

と言うより悩みとは、ほとんどが人との比較や評価などに起因していると言えます。
仮に、この世に自分ひとりしかいないのであれば、競う必要も認め合う必要も無く、退屈という事だけが悩みになるかもしれません。

量子論的に言えば、この世には自分ひとりしか居ないのが真実ですので、その理解が進むにつれて、唯物的な比較心は薄れていくと感じます。

この事から悩みとは、人や物、事(コト)に執着するが故に生まれていると言えるでしょう。

心を常に中道に保つと悩みにくい

お釈迦様(釈尊)も「何事にも執着をするな」と教えていますが、これが安心して人生を送るための最も本質的な考え方です。
では、実際にこの教えはどういう事なのでしょうか?

釈尊の教えを体系化した原始仏典『スッタニパータ』にこの事は詳しく書かれていますが、ここではさらっと触れてみたいと思います。

人は、両親を始めとした、縁ある他人のお陰様の上で生きています。
遡れば、何万年も脈々と遺伝子を繋いで来た、途方も無い数のご先祖様方のお陰様もあります。
生まれてからただ独り、自分の力だけで生きているという人はひとりもいません。

人生の中で、人と喧嘩もしますし、勉強やスポーツなど競いあったり、容姿について評価しあったりしています。
このこと自体は成長の糧として素晴らしい事ですが、ほとんどの悩みは、この中から生まれています。

極論すると、自分と他人を完全に切り離して考える事ができるようになれば、ほとんどの悩みに対して深く考え込まずに、うまく対処して生きる事ができるようになります。

この事は、釈尊も「犀の角のようにただ独り歩め」と教えていますが、これは”多くの人の中でも自分を見失わずに、1本角のサイがわき目も振らず歩むように、独りで人生を歩む心を持ちなさい“と言う事です。
言い換えると、「人や物、コトに依存心・執着心を持つな」という事です。

何事にも正しい距離感を持って接し、自分を見失うな“と釈尊は言っています。

このことを毎日意識して生きるようになると、どんな悩みに対しても心の振れ幅が小さくなっていきます。
心の中道“を常に保つことが出来るようになります。

もし今日、あなたがこの事を意識し始めたなら、すでに心の中道の実現に向けて、心がセッティングされた状態になっていると言えます。
人は意識して初めて、願望の実現に向けて無意識の領域が動き始めます。

その意識の強さに応じて人生に変化が生まれますが、何かに悩んだ時に「心の中道を保とう」と念じるだけでも、心を落ち着ける事に役立つかも知れません。

中道(ちゅうどう)では無く、中庸(ちゅうよう)でも同じ意味となりますので、気に入った方で念じて頂ければ幸いです。

なぜ対人関係から悩みやストレスが生まれるのか?

前項まででお伝えしたように、人の悩みやストレスの大部分を占めるのは、対人関係から発生していると言えます。
なぜなら、そこには

  • 他人に負けたくない、自分を良く見せたいという承認欲求

  • 他人との比較から生じる劣等感

  • 異性同性にかかわらず、他人を支配したい、独占したいと考える依存心や執着心

などが多かれ少なかれ生じるからです。
上記の項目の度合いが強い人ほど、悩みやストレスが生まれやすくなるでしょう。

直接的な対人関係でなくとも

  • 怠惰で何も出来ない自分のふがいなさに腹が立つ

  • 頭が悪い事に絶望感を感じる

  • 運動音痴な自分は何をやってもダメだ

などなど、個人的に発生する悩みも、それぞれのアイデンティティに応じていくらでもあるものです。
しかしこれらも、他人との評価の上で生まれたと言うことには変わりがありません。

では、これらの事から悩みやストレスを生じさせない事はできるのでしょうか?
いくつか重要だと感じる事について、以下に書いていきます。

他人に依存、執着をしないためには?

前項で、釈尊の考えを体系化した原始仏典『スッタニパータ』から引用して、”独りで歩むことの大切さ”について触れました。
とは言え、人は寂しがる生き物なのでとても難しい事です。

この釈尊の教えは、人との関係を絶って孤独に生きるという事ではもちろんありません。
多くの人に囲まれながらも、誰にも何事にも執着せずに、”自分と言う人間をしっかり持ちなさい“という事でした。

友達やパートナーなど、親密な他人がいる事は必ずしも幸せに直結しません。
相手に依存、執着していれば、失う事に対する不安は尽きないでしょう。
失う事を恐れるあまり、浮気や不倫、DVなどに走る人も少なくありません。

そうならない為には、自他共に独立した人間だと認識し、尊重し合う事、いつも一緒に居られる事に感謝の気持ちを持つ事が大切です。

そして、その中に”負けてやる“という考え方を持つと、対人関係は良好に保つ事が出来るように成ります。

勝ちを譲る姿勢が無用な悩みを増やさない

人と会話をしていると、多かれ少なかれマウントの取り合いが発生するものですね。
自分の考えを押し通そうと躍起になると、ヒートアップして喧嘩に成る事もよくあります。

この時に、相手に勝ちを譲る気持ちで、会話の着地地点を先に準備し、誘導するというスタンスはとても重要だと感じます。
自分の意見に執着せず、大人の態度でおおらかに接すると、無用な衝突もストレスも溜め込む事も無くなります。

いつでも自分の意見を曲げろ、という訳ではありません。
どうしても譲れない意見がある場合は、相手の言い分を丁寧に聞き、認めた上で「そういう意見もあるね。でも私は○○と思うよ」と、伝えれば会話を穏便に終えられます。

それでも突っかかってくる相手なら、あっさり降参して謝り、会話を終わらせてもいいと思います。
負けを認める事により実害が発生するケースなら、冷静に落としどころを話し合えば良いだけの話です。

しかし、自分の意見が間違っている可能性も認識しておかなければいけませんし、間違いに気づいたなら素直に謝る心持ちが大切です。

重要なのは、相手を解らせようと執着しない事です。
別に相手が理解しないからといって命が取られる訳ではありません。

自分をよく見せよう、解らせようという執着を持って生きる事は、無用なストレスや悩みを生み出します。

本当に本質的な事が何なのかを知っている賢い人の多くは、自分の意見を押し通す事に執着しません。

正しく諦めて、生きる努力を最大限にする

この世は、一見とても不公平に見えます。
お金持ちの良家に、美男美女として生まれた人もいれば、極貧の家庭に醜い姿で生まれる人もいます。

しかし、どちらが結果的に幸せになるかという事は完全な白紙であり、本人にしか分かりません。
前者の美男美女は、楽しい人生を送りやすく成る武器を始めから持っているという事実はありますが、家が没落して貧困に転落した時に、この世を悲観して自殺する人も大勢います。
また、美男美女ゆえの苦労・不幸もたくさんあるものです。

一方で、貧困の出身の人で、既に最悪な状況を体験しているため精神力が逞しく、這い上がって経済的に成功し真に幸せに成る人も大勢います。

これはあくまで1つのパターンですが、何が言いたいかと言うと、幸せとは必ずしも生まれた環境や容姿、金銭の有無に紐付かないという事です。

天から与えられた環境、与えられた肉体で、その人なりに幸せだと感じる状況を作り出せれば、それは「人間関係が最悪で死にたい」と感じている大富豪よりも幸せなのです。
これは健常者や障碍者に関係なく、等しくすべての人に言える事です。

生まれた時から先天性の病気で余命が短く、わずか数年で亡くなる子供たちもいますが、両親に愛されて懸命に生き、幸せに短い生涯を全うする子供もいます。

これを追求していくと因果論になるので深堀りはしませんが、生まれた時からの環境をありがたく感謝し、現状に不満があるのなら努力で改善していけば良いのです。

『SNOOPY(スヌーピー)』の、ルーシーとスヌーピーのやりとりが、とても印象的だと思いましたので抜粋してみます。

ルーシー「ときどき,私はどうしてあなたが犬なんかでいられるのか,不思議に思うわ」
スヌーピー「配られたカードで勝負するっきゃないのさ。それがどういう意味であれ」

どういう環境で生まれた人にしても、素晴らしい人、幸せになる人の多くは、”正しく諦める”という事を知っている人でしょう。
無い物ねだりはせず、そこに執着せず、スヌーピーのように自分に配られたカードで勝負をします。

そして、小さな事から大きな事まで、感謝が出来る人は幸運を呼び寄せます。
感謝をして生きるという事は誰にでもできますが、多くの人はこのチャンスを自ら捨てています。
幸せになるチャンスを自ら放棄しているのです。

感謝をして生きるだけで心が豊かになり、幸せを感じる事ができますので、経済的にもとってもお得(徳)です笑

少しでも、ご参考になるところがあれば嬉しいです。


あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊


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