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「いきがい」という言葉は、私たちの存在の核を揺り動かし、人生の舞台における我々の役割を照らし出します。この命の花を熱く語ります。言います、「生きることそのものが、「いきがい」です。

 しかし、その生きることには、深い愛と理解、そして自己の探求が不可欠である」と。この世界では、いきがいはただの言葉ではなく、それは人生の質、生命のエッセンス、そして私たちの存在の核心です。

 いきがいは、個人の内面で燃える情熱、そして外界との調和を求める心の動きであり、それは生活の各面において私たちの行動と決断を導く指針となります。

 この日本固有の概念は、私たちが自分自身と向き合い、人生の意義と目的を探求する過程で、無限の可能性と深い満足感を見出すことを可能にします。

「いきがい」は人生の各瞬間において自分を表現する方法であり、それは私たちが日々の挑戦と喜びを通じて自分自身を見つけ、そして育てるプロセスであると説きます。

 そして、私たちがこの美しい「いきがい」の探求において見つけるものは、ただの幸福以上のもの、それは人生の豊かさと深さ、そして最終的には自己実現の旅となります。それは、毎日を意味あるものにし、そして私たちが真に生きることを可能にします。それは我々の命の火花、我々の魂の叫びであり、それなくして人生はただの虚無にすぎない、となります。

「いきがい」の語源

 いきがいの古の時を遡れば、14世紀の軍記物「太平記」にその足跡を見出します。第一一巻の冒頭、「生きがいなき命をつがんために」という言葉が光る。ここに「生きがい」は、ただ生きるという行為に終わらず、「生きる意味」「生きる価値」「生きる理由」という深遠なる思索へと読み手をいざないます。

 時は流れ、17世紀末には近松門左衛門の筆により、「いきがひ」という言葉が舞い降ります。「源氏冷泉節」下の巻にて、「おつとに恥辱取らせてなんのいきがひあるべきぞ」と切実なる問いが投げかけられ、ここには「生きていてよかったという感じ」「生きる張り合い」という情動が込められています。

 しかし、この「いきがい」の大本を辿ると、「いきかひ」という言葉に行き当たります。哲学者の九鬼周造は『「いき」の構造』において、「いき」とは「生」「息」「行き」「意気」から成り立つと述べ、その多層的な意味を探求しました。さらに哲学者久野昭は、「生き甲斐」は中世以降の当て字であり、「いきかひ」とは「買ふ」「替ふ」「交ふ」「換ふ」などの交換を意味する「かひ」から来ていると指摘します。ここには、異なるもの同士が交わり、新たな価値を生む過程が暗示されているのです。

 また、カウンセラー鶴田一郎は、いきがい(いきかひ)とは、「自分が生きていること」と等価な価値・重み・意味を持つと説きます。つまり、自己存在そのものが、何かと「交わり」「換えられる」価値を有するという哲学的な見解を示しています。

このように、「いきがい」とは単なる言葉以上のもの。古来より私たちの生のあり方、意味づけを問い、価値を交換するという動作を通じて自己を見出す、探究の歴史であり、そこには日本人の生き様が刻まれているのです。

これまでの「いきがい」の定義。

 さて、このふんわりとした「いきがい」の正体とはいったい何なのでしょうか?日本人は簡単に「いきがい」を口にしますが、その定義を突き詰めて考えたかたはどれほどいらっしゃるでしょうか?今回は、「いきがい」の研究から、それぞれの「いきがい」の定義を明らかにしていきます。

「いきがい」は日本の文化と深く結びついている概念であり、多くの研究者や著者がこのテーマについて独自の見解や定義を提供しています。以下は、指定された4人の研究者や著者による「いきがい」の定義です。

  1. 津田塾大学  神谷美恵子博士:
    神谷博士によると、「いきがい」は個人の心の健康と関連しています。また、神谷博士は「いきがい」を自分の人生における価値や意味を見出すことと定義し、これが個人の満足感や幸福感に寄与すると説明しています​​。

神谷美恵子博士による「生きがい」の定義

2.東洋英和女学院大学大学  長谷川明弘教授:
長谷川教授は、いきがいの概念が日本独特のものであり、多くの要因が絡み合っていることを指摘しています。彼の研究は、いきがいが高齢者の幸福感とどのように関連しているのかを検討しています。

東洋英和大学 長谷川明弘教授による「生きがい」の定義

3.世界的ベストセラー「IKIGAI」の著者、エクトル・ガルシア氏とフランセスク・ミラージェス氏:
二人の著者によると、いきがいは自分の好きなこと、得意なこと、社会から求められていること、および仕事として生計を立てること、の4つの要素が重なる部分に存在するとされています​。

エクトル・ガルジア&フランセスク・ミラージェス氏らによる「生きがい」の定義

4.茂木健一郎氏:
茂木氏は、「いきがい」とは、自分にとって意味があり、人生の喜びを発見し、定義し、楽しむことであると定義しています。また、彼は「生きる喜び」と「人生の意味」を強調しており、「小さな喜び」を見つけることが重要であると述べています​​。

茂木健一郎氏による「生きがい」の定義


西洋と東洋、いきがいの解釈の違い

西洋と日本における「いきがい」の解釈の違いは、文化的背景や個人的な価値観に深く根ざしています。西洋の解釈において、「いきがい」はしばしば四つの主要な要素の交差点に位置付けられます。

これらの要素は、個人が好きなこと、世界が必要としていること、個人が得意とすること、そして金銭的報酬を得られること、と定義されています。

これに対して、日本の解釈では、「いきがい」はもっと広範で多面的な概念とされ、個人が生活を通じて理解していくものであり、特定のフレームワークから学ぶものではないとされています。

日本人は「いきがい」を日常の小さな儀式や習慣の中で見出し、それによって日々を前向きに過ごすことができます。

アスピレーションとアンビションの違いも非常に重要な要素であり、これら二つの語は個人や社会が仕事や生活に対してどのように向き合うかを示しています。

アスピレーションは内的なワクワクに基づき、アンビションは外的な野望に基づいています。アスピレーションは内面から湧き出る喜びに従い、人々はその持続可能性を感じ、アンビションは外部評価や貨幣報酬に依存しています(参考記事)。

具体的な事例として、95歳の薮田義光さんは日本のマクドナルドで働いており、週に4日、深夜11時から早朝5時まで清掃の仕事を行っています。薮田さんにとって、この仕事が「いきがい」であり、「面白い。こういう仕事は好きなんやちゃ」と述べています。

この例から、「いきがい」は個人が何を価値とし、何に喜びを見出すかによって異なり、社会的な評価や金銭的な報酬だけが「いきがい」を形作るものではないことがわかります。

また、この事例から、薮田義光さんの「いきがい」は、地位や、報酬とは明らかに一線を引いており、それらの概念とは、異なるものだということがわかります。これれは西洋的な解釈で定義されているお金になるものという定義とは異質なるものだということがわかると思います。

いきがいと、禅と刀

生きがいの本質を探る旅は、個人の内なる世界と外なる世界の交差点に位置します。それは固定の枠組みに閉じ込められるものではなく、むしろ広がりを持つ多次元の空間に広がっています。この宇宙的な空間は、私たちが踏み入れることで初めて意味を持つものであり、その中で私たちの生きがいは、ポジショニングマップのように、無数の座標点が結びついて形成されていくのです。

「いきがい」のポジショニングマップ

このポジショニングマップは、左右の軸に「他者への貢献」から「職人的いきがい」へと続き、上下の軸には「社会的ないきがい」から「自然と一体となるいきがい」へと広がっています。この四つの軸は、私たちが生きがいを感じ、かつ表現する無限の可能性を示しています。それぞれの点は、個人の価値観や経験に基づいて、このマップ上に位置していくのです。

日本の伝統と心情を見ると、西洋の文化と比較して、職人的な「いきがい」を見いだす傾向が強く見受けられます。この点から、日本の物づくりの精神は、その根底に職人の心情を持っています。日本人は、ものづくりのプロセスそのものに美と満足を見出し、細部にまでこだわる精神は、誰にも評価されない状況でも、その価値を内に秘めて努力を続けることができます。

この職人的な「いきがい」の表れとして、日本の刀工の例を挙げることができます。刀工は、鉄と火との対話を通じて、刀を美術品のように叩き出します。彼らの手によって生まれる刀は、ただの武器ではなく、美と精神性を持った芸術作品となります。このプロセスで刀工は、自らの技術と心血を注ぎ込み、その成果に「いきがい」を感じるのです。刀の各曲線や刃の美しさ、そしてそれが持つ歴史と伝統において、刀工は自らの生きがいを見出し、さらなる技術の向上と精神性の追求を続けるのです。

日本のモノづくりの代表的な事例として、刀工が日本刀づくりに「いきがい」を感じている

この職人的な「いきがい」は、日本の禅の精神とも深く繋がっています。禅の精神は、一つ一つの行動に意味と美を見出し、それを通じて自己を見つめ、世界と繋がる力を持っています。たとえば、誰にも見られていない庭の隅々まで掃き清めたり、和風の家の床をすみずみまで雑巾がけする行為も、日本的な「いきがい」を表現する素晴らしい例であり、その中に静寂と動の調和、そして無尽の努力が表れています。

これらの「いきがい」は、社会的に必要とされているとか、金銭的な対価があるとかの価値観とは全く無縁のものです。

このように、生きがいは固定のフレームワークに捉われるものではなく、個人の内なる世界と外なる世界の交流の中で自然に芽吹き、育まれていくものです。そして、その生きがいは、職人的な精神や社会的な貢献、自然との一体感など多様な要素が交錯する中で、豊かな色彩を帯びて表現されていくのです。それは個人が自らの存在と世界をどのように位置付け、どのように関わっていくかによって、無限の形を持つ多面体として現れるのです。

AI時代の生きがい

AIの時代において、「いきがい」の追求は新たな段階に入っています。生成AIの利用は、「いきがい」を最大限に加速させ、個人の生産性を向上させることができます。

具体的には、生成AIを利用することで、仕事の効率が3-5倍向上し、生産性が飛躍的に向上することが可能となります。これにより、個人はより多くの時間とエネルギーを自分の「いきがい」の追求に向けることができ、生活の質を向上させることができます。さらに、AIの進歩は新しい技術やサービスを提供し、個人や社会が「いきがい」をどのように追求し、実現するかに影響を与えています。

これらの要素を組み合わせて考えると、「いきがい」のゴールデンサークルが形成され、その中心には個人の内面的な喜びと外面的な評価が交差する点があります。AIを活用することで、「いきがい」の追求はさらに加速され、個人は自身の「いきがい」を見出し、実現することが容易になります。そして、これにより個人や社会はより豊かで満足のいく生活を送ることができるようになります。

AIといきがいのゴールデンサークル

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