見出し画像

「「おもてなしの心」「スピード・実行・継続」をキーワードにして、常に新しい「物作り」にチャレンジ」 浜野製作所 浜野慶一さん

本記事は2015年に対談したものです。情報はその当時のものですので、ご了承ください。

●今の仕事がはじまったきっかけ

画像1

enmono はい。とういうことで、第107回マイクロモノづくりストリーミング、本日も始まりました。本日は浜野製作所さんにお伺いしました。色々とワクワクする新しいモノづくりの取り組みを社長に伺っていきたいと思います。まずは簡単にどんなことをやっていらっしゃるかご説明いただいてもよろしいですか?

浜野 まず簡単に会社の概要ですけども、創業38年目の板金加工屋・プレス加工屋であります。プレスの金型を作ったり、マシニングとか部材の切削加工なんかもしますけども、基本的には板金屋・プレス屋・金型屋という業務内容です。

画像2

enmono 普通だったら町工場さんというのはBtoBの仕事がメインだと思うんですけど、割とメーカーさんと一緒にモノづくりに取り組まれています。江戸っ子1号とか電気自動車とか、今まで町工場さんがやってこなかったモノづくりにどんどん取り組まれていると思うんですが、なにかきっかけはあったんでしょうか?

浜野 基本的にはBtoBが売上の主力であることは間違いないんですけども、一番最初にがっつりした下請仕事以外のことをしたのが「電気自動車HOKUSAI」のプロジェクトですね。これを早稲田大学との産学連携で作ったというのがこれになります。

enmono それは行政サイドからそういうのをやりましょうという声かけがあったんでしょうか?

浜野 2003年だったと思いますけど墨田区と早稲田大学が包括提携をしたんですね。

(編注:2002年、墨田区と早稲田大学が包括的な産学官連携協定を締結)

浜野 今は墨田区は東京スカイツリーがあって観光をされる方も結構いっぱいいますけども、昔はそんなの建ってないし、大きな工場、大きな会社もないし、公営ギャンブルないし、税収ってどこから引っ張ってくるのっていったら、やっぱり町工場からしかないんですね。しかしその町工場もどんどん墨田区からなくなっていく。下請企業ながらせっかくいい技術を持っているんだから、それを大学と町工場が繋がってシーズとニーズのマッチングをして町工場をもっと元気にしたいっていうのが墨田区側にあったんですね。いろいろな大学とやりたいよねと思ったのは、墨田区は23区で唯一大学のない区なんですよ。それでいろいろお話をしてたら早稲田大学が一緒にやりましょうっていう形で、それが包括提携。その中から出てきたのがこの電気自動車を作ろうというプロジェクトです。


●志の集う場所――Garage Sumida

enmono 今、Garage Sumida等の新しい取り組みをたくさんされていますが、その辺のご紹介をお願いしてもよろしいですか?

浜野 Garage Sumidaは昨年の4月16日に起ち上げたんですけど、こんなような設備を入れて……特別ワークショップをやっているわけではないし、機械の貸し出しをやっているわけではないんですけども、じゃあなにやってんだっていう話なんですけども……。

浜野 墨田区も最盛期の時には9700~9800くらい町工場があったんですよ。ですけど今は3000を切っちゃってるんですね。最盛期の1/3以下になっちゃってる。昨年墨田区が町工場の全数企業調査というのをやったら、5年以内に廃業もしくは廃業を予定しているという会社は500社あったっていうんですよ。それが本当だとすると、5年後には最盛期の1/4になっちゃう。

浜野 これ墨田の話だけじゃなくて、大田区もそうですし、東大阪もそうでしょうし。結局僕ら小さな町工場なので、1社でできることって限りがあって、昔だったら3軒先のメッキ屋さんがなくなると、「ああ、あそこも結構大変だったんだなぁ。社長も苦労したんだろうなぁ」みたいな話ですけど、こんだけなくなってくると3軒先のメッキ屋がなくなると、やっぱり自分たちにも降りかかってくることじゃないですか。

画像3

enmono やってくれるところがなくなっちゃうと請けてた仕事も請けられなくなっちゃう。

浜野 そうなんですよ。ましてやプレスとか板金とか金型とかメッキとか鋳物なんていう、まぁいわゆる基盤技術って言われるモノを作る上で一番ベースになる技術のそういう業界業種がなくなってきてる。これ、なかなか新規創業がないじゃないですか。

enmono 設備がすごく必要ですし、技術も必要。

浜野 そう。それでも今やってるところが長年やりながらお客さんも従業員も抱えながらなかなかやってけないので、みんなやめてしまうわけですよね。だからこれから大きな志をもってメッキ屋さんやりましょうなんて言ってもなかなか昔と違ってできない。減ることはあっても増えることがない業界業種なので、今この時期にこの小さな町工場をみんなで協力して残していかないと日本全体のモノづくりの力が落ちちゃうんじゃないのかなと。これをGarage Sumidaでやりたい。

enmono 一般の人も来てもらって、モノづくりに興味を持ってもらいたいという……。

浜野 そうです。結局我々って三木さんも仰いましたけどもBtoBの――BtoBって言うと格好いいけど、要は下請仕事じゃないですか。ずーっと20年も30年もある大企業についていれば善く悪くもなんとなく飯が食えてきた。その大企業も今なかなか苦しくて、海外に生産拠点持ってかないといけないとか。そうするとある時に、ずっと30年付き合ってきた(大手の)工場が閉鎖しますよということになると、その(下請の)工場ももうダメだよなということになってしまう。

浜野 だけど、大手さんからの仕事だけではなくてモノづくりしたいっていう人は、もっともっと色んなところにあるよなと。日本だけでなく海外も含めて。ましてや、我々がやってきた切削なんかの加工技術は3Dプリンターなんかが出るとこれでいいじゃんと。刃物でアレするわけじゃないし、CAMで苦労するわけでもないし、もう三次元のデータがあったらこれで出力しちゃえばいいじゃないのよって言うんですけども、多分この3Dプリンターが出たことによって、確かに最初は脅威ではあったと思うんですけど、モノづくりをしたいだとか、こういうものがあるんだったらちょっとモノを作ってみようかなとモノづくりに興味を持ってくれる人が確実に増えてきてるんだと思うんですよ。今まで興味がなくてモノづくりなんかできないよねって言ってた人たちが、ちょっと作ってみようかなと、だからこの3Dプリンターのおかげで裾野が確実に広がっていると思うんです。

浜野 そういう人たちをうまく取りこんで今後の中小企業の活性化とか、日本の基盤技術をなんとかここで守るというのが、Garage Sumidaの――いいかっこしいの話をすれば――そういうことです。これは真面目にそう思ってるんですよ。

画像4

enmono 裾野が広がっているというのは、若い人からお年寄りまで、それとも男女に広がっているんでしょうか?

浜野 僕らは結局モノづくりの部分でしかサポートできないので、enmonoさんはこういう形でクラウドファンディングだとかも含めてこういうところが1個あると、取っかかりやすいですよね。そういう(興味を持ってくれた)人と町工場ってなかなかダイレクトに繋がらないんです。中間地点を作らないとダメなんですよ。

enmono いきなり工場の社長さんと対面してもお互い困ってしまいますもんね。

浜野 ウチはそういうものが内蔵機能として入っているのであれですけど、ファンディングだったりスタートアップの起業家の支援だとかはやっぱり僕らはできないんでね。そういう翻訳したり通訳したり、コネクターとして御社はすごく重要な役割を担っているんだと僕は思いますよ。

enmono ありがとうございます。

画像5


●Garage Sumidaが生まれたわけ

enmono ここに来られたメーカーさんの何人かが浜野さんのマンションに居候しているとか……?

浜野 ああ(笑)。まぁ……居候というか、インキュベーションみたいな形で……住民票とか取ってずっと住まわれると困るんですけど、いわゆるシェアハウスみたいな形ですよね。

enmono それは何年くらい……?

浜野 これをやりはじめたのが昨年の4月16日ですから、まだ1年ちょっとくらいですかね。

enmono 何人くらい居候してたんですか?

浜野 もうインキュベーションから出てった子もいますけども、一番多い時は6人くらい住んでたり。出てく子もいるし、新しく入ってくる子もいるし、そんな感じでグルグルグルグル。

画像6

enmono どうやって知り合うんですか? いきなり居候させてくださいって来るわけじゃないですよね。

浜野 Garage Sumidaの運営はウチの会社が中心になってやってるんですけども、外部の力とか、全然違う目線を入れたいと思ってて、ある子と一緒にやってるんですね。その子が大学3年生の時に自分で起業をして六本木のシェアハウスをやってたんですよ。

enmono 野村さん?

浜野 そうそう野村君、DESIREPATHの。主にIT系のシェアハウスで。だけどある時、大家さんだか貸し主さんから家賃あげたいんですけどと言われて、みんなに言ったら「なかなかそれは難しい」と、自分もなかなかそれは払えない。だけどIT屋さんというのは放っといてもそういうのは自主的にやるので、もう一回ちょっと考え直そうといって、僕に挨拶に来たんですよ。その報告をしに。

浜野 彼もフットワークが軽いのであっち行ったりこっち行ったりして、ウチにもちょっと来て挨拶をしてたので昔から知ってたんですね。で、「(IT向けのシェアハウスを)閉じます。今後はモノづくり系のそういうのをやりたいんだ」と。「とりあえず一回出なきゃいけない。引っ越すので」と言うので「どこへ行くんだ?」と聞いたら「南千住」って言うから、「なぜ南千住なの?」って聞いたら、「いや、都内で比較的安い、家賃2万円くらいで共同トイレで、銭湯行ったっていいんです」という話を彼が言ってきたので、「だったらあんた、モノづくりをしたいって言って南千住はないやろと。それおかしいやろと。モノづくりっていったら墨田だと。だったら今ウチのマンションが空いてるから、2万円だったら2万円でいいんで、ウチに来てウチの仕事を手伝えば色んなところを紹介もしてあげるし、どうだい」って。「え、いいんですか」って彼がウチのマンションに住み始めたんです。それがGarage Sumidaがオープンする半年くらい前かもしれないです。

浜野 で、一緒に住んでれば……というか一緒にいれば、メシ食ったり話もしたりするじゃないですか。そもそもあなたそういうシェアハウスをやってたんだったら、ここをシェアハウスにしてはどうだろうか、みたいな。で、彼を管理人みたいにして。

画像7

浜野 あとはロボット作ってたオリィ研究所の子たちもスタートアップでやっぱりそこに住んでたんですよ。で、彼らと野村君が合わさると、変な化学反応というか変な煙が出てくるわけですよ。

浜野 で、おもしろい人が集まっているから、みんなで自分の友達を1人ずつ連れてきて、飲み会やろうよって言ったんですよ。で、1人ずつ連れてきたら、連れてこられたヤツがまたおかしなヤツで、これおもしろいねってFacebookとかで報告をupしてたら、私も参加したいとか言って色んな人たちが集まってきて、そういう子が自然と入りたいんですけどもと言ってシェアハウスになってるという次第です。

enmono 不思議なご縁ですね。

浜野 そうなんですよ。

enmono 浜野さんご自身も「おもしろそうだ」という方向へ進んでいくタイプなんですか?

浜野 「おもしろそうだ」というのもあるんですけど、違う風を入れることでなんか起きるだろうなというのがあって。金型だったら金型の専門職の方は中心としていなきゃいけないんですけど、金型屋さんばっかり集めても新しいものってできないんですよ。だから業界とか立場とか年齢とか性別とか国籍だとか、違う人をそこに入れると新しいことができるだろうなっていうことは、なんとなく朧気ながら思ってたので。

浜野 あともう一つ、面白そうだと思ったからやっただけではなくて、違う業界業種の立場の違った人たちと組むっていうことと、あともう一つは彼らがすごく志を持ってるんですね。単純にモノづくり面白そうだからやってみようじゃなくて、なんのためにこれをやるんだっていうちゃんとした志。それが最終的に世の中のためになったり、日本の製造業のためになったり、そういうことをちゃんと考えている子がいて、こういう子たちだったら一緒になにかやりたいなって思いがあったんですよね。

enmono 入れ替わりの期間みたいのはあるんですか?

浜野 期間は、その会社さんの次のビジネスがうまくいったり、たとえばオリィ研究所の彼は夢アワードで優勝して2000万円賞金をもらったので、渡邉美樹さんがやっているベンチャープランコンテストみたいなヤツで、昨年の最優秀賞です。で、元手ができて自分ところの事務所を構えましょうっていって今そっちでやってますけどね。まぁ年がら年中会うし、モノづくりの部分では協力もしてます。

浜野 彼も自分の幼少期の体験なんですよね。小学校の時に身体が弱くて、2年か3年くらい病院にずっと入院してたんですって。最初は友達とか親御さんとかお見舞いに行くんだけども、ずーっとだからなかなか来られない。テレビ見てもゲームやってもおもしろくないし、ずっと病院の白い天井を見て過ごしていた。その時、唯一おもしろいと思ったのが折り紙で、ずっと折っていたそうです。

画像8

浜野 なんとか中学になって学校へも戻ったんだけど、全然勉強していないんで学力が追いつかない。だけどモノづくりが好きで、奈良県の工業高校に入ったんですね。高校行っても朝から晩まで工作漬けで旋盤回してたって言ってましたけどね。さて卒業してどうしようかなと思ったら、3年の時に早稲田の副総長から連絡があって、早稲田に来いと。車椅子の製作でいい評価を得たみたいですね。で、特待生みたいな形で、今、早稲田大学の理工学部の学生なんですよ。

浜野 よくよく考えると、障害や病気があって、親から離されて、隔離されて過ごしている子どもが何万人も日本にいると。僕は医者じゃないので治せないけども、せめてその寂しい心を癒やしてくれるようなロボットをっていうストーリーがあるんですよね。この前会ったら26歳の従業員を雇ったっていうんですね。その子は4歳の時に交通事故に遭って脊椎を損傷して22年間ずっと寝たきりなんですって。その子がオリィ研究所の社員になって、開発だったり、こういう風にやったらもうちょっと使えるだとか、社員として正規雇用して。だから若いながらも苦労してて、やっぱりそういう志がある。これをフォローしたいよねっていう思いもやっぱりね。まぁいろいろみんなストーリーを持ってて、そういう子たちが今はいますね。

enmono Garage Sumidaをこの間拝見しましたが、場所そのものも素晴らしいオーラを放っていたんですが、この中に入っていらっしゃる方々がそれぞれ魅力的な人が多いのかなと感じました。

浜野 若いながら高い志を持ってますね。

enmono そういう若い人が結構いるというのは、未来に繋がりますよね。


●日本のモノづくりの未来

enmono 最後に質問です。浜野さんがお考えになっている日本のモノづくりの未来。こういう風になっていったらいいなぁという思いをお聞かせください。

浜野 30数年前にプレジデントっていう雑誌のインタビューで、本田宗一郎さんとソニーの創業者森田さん2人の対談というのがあったらしくて、その復刻版みたいのが何年か前に出てたんですよ。その記事を読んだら、30数年前なのにあの2人は「大量生産・大量消費の製品は発展途上国が豊かになるために譲ってあげなさい。これからの日本のモノづくりはより一層世の中のためになる人の役に立つ付加価値の高いモノづくりをチャレンジしていきなさい」っていうことを30数年前にあの2人が言ってたという記事が載ってたんですよ。

画像9

浜野 それ見て、背中がゾクゾクっと来て「そうだよなぁ」って思って、すごく自分の中で衝撃が走ったんですね。まさしく今僕が思ってるのはそういうモノづくりで、やっぱり人のため世の中のために、38年やってきたこの板金屋・プレス屋の技術が活用できたり、そういう市場とか、そういう装置なのか、そういうところで仕事をしていきたいなぁと思ってます。多分日本はそういう形の、付加価値の高いモノづくりを今後できるような形になってくると思うので、僕は日本のモノづくりの未来はすごく明るいなぁと。ましてやそういうことをサポートする御社みたいな人たちが、やっぱり今出てきてるじゃないですか。

enmono はい。

浜野 我々ベタな職人だけじゃなくて、ここも未来に繋がるというか、志の高さでお二方のような方たちが今後日本のモノづくりを引っ張っていってもらいたいと僕は思っています。

enmono 綺麗にまとめていただいてありがとうございます(笑)。

浜野 ありがとうございます(笑)。

enmono 浜野製作所の浜野さんでした。今日はどうもありがとうございました。

浜野 いえいえ、どうもありがとうございました。好き勝手申しあげまして失礼しました。

画像10


対談動画


▼浜野製作所


▼オリィ研究所


▼江戸っ子1号プロジェクト公式ウェブサイト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?