刀鬼、両断仕る 第六話【鎧袖】上
◇【前回】◇
城下町は静かだった。
混乱など、とうに過ぎた後なのだろう。
ぽつり、ぽつりと暗い顔をした町人たちが、無粋の横を通り過ぎていく。
昼間だというのに辺りには活気がなく、誰もが俯きがちで、早足だった。
ふと気づくと、真波と同い年くらいであろう男児が、無粋をじっと見つめていた。
いやむしろ、睨んでいるといった方が正確だろう。
けれどひとたび無粋が視線を合わせると、敵意のある顔はたちまち恐れの色を帯び、男児は無粋に背を向け逃げ出していく。
無粋が何かした、ということはない。
ただ歩いていただけである。
無論、敵の待つ居城への道行きだ。無粋の気配も相応に剣呑な雰囲気を纏っていたことに違いはない。けれどそれ以上に、今の城下は外から来る者に嫌悪を抱いていた。
理由は『天刃』である。
彼らは城の主たる皆守真雨を殺し、滝河を『刀鬼の国』にすると宣言した。
それを知って尚この地を訪れる者がいるとすれば、それは刀鬼か、或いは刀鬼に憧れを抱く無法の剣士であると考えるのは、ごく自然な事だろう。
その上、無粋の得物『無粋』は尋常の刀ではない。
彼の心情など知らぬ者が彼の風体を見れば、やはりどうしても……
「あいつも『天刃』に入るつもりか」
「どうせ碌でもないやつに決まってる……」
囁きが、無粋の耳にも届く。
違う、と叫びたかった。オレは刀鬼ではない。あんなものと一緒にするな。
周囲の声は澱のように無粋の腹の底へ溜まっていく。普段であれば、そんな侮辱を許す無粋でもないのだが……今は、それどころではない。
(『天刃』を、討たねば)
その為に、無駄な体力など使ってはいけない。
無粋は理解していたし、だから堪えることが出来た。
ただ真っ直ぐに、他の全てを無視して城へと歩み続ける。
足を動かすごとに傷口はじんわりと痛んだが、血は止まっている。戦いに支障はないと、無粋は己に言い聞かせた。
やがて、道の先から、じっとりとした金臭い風が漂ってくる。
血と……肉の腐敗した臭いだと、無粋にはすぐピンと来た。
死体だろう。だが何の? 疑問を抱きながら進むと、すぐに答えは目前に現れる。
「次の獲物か」
城門の前に、筋骨隆々の男が一人。
その左右には、藁のように乱雑に積み上げられた、剣士の死体。
「右がこの国の侍。左が刀鬼を名乗った愚か者」
城門前の男が言う。至極面倒そうな、ため息混じりの声である。
見れば、左右の山の死体はそれぞれ毛色が違った。
右のものは髷を結い、血と破れを除けばそれなりに上等な着物を纏っている。
左のものは刀らしきものこそ手にしているが、どこか粗雑な印象を受ける。
多いのは、右の死体だった。重なり合っていてハッキリはしないが、三十人程度は積まれているだろうと無粋は目算する。
「少しでも恐れたなら、とっとと帰れ。雑魚の相手はつまらん」
「オレはその先に用がある。そこを退け」
「……退け、だぁ?」
無粋の言葉に、男は眉根を寄せ一歩踏み出した。
ぐわんっ! その一歩を目の当たりにして、無粋はまるで目前の男が巨大になったかのような錯覚を受ける。
(いや違う、元々異様に大きい……!)
咄嗟に『無粋』を構えながら、無粋は半歩後ずさり、男の顔を見上げた。
無粋の上背を以てしても、上を向かねば表情が読めぬほどに、門前の男の体躯は巨大であったのだ。
「おいテメェ。今オレに命令したか?」
「命令? 忠告だ。素直に通せばお前は後回しにしてやる」
「後回しに、してやる! ……ムカつくなぁテメェ。何様だ?」
コキコキと首を鳴らし、男は両の腰に下げた武器を、両の腕で抜き払う。
赤銅色に染まった刃は、男の腕の側面を守るような異様な形状をしていた。
握り手と垂直に伸びる刃。無粋に知識があれば、それが遥か南で用いられる武器、旋棍に似ていると気づいただろう。
「オレに偉そうな口叩くなら、テメェそれなりに強いんだろうな?」
「……その刀を砕けば十分か?」
「ハッ! そりゃ大層な自信だ。いいぜやってみろ。……だがその前に」
テメェはどっちの山だ、と男が問う。
侍の山か、刀鬼詐称者の山か。
どちらでもない、と無粋は首を振る。
「オレは刀鬼を討つ者だ」
「テメェが……? なら確かに、どっちの山でもねぇな!」
ぶぉんっ!
言いながら、男が鋭く右の拳を振るう。
無粋は鉄塊を盾にこれを受けるが……ガギンッ!
(っ、重い……!)
刺突と言うべきか、殴打と言うべきか。殴りつけるように放たれた刃の一撃には、危うく無粋の上体を弾きかねない程の力が籠められていた。
「ふんっ!」
それが、続けざまにもう一発。
不味いと無粋は考え、殴打に合わせて軽く後ろへ跳ぶ。衝撃をいなし、相手の出方を窺おうと顔を上げたところで……
「オラァッ!」
振り下ろす、三発目。
距離は取ったはずだ。だが男の巨躯は、無粋が思っていた以上に容易くその距離を踏み越える。
ガギンッ! 対応し防ぐも、叩きつけられる衝撃で、両の足が一瞬抑えつけられる。
ならばと上半身を振り、『無粋』での反撃に出る無粋。
横薙ぎの一閃は、並みの剣士であれば一撃で沈め得る程の重みを備えていたが……
ガィンッ! 男の筋骨と特殊な武器の形状は、それをいとも簡単に受け止めて見せる。
「多少はやるみてぇだな。が……!」
男が『無粋』を弾き、がら空きになった無粋の腹へ刺突を繰り出す。
紙一重で無粋はそれを回避するも、着物の裾が紙切れのように裂かれた。
今度こそ大きく距離を取り、息を吸う。
体躯から来る力と、速度。それを活かす両腕の刃。
間違いなく、この男は強力な刀鬼である。
「おっと。まだ名乗ってなかったな」
「聞きたいと言った覚えはないが」
「うるせぇ。テメェの言うことなんざ知らねぇよ!」
吐き捨てるように言って、男は両の拳を握り直した。
徒手空拳かのような構え。やりにくそうな相手だと、無粋は口の端を僅かに歪める。
「オレは鎧袖。コイツは対の『破甲刃』!」
鎧袖はニヤっと笑って、ダンッ!
地面を蹴り、一足に無粋の正面へ接近する。
「『天刃』が刀鬼の一角よォッ!」
勢いそのままに振り下ろすような一撃が無粋を襲う。
『無粋』を斜めに、力を逸らそうとする無粋。だが流しきれず、重みで握る拳がぶれる。
「ぐっ……!?」
そこへすかさず、振り上げるような左の刃。
このまま受ければ、まず間違いなく『無粋』を弾かれる。
「口ほどにもねぇ――」
「っ、誰がッ!」
故に、直前に無粋は、己の鉄塊を蹴り上げた。
剣面が鎧袖の体を押し、『破甲刃』の狙いが逸れる。
瞬間、僅かに空いた脇腹を、無粋は己が拳で貫いた。
「ぐぅっ……!」
呻く鎧袖。だが芯は捉え切れなかった。
衝撃は軽いだろうと、無粋はすぐさま後退する。
……いや、するはずだった。
「クソッタレ!」
後ろへ跳ぼうとした瞬間に、無粋の頬を『破甲刃』が掠める。
(間合いが……!)
体が大きいということは、腕も長いということだ。
同時に『破甲刃』はその形状ゆえ、刺突が容易に繰り出せる。
攻撃を出す速度と、範囲の広さ。更に上背から来る打点の高さ。
どれを取っても、一瞬の油断が死を招く。
火で焙られたような鋭い痛みを感じながら、無粋は更に二歩、三歩と距離を取る。
剣先まで含めれば、無粋の方がいくらか間合いは広い。
だがそれを維持することは不可能と言っていいだろうと、無粋は考える。
であれば、内に入って戦うか?
それも膂力の差を鑑みれば、適切な戦法とは言えなかった。
「ハァ……一発入れられたか。刀鬼でもねぇ奴に」
「だからどうした。欲しいならもっとくれてやる」
「強がるんじゃねぇよ。テメェは軽い拳、こっちは切り傷だ」
どっちが強者か分かるだろう、と鎧袖は口角を上げる。
「一発ってことにゃ変わらねぇが。オレの方が強いよなぁ」
「……それを決めるのは、最後に立っていた方だろう」
「だからオレだろ。……というか、だ」
鎧袖は、無粋を見て眉根を寄せる。
正確には、無粋と彼の持つ『無粋』を。
「なんでテメェは刀鬼じゃねぇんだ?」
「……何?」
「もっと似合いの武器を使えば、多少はマシな刀鬼になれるだろう、テメェはよ」
「……ふざけているのか。オレは刀鬼を討つ。そう言ったはずだ」
「だとしてもだ。強い刀鬼になって弱い刀鬼を叩けばいいだろ」
『天刃』ならそれが出来る、と鎧袖は言った。
天宿が刀鬼の国を宣言すれば、多くの刀鬼がこの国を訪れる。
刀鬼を討とうというのなら、それを後押しし、然る後に訪れた刀鬼を討てばいい。
「なぁ、そうだろ?」
「有り得ない」
無粋は戸惑う。鎧袖の言っていることが余りに馬鹿らしかったからだ。
国に来た刀鬼を余さず討つのなら、そも『刀鬼の国』などという妄言は成立しない。
「オレがいる限り、お前たちの下らない野望が叶うことはない」
「……下らない、か」
「そうだろう。神刀を餌に刀鬼を集め、国を興す? 化け物が人を支配する、この世の地獄が生まれるだけだ」
「……地獄なぁ」
「平和がどうだの、鏡鳴という老爺は言っていたが……お前も、あの世迷言を本気にしているのか?」
馬鹿馬鹿しい、と無粋は吐き捨てる。
刀鬼は人の命など、虫けら同然に考えている。
そんな者たちに支配されるなど、誰が望むだろう。
「人だって人を支配するだろうが」
静かに、鎧袖は答える。
目を細め、じぃと無粋を見つめながら。
「それも権力だの立場だの……ありもしねぇ力で人を抑えやがる。テメェ個人は雑魚の癖して、数で粋がって好き勝手しやがる……!」
瞳の奥で、怒りの火が揺れた。
憎悪に近い気配を、無粋の肌が感じ取る。
触れてはいけない部分に、指が触れた。直感的に理解して、無粋は警戒を強める。
ガィンッ!
『無粋』が無粋の手を離れたのは、次の瞬間だった。
一瞬で懐に入られ、かち上げられた。
ぞわりと悪寒が走ると同時に、無粋は相手の次の手を視認する。
左の刃。全力の一撃を受ければ、どこに当たっても致命傷だ。
守る武器は、既に手の内にない。
(ならっ……!)
刃の無い内側から、腕を弾く。
それしか無いと無粋は素早く拳を鎧袖の腕へ叩きつけるが……
(足りないっ……!)
鎧袖の力は、無粋の力を遥かに上回っていた。
刃を十全にずらすことが出来ず、無粋は右の腕を『破甲刃』によって貫かれ、裂かれる。
「ぐっ、あぁぁぁっ……!!」
短く悲鳴を上げながら、無粋は鎧袖の体を蹴り、転がって距離を取る。
ズドン。ややあって宙に飛ばされた『無粋』が、二人の間に落下した。
(『無粋』を……!)
手に取ろうと駆けるが、寸での所で鎧袖が『無粋』を弾き飛ばす。
そして無策に駆け寄ったことで、無粋と鎧袖の距離がまた、縮まり。
振り下ろす一撃。
無粋は歯噛みして、さっと地面の砂を鎧袖の目に投げつける。
「ぐっ……!?」
狙いが逸れ、ぶぉんと『破甲刃』が空を切る。
あとほんの少し、ほんの少し運が悪ければ、その一撃で無粋の頭蓋はたたき割られていた事だろう。
「がぁぁッ! テメェも刀鬼じゃねぇなら、結局雑魚だ!」
苛立ち紛れに叫び、無茶苦茶に突進する鎧袖。
狙いなどあったものではない。それでも喰らえば死ぬ。
傷口を抑えながら鎧袖を躱し、『無粋』を拾い上げる無粋。
けれど、右腕の傷は深かった。片腕ではこの鉄塊を持て余す。
(かといって、これ無しではな……)
膂力に差があれば、他に戦う手段はいくつかあった。
格闘、投石、その他諸々。けれどそれらの一切が、この大男に効くと思えない。
勝つには、超重量の一撃をあの男に喰らわせてやらねばならないのだ。
(どう、する)
惑う。ただ一つ、有効な手立てがあることを無粋は理解していた。
懐のそれに意識が向かう。どんな負傷をも癒し、戦局を変え得る……あの鞘に。
「どうした、早く傷を治せ……!」
鎧袖もそれを知っているのか、怒りを露わにそう叫ぶ。
「大事なのは本物の力だ! 強者だけが望みを叶えられる! そしてその力はッ!」
刀と、剣士。
刀鬼となること以外に無いのだ。
鎧袖は叫び、無粋の鼓膜を震わせる。
(……ここで死んでは、真波が危ない)
危機的状況の中、脳裏に浮かんだのは真波の顔だった。
不安を胸に抱きながら、必死に国を救おうとした少年。
魚を食おうと行ったまま、先にここまで連れてこられたあの少年。
……きっと今、自分が来ることを待っているであろう、あの少年。
(どう、する)
己が信念に殉ずるか。
それを捨て、力を得て戦い続けるか。
考えるための時間は、あまりにも短かった。
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