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貞観政要はリーダー論の本なのか?

貞観政要(じょうがんせいよう)を読んだ。
2021年に出版された講談社学術文庫版だ。

貞観政要(講談社学術文庫版)

貞観政要とは

それってなんじゃいって人のためにごくごく簡単に説明する。
貞観政要は中国の古典で、唐の二代目皇帝「太宗」と彼の臣下たちとの間で交わされた問答集だ。
太宗が国家を運営するにあたって生じた種々様々の問題について、どうすべきか議論した結果や臣下の上奏文が集められている。

ひとつ挙げるとこんな感じ。
ある時太宗が罪を犯した者へ死刑を宣告した。しかし、その罪は宣告後に法律の条文に照らし合わせてみると死刑に値するものではなかった。どう処理すべきか?

──皆さんはどうだろうか。私はなかなか興味をそそられる話だと感じた。
こういうのが面白いと思える方にはお勧めの本だ。
なにこれつまんないと感じた方はおそらく読了できないので他の本を探したほうがいい。

待望の全訳登場

貞観政要は私が昔から読んでみたい本のひとつだったのだけれども、良い訳本がなく、なかなか手が付けられなかった。
悲しいかな、勉強が嫌いな私に白文で訓み下す学力はない。

良い訳本がなかったというのは二つ理由がある。
従来の訳本は抄訳ばかりだったのが一つ。
あと一つは、こっちが良くない理由の大部分なのだが、なぜか訳者の余計なコメントが入っているのがもう一つ。
貞観政要の逸話を抜き出して紹介したあと、訳者が自分のビジネス経験を引き合いにあれこれ語ってしまっているのだ。
これはうざい。
俺は名君太宗の言動が知りたいんだ、訳者のお前の浅いビジネス観を講釈されたいわけじゃない。

というわけで、私からすると今までの貞観政要はお手軽ビジネス書の箔付けに利用されているケースが多かったように思う。
非常に有名でありながらちょっと紹介のされ方が歪んでいる本だった。

そこへ待望の不純物無し全訳の登場となったのだ。
私の足は当然のように書店へ向かった。
ただ、店頭で手に取った貞観政要は物理的に重く、正直レジへ持っていくのを一瞬だけためらった。
購入後に確認してみると文庫サイズで750ページ以上あり、縦に置くとそのまま自立する分厚さだ。

貞観政要はリーダー論の本なのか?

これから貞観政要のどくしょかんそうぶんを書いていくが、やはり全訳を読んで良かったと思う。
抄訳を読んでいたら(三分の一の時間で読了できただろうが)間違いなく異なった感想になっていただろう。
全訳版の訳者も、後書きで、抄訳じゃ読んだことにならねえと述べている。

貞観政要がリーダー論の本なのかと聞かれれば、そういう観点で読んでも得るものが多い本だと答えざるを得ない。
貞観政要では繰り返し部下の力を引き出す方法が説かれる。
無謬の人間はいないから小さなミスを責めてはいけない、皇帝が難しい表情をしていては部下が意見しにくいから柔和な顔をしていろ、などそれぞれを抜き出して読んでも得るものはあるだろう。
ただ、それらは貞観政要という幹から生えた枝葉で、末端の枝葉をいくら子細に眺めたところでその神髄に到ることは叶わない

全訳で見えた貞観政要

読了後に改めて全体を俯瞰して得た貞観政要の要諦は、非常に単純だ。
それは初心忘るべからずの一言しかない。

太宗は貞観十年以降から徐々に諫められても聞き入れない回数が増え始め、また、皇帝戴冠直後にあれだけやるまいと繰り返し自戒していた、狩猟、造営、外征にも手を染めていく。
読み進めていくうちに少しずつそれらが現れるさまは、雲一つない青空へ徐々に暗雲が垂れ込めていくのを見ているようでやるせない。
貞観政要によると一般に皇帝は己を賢いと思いだんだんとそれに溺れるようになるのだという。
全能とも言える強大な権力を行使し続けるがゆえの弊害だろう。

何でもできる≒自分は賢い。ならば他人の意見に耳を傾ける用などないではないか。
直言の人魏徴を常に傍に置き、重用した太宗でさえ、王冠の魔力から完全に逃れることはできなかったのだ。

実際中国史歴代の暴君も治世の最初は名君であったパターンがかなり多い。
太宗から少し時代を下った玄宗などはその好例だ。
玄宗も当初の清新を保ち続けられれば、あるいは太宗のような名君と呼ばれる皇帝となっていたのかもしれない。
もしくは太宗があと十年生きて、もう一度高句麗遠征を強行して農民反乱でも起こっていたら、治世を全うできなかった暴君として今の世に伝えられていた可能性もある。

貞観政要には、鏡を見て己の身だしなみを整えるように、己の行いを映し正してくれる鏡のような人を求めよとある。

初心を忘れないこと。正しい人を選び信頼して任せること。
以上二つが貞観政要の繰り返し述べるところだ。
これを踏まえたうえで枝葉のエピソードを読んでいくことでより深く内容が理解できるのではないだろうか。

中国人の歴史観

中国人の歴史意識は独特で面白い。
巻七文史編の第四章には太宗が自分に関する記録を見たことが記されている。
皇帝にはその言動を記録する専門の役人が常に付き従っているのだそうだ。
そして、記録の内容は皇帝自身が確認することはできない。

太宗はその記録を見たという。

見ただけで終わるはずがない。太宗にとって都合の悪い記録の修正を指示したのではないだろうか。
つまり貞観政要の太宗の言動はこれらの記録を使用して書かれているだろうから、太宗本人が検閲済みのものである可能性がそれなりにあるわけだ。
しかしながら、太宗が禁を破って自身の記録を見たこともまた、記録されている。ここに私は中国人の歴史への執念を感じるのだ。


記事は以上となります。
もし、貞観政要に興味が湧いたら、是非アマゾンではなく書店で購入して読んでみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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