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刀鬼、両断仕る 第五話【鏡鳴】下

◇【前回】◇


 黒い鉄塊が空を切る。
 ぶぉん、ぶぉん、ぶぉんっ!
 重たい風切り音は次第に速度を増し、止む事が無い。

「怒りに囚われているな。無理もないか」
「黙れッ! その刀、へし折ってやる!」

 ……届かない。
 無粋は『無粋』の勢いを殺さず、回転しながら連撃を放っている。
 時に薙ぎ、時に振り下ろし、振り上げ。
 鉄塊の見た目からは想像もつかぬ程の速度で、無粋は攻撃を続けている。
 それでも、届かない。
 半歩踵を引き、身体を少し捻じり、或いは重心を小さく傾けて。
『彼岸花』の刀鬼、暁月は無粋の攻撃の悉くを、まるで風に揺れる花弁のような軽やかさで避け続ける。

「はぁぁッ!」
「……ふむ」

 息を荒げ、ひたすらに得物を振り回す無粋。
 そんな彼の瞳を見据え、暁月は退屈そうに眉根を顰める。
「この程度なら、手折っておくべきだったか?」
「っ……!」
 目を見開く。血管が開き、全身に熱が籠る。
 それは、否定の一言だった。この男を討つ為に力をつけ、この男を否定する為に刀鬼と戦い続け、その果てに、唐突に、こうして相対す機会を得たというのに。
「弱い。あぁ弱い。やはり刀鬼に成るべきだったな」
 吐き捨てて、一蹴する。暁月の目は、自分を対等な敵と認識していない。
「何故ッ……!」
 強く一歩踏み出しながら、横に薙ぐ。
 途端、太腿の傷が開き血が滲んだ。けれど無粋は痛みを感じない。感ずる余裕が無い。
 無論、その攻撃も暁月は容易く避け、ゆらり。
 彼が一歩を踏み出すと共に、紅の刃が無粋の脇腹を掠め……
(死っ……)
 冷たい予感がして、思考が一瞬止まる。
 けれど……その瞬間は、訪れなかった。
 暁月はそのまま無粋の脇をすり抜けて、背中に言葉を投げつける。

「お前は、何のために今日まで生きてきた?」
「決まっている! お前を、そして全ての刀鬼を――」
「だとすればそれは間違いだった。お前に私は斬れないのだから」

 あの時に、生きると決めたのなら。
 生きて敵を討つと心に誓ったのなら。
 何故、お前はただの人であろうとするのか?

「より強く、より研ぎ澄まされた刃こそが、本当に求めるべきものだったはずだ」
「……違う」
「だのに、その得物はなんだ? 刃の無い、研がれもしない鉄の塊か」
「……違う」
「いくら刀鬼を討ったとして、私に届かねば意味が無いだろう。そうでなければ、お前があの日生き残った意味など……」
「……違う、オレはッ!」

 振り返り、叫ぶ。
 瞬間、紅の刃が無粋の眉間へ突きつけられた。
 無粋は蛇に睨まれた蛙のように固まり、身動きが取れなくなる。

「意味は無い。お前の存在に、戦いに」

 私がお前を生かした事にも。
 だから眠れと、暁月は優しく語り掛ける。
 家族の元に、今改めてお前を送ってやろう。
 痛みは与えない。お前が抵抗しないのならば。

「………………ッ」

 無粋は答える事が出来ず、悔しさにただ歯を食いしばる。
 怒りの熱は既に冷め、開いた傷の痛みが無粋を責め立てる。
 何も出来はしなかった。オレは、負けたのか。
 力が抜けそうになったその時、無粋は懐の硬い感触に気が付いた。
(……真波)
 それは、真波が置いて行った『龍鱗丸』の鞘である。
 今、自分がここで敗北すれば……真波はどうなる?
 刀鬼の猛威に多くを失ったあの子どもは、どうなる?

「どうした、無粋」

 淡い霧が、暁月の顔をぼんやりと霞ませる。
 あの日と寸分違わぬ顔だ。刃も、着物も、立ち振る舞いも。
 あの時憎んだ、刀鬼暁月がそこにいる。けれど……

「……意味は無い、か」

 投げ掛けられた言葉を、無粋は繰り返した。
 そうかもしれないと、自分自身思う。無粋の戦いは復讐でしかない。否定でしかない。何も生み出しはせず、何処にも辿り着きはしない。
 しかし、その中で出会ったあの少年……真波は違う。
 彼にはまだ、取り戻せるものが残っている。城も、民も、刀も。
 もし今自分がここで倒れれば、それはきっと叶わない夢となってしまうだろう。

「あぁ、確かに意味がない」

 頷き、自嘲する。
 こんなにも憎んでいたのに。こんなにも怒っていたのに。
 いざ目の前にして、それをどうでもいいと思える時が来るなんて。

「ならばどうする。ここで終わりにするか」
「終わりだ。お前に言われるのは癪だがな」

 はぁと溜め息を吐いて、無粋はだらりと力を抜いた。
 ならばと、暁月は突き付けた刀をゆっくりと引いて……

 ぶわりっ!

 白い霧が吹き上がり、切っ先が無粋の背後に迫る。
 瞬間、無粋は脱力を解き、己の背後へと鉄塊を思いきり叩きつけた。

「おぉっ!?」

 短い悲鳴と共に、手応え。
 吹き飛んだのが老爺であると、濃い霧の中、無粋はどうにか判別した。
 ちらりと暁月へ目を向けると、彼は薄い笑みを浮かべ、霧の中に溶けていく。

「幻影か。面倒な術を使うな」
「ほぅ……気付いていたとは」

 老爺が立ち上がり、べきべきと首を鳴らす。
 黒い袈裟を着た、坊主頭の老爺である。
 その手には、短い直刀。小振りな刃ではあれど、柄には金の装飾が施されており、ただならぬ雰囲気を感じさせる。
「お前が暁月の幻影を操っていたのか?」
「さて。どのような幻を見せるのかは、この『泡沫』の決める事。私などにはとんと見当もつきませんね」
 深い皺の刻まれた刀鬼は、とぼけた返事で無粋を煙に巻く。
 けれど、やはり先程の幻影はこの男の仕業であるらしい。
「私は鏡鳴。刀の銘は『泡沫』。天宿様に仕える『天刃』の一角でございます」
(こいつが……)
 鏡鳴という名は、あの侍も口にしていた。
 ならば、彼らを扇動し真波を探させ、誘拐したのはこの男と言う事になる。
 

「お前たち、真波を連れて行ってどうする気だ?」
「おや。彼の事が気になると?」

 問われ、鏡鳴はニヤリと笑みを浮かべた。
 嫌な笑いだ。無粋はじっと老爺を睨みつけながら、得物を構え直す。

「答えないなら良い。先ずお前を……」
「私は用心深い方でね。鞘が確実に手に入るよう動きたかった」
「……真波は鞘を持っていない。知ってるだろう」
「えぇ。あなたが持っているのでしょう?」

 だから、持ってこさせなければ。
 鏡鳴は笑みを崩さず、更に続ける。

「彼の命を惜しいと思うなら、鞘は必ず懐に入れなさい」
「……鞘を持って城に来い、と?」
「今奪えれば最良でしたが、まぁこれではね」

 答えて、鏡鳴は己の左腕をさすった。
 恐らくは、先程の無粋の一撃で骨を痛めたのだろう。
 ならば好機と、無粋は地を蹴り老爺と距離を詰める。
 が、老爺は躊躇わず後ろに跳び、霧の向こうに姿を消した。
 辺りを見回しても、それらしい影は一つとして見えない。

「いや、聞いてた通り血気盛んな青年だ!」
「逃げるのか!」
「逃げますよ。えぇ、大切なのは鞘を得る事ですから」

 鏡鳴の声は、霧に反射しているかのように妙な響きだった。
 これでは位置が分からないと、無粋は舌打ちする。
 幻影。幻覚。ハッキリとした効果は分からないが、確かにこの刀鬼は用心深い性格のようだった。……逃げの一手を打たれれば、無粋では手も足も出ない。

「鞘、鞘、鞘。何故お前たちはそこまであの鞘を狙う!」

 苛立ち紛れに、無粋は霧に向け叫ぶ。
 あの鞘の治癒能力は、確かに恐ろしいものだった。
『龍鱗丸』の刀身にどのような力があるかは知らないが、二つ揃えば更に高い能力を発揮するのだとも聞いている。
 だが……分からない。国を襲い、徒党を組んでまで、何故『龍鱗丸』を欲するのか?

「刀鬼の国を作るのですから、旗印は必要でしょう!」
「刀鬼の…………国!?」

 思わぬ答えに、無粋は目を見開いた。
 その反応を聞き、霧の中に笑い声が反響する。

「そう、国。刀鬼が支配し、人が奉仕する国。素晴らしいとは思わないですか?」
「……馬鹿な! 化け物が支配する国など!」
「強者が一つ所に集い、互いの腕を競い続けるのです。他国は恐れて手が出せない」

 分かりますか、と鏡鳴は楽し気に問う。
 一騎当千の剣士が集う国ならば、常人の軍は相手にすらならない。
 そんな国が実現すれば、きっとそれは……

「平和な国に、なるでしょうねぇ?」
「……っ!?」

 ぞわり。
 うっとりとした老爺の言葉に、無粋の背筋が震える。
 言っている事は、異常だが分からなくはない。しかしなんだ、この違和感は。

「お前……本気で言っているのか?」
「本気ですとも。……私くらいですがね、平和を真に願っているのは」

 嘆息する気配がして、さぁもういいでしょうと鏡鳴は口にする。
 マズい、と思って無粋はひとまず駆け出すが、霧の中をいくら走っても、鏡鳴の姿を見つける事は出来ず……
「あなたに人の慈悲があり、その蛮勇が見せかけで無いなら……鞘を持って、城まで直接来るが良い。『天刃』がお相手致しましょう」
 老爺の声は、少しずつ遠くなっていく。
 それに従い、濃かった霧も段々と晴れ渡っていき……
 ……気付けば、無粋は道の真ん中でただ一人立っていた。

(逃がしたか……)

 苦々しい思いを胸に抱きつつ、無粋は周囲を見回す。
 何度見ても、鏡鳴らしき影は何処にも見当たらない。
 諦めるしかないだろう。『天刃』の一員というのなら、城に行けば倒す機会もある筈だ。無粋は思いながら、ふと懐の包みに手を当てた。
(……刀鬼の国、か)
 いかにも悍ましい響きだと、無粋には感じられる。
 人の命を顧みず、ただ剣の道に生きる鬼が、国を構える?
 或いはこの鞘を砕く事で、その目論見をも砕く事が出来るのかもしれないけれど。

「真波の命と引き換え、か……」

 もどかしい、と無粋は思う。
 やる事は最初から、何一つとして変わっていない筈なのに。
 真波の事を知り、少しばかり行動を共にしてしまったばかりに、これだ。

「……オレは、無粋だ」

 言い聞かせるように、無粋は小さく呟いた。
 向かうは『天刃』の巣食う城。
 果たすべきは『天刃』刀鬼の殲滅。
 けれどそれが、己の復讐のためなのか、真波を助ける為なのか……今の無粋には、判断出来なかった。


【続く】

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