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初めまして MISATO です!

皆様、初めまして。
大覺全珠院/千ノ糸の曾根深里です。

私は全珠院で働きながら、
千ノ糸という屋号でお茶屋とギャラリーをしていながら、
タイ・チェンマイで大学院生をしております。

そんな私の、寺の娘だからこそ、皆様にお伝えできるストーリーを書かせてください。



初めまして

自己紹介



「寺の娘だから、好きにやってるんでしょう」

びっくりタイトルで失礼します。
しかし、これは私が人生ダントツで言われてきたことです。
皆様の中にも、「お寺の人」=「金持ち」と思われる方いらっしゃるのではないでしょうか。

現に、私は大学まで本当に苦労せず出させていただきました。しかし、両親が本当に苦労していたのは知っていたし、両親と過ごす時間がなかったのも本当。

というのも、私が幼少期の頃に、全珠院が廃寺の危機を迎え、今のように大きくなるために両親が全てを犠牲にしてきたからです。ただ、子供には悟られないように、悟られないようにしてくれました。

そして廃寺を免れるために大きな復興をした時にした借入金を、いまだに返しながらお寺を運営している。ちょっぴり変わったお寺が私の実家です。

私のこと

ー大学4年の春

学生でいるうちは好きな勉強をしてもいいが、必ず全珠院を継ぐこと
これが私の枷(かせ)でした。

大学4年に上がるとき、東日本大震災に襲われ、私が下宿していた青森県十和田市も大きな被害を受けました。
国からのお達しで、教授から震災をテーマに実地研究が課せられ、それまで私は水耕栽培を研究テーマにしていたのを変えて「塩害により汚染された農耕地」の研究に切り替えました。(当時の研究室が土壌物理学だったので)

私は、枷のせいで、どことなく無気力な学生でした。「やりたいことをしても帰らないといけない。」就活もするつもりもなかったし、大学院へ進むつもりもありませんでした。

しかし、この大学4年の研究は私を大きく変えました。

ー研究は人を救う

研究が始まり、被災地へ赴きました。
そこで私は大きな衝撃を受けます。「におい」です。

映像では見ていた
波の音も聞いていた
知識としても持っていた

でも、においは・・・・・・

塩の、海の、油の、腐敗の、生命の、そんなにおいを感じました。

実際に農家さんに話を聞き、その絶望に押し潰されました。

烏滸がましいけれど
私がする研究が人を救えるのだったら、
少しでも可能性を見せることができるのなら、精一杯尽くしたい

そう思いました。


ー大学4年の時に決意した進路

がむしゃらに寝ることも食べることもせずに行った研究。
ありがたいことに、先生方からは評価をいただき学部生ながら大きな学会で発表もさせていただきました。

けど、学部生の研究しかも震災から半年間では農家さんを救うなんて大きなことは言えません。

私は、「大学院へ行きたい」と両親に伝えました。
住職である父は、ふたつ返事で承諾。
しかしいつも真っ先に応援し「深里はお寺に縛られて生きて欲しくない」と言っていた母が渋ったのでした。

ー母の想いとその後

受ける大学院を海外1校、日本1校と決めかけた頃、母から重大な告白をされます。

「実は持病が悪化してしまった。お母さんが元気なうちに帰ってきて欲しい」

私は、なぜか迷いませんでした。大学を卒業したら速やかに帰る約束をし、先生にもそう伝え、卒業後はお寺に速やかに帰りました。

その一年後、母は亡くなりました。

一年で「お寺での心のつくし方」「檀家様との距離感」「寺族として何ができるか」をたくさん教えてもらいました。たくさん思い出もできました。

ー継ぐということの重さ

母が亡くなってすぐは、心配の声と同時に叱咤もいただきました。

「お母さんは、優しく対応してくれたよ」
「お母さんの淹れたお茶は美味しかったのになあ」
「お母さんみたいないい人、甘やかされた貴方にはなれないね」

この声は、私をどんどん苦しめどんどん追い込みました。
パニック障害、躁鬱病、自殺未遂をしたり、住職にも妹にも迷惑をたくさんかけました。

明日がやってくるのが怖かった。
いない人と比べられる恐怖に20代前半の私は耐えられなかったのでした。

「まずは檀家様を安心させて、それで世間を納得させないと」と考えた私は焦って結婚しますが、大失敗。
その失敗でさらに中傷されました。


ー家族と友達。そして自由になること

見かねた友達と家族が私に言ったこと
昔そんなんじゃなかったよ。元気で生き生きとした時に戻って
そして私を遠くに連れて旅行してくれたり、プライベートヨガに連れて行ってくれたり、たくさんたくさん面倒を見てくれました。

「もっと自由に生きてほしい」そういった住職。

「お前が寺の娘として継ぐことが、お前の一番の幸せだと思っていたし、お父さんの願いだけど、でも違うかもしれない。
仏教で自由は『自らに由る」依存せず、頼らず、自立して生きる。ということ。
お前には、それを望んでいるよ」


ー幸せとお茶


住職からの願いを聞き、私は「自分の幸せ」を考えるようになりました。
私の幸せってどこからくるのかな?
一番幸せだった時間ってなんだろうか?

そこで、「お茶の時間」が幸せの象徴であったことを想い出したのです。

母は色々な付き合いで忙しく一緒に過ごす時間も少なかったけど、
母が淹れてくれた煎茶を飲む毎日10分の時間が幸せでした。

母が亡くなった後、あまり会話をしていたなかった父、
その父が会話のきっかけを持とうと淹れてくれた朝のお茶の時間が私たちを強くさせました。

「私の幸せ」=「お茶の時間」
きっと世界には、私以上にこの「お茶の時間」を必要としている方々がいらっしゃる。

そう思い、私は「千ノ糸」という屋号で活動することにしました。


2024/7/5号ビジネスレポート

ー現在:チェンマイ

2年前、静岡県立大学のアムナー助教授に誘っていただき、チェンライMFL大学でのプロジェクトに参加しました。
文化交流ということで和菓子を村で作る講師です。(また詳しく今度載せます)

その流れで、MFL大学の先生方をはじめ世界の先生や著名人に「お観音様のお茶」を知っていただく機会を得ました。

私が日本でお茶をはじめ活動しているときは、「寺の娘が趣味で好き勝手やってるらしい」という噂が足を引っ張り、想いが伝わらないと限界を感じていました。

しかし、私へのタイでの評価は全然真逆のものでした。そしてチェンマイで活動し自分の夢の可能性を広げている方にたくさんお会いしました。
その中には、私は昔からファンでいたMonsoon TeaのCEOもいます。

チェンマイはタイ北部に位置し、多くの歴史と民族を抱え、そして外国人も多く集まる場所。

チェンマイで多くを学びたい」そう決意し住職や職員さんに相談。

父は泣いて喜んでくれ、私は33歳にして海外留学を決意し、昨年11月よりチェンマイで学んでいます。(といっても3ヶ月に1度は日本に帰っています)

最後に

全珠院が大好き

昨年2023年4月に「千年仏縁起」というプロジェクトを発表しました。

過去のクラファンはこちら
現在挑戦中のクラファンはこちら
応援いただければ嬉しいです!

その中で、多くの皆様の夢や希望、そして未来への想いに触れました。

これは私の中で大きな原動力になり、「まだまだ日本は前へ進める」と確信をしました。皆様には感謝しております。

チェンマイに行ってから、やはり心配の声を多くいただきます。
全珠院を捨ててしまったのか?

答えは「NO」です。

全珠院がもっとグローバルに、そして未来へ継ながるために私は勉強しています。

私の幸せは「お茶の時間」だけど、
それを作ってくれたのは紛れもなく「父と母」
その両親が大事にしてきた「全珠院」を私は守っていきたいのです。

ブログについて

このnoteは、全珠院・千年仏縁起・千ノ糸・プライベート 全てごちゃ混ぜに書きます。
分けようと思いつつ、、、でも「わたし」は、全部の要素でできているので、皆様に共有したいと思いました。

多分、毎回長い文章になると思います。
見出しをつけていきますので、読んで休憩してを繰り返して最後まで読んでいただけると嬉しいです。

今後とも末ながくご縁をいただけると幸いです。

MISATO


全珠院Webサイト https://daikakujizenshuin.jp/

千年仏Webサイト https://1000buddha.jp/

千ノ糸Webサイト https://1000noito.com/

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