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刀鬼、両断仕る 第六話【鎧袖】下

◇【前回】◇


(どう、する)

 己が信念に殉ずるか。
 それを捨て、力を得て戦い続けるか。

 考えるための時間は、あまりにも短かった。
 咆哮と共に、鎧袖が再度突撃する。
 片腕を潰された無粋では、鎧袖の振るう両の拳を受けきれない。

 生か、死か。
 空を裂き迫る拳を前に、無粋は砕けんばかりに歯を食いしばり――

「――オレはッ……!!」

『破甲刃』が無粋の胸に食い込み、肺を貫いた。
 振りぬく拳は勢いのままに彼の肋骨を砕き折り、その肉身を弾き飛ばす。
 衝撃と共に引き抜かれた刃は、無粋の傷を更に大きく深く広げ、鞠のように舞う無粋の体が、鮮血を雨のように降り注がせる。

 べしゃり、と音がした。
 肉が潰れ、体液を飛び散らせる湿った嫌な音。
 痛みは殆ど感じられなかった。その余裕すら肉体に無いのだろう。
 ただ傷口に熱を、手足に冷たさを僅かに感じながら、無粋の視界は朧げに揺れる。

 この感覚が死か、と無粋はぼんやりと考える。
 思いの外、それは無粋にとって心地の良い感覚だった。
 誰かを憎む事も、怒りに震える事も、痛みを堪える必要も無い。
 ただ穏やかに、眠るように落ちていく。
 どうして最初からこうしなかったのだろう。

(……あぁ、オレは……)

 本当は。
 戦いたくなど、なかったのかもしれない。
 ただ認めたくなかっただけで。受け入れられなかっただけで。
 あの日、母さんたちと一緒に眠ってしまえれば、どれだけ。

(……どれだけ、楽だったろう)

 内心、理解していた。
 刀鬼に勝ち続けることは不可能に近い。
 いくら敵を屠り続けたとして、次もそうとは限らない。
 全ての刀鬼を討つ前に。あの日の仇を討つ前に。自分自身に限界が来るのだろうと、心の底では、理解していて。
 ……それをどこかで、望んでもいて。

 やっと、その日が来た。
 終わりにしてもいい日が来た。
 だからこのまま、瞼を閉じたって、良かったんだ。

(なのに、真波)

 はぁ、とため息を吐こうとして、代わりに出たのは血の咳だった。
 それはそうだと無粋は嗤う。肺は潰れた。息など出来よう筈もない。
 骨は砕け折れ、失ってはならない量の血を垂れ流し。

(それなのに立ち上がれるとは、ふざけた話だと思わないか)

 掌に力を籠め、『無粋』を握りしめる。
 膝は震え、肺に溜まった血のせいか、無粋は何度も咳き込んだ。
 体は冷え、頭は重い。へばりついた髪が不快で、視界はどことなく暗い。
 それに何より……生臭い鉄の臭いに混じった潮の香りが、無性に気分を悪くした。

「……使ったか、鞘を」

 立ち上がる無粋を見て、鎧袖はフンと笑う。
 話には聞いていた。『龍鱗丸』の鞘の力は、死の淵から剣士を呼び戻すと。
 成る程確かに、これは異様だ。首領が鞘を欲するのも合点が行くというもの。

「やはり、力だ。力は全てに優先される。テメェもそれを理解しただろう」
「さぁ、な。知ったことではない」
「だが事実だ!」

 べっ。血と砂利の混じった痰を吐きながら、無粋は冷たく応答する。
 鎧袖は口角を上げ、ガツンガツンと両の拳を打ち鳴らした。

「テメェは自分の体でそれを証明した。もし仮に、このオレに勝てたとしても……それは最早、その鞘の力でしかないということだ!」

 地面を蹴り、鎧袖が無粋の頭上から『破甲刃』を振り下ろす。
 無粋はそれを、掌で受け止めた。

「っ……!?」
「……あぁ、確かに」

 だらりと血を流す手の甲を見て、無粋は力なく答える。
 この傷も、刃を抜けばすぐにでも回復してしまうのだろう。
 全身に走る痛みさえ、治ると理解していれば気にするに値しない。
 すぐさまにもう一撃が無粋の頭部を狙うが、そちらは鉄塊の面で受け、流すと共に無粋は鎧袖の顎へと頭突きを喰らわせる。
「ぐぅっ!?」
「例えば、このままお前と殴り合う事も出来るわけだ」
 何度体を貫かれ、打たれようと、無粋の体に影響は無いのだから。
 多少膂力に差があろうとも、いずれは無粋が殴り勝つ。単純明快な話だ。
「させるか――」
「放して良いと誰が言った」
 鎧袖は突き刺した『破甲刃』を引き抜こうとするが、無粋は敢えてその手を強く握りしめ、動きを抑える。
 痛みは数段にも増したが、すぐに感覚は麻痺していく。
 さてどうするかと考えた所で、鎧袖は大きく身を引いた。
 自然、釣られて無粋の上体が揺らされ、体勢を崩した所で、握っていた無粋の腕が宙を舞う。切断されたのだと気づいたのは、無意識に鎧袖と距離を取った後のことである。

 ぼとり。落ちた腕は溶けるように消えていき、赤い染みだけが地面を滲ませる。
 代わりの腕が生えるまでは、おおよそ二呼吸。最初に骨が生まれ、肉が生まれ、皮に包まれる。真新しい腕を軽く動かしながら、無粋は眉を顰めた。

「化け物だな、これは」
「然り。だが戦い様はある」
「……そうか」

 ふぅと息を吐く鎧袖は、どこか楽し気に見えた。
 無粋にはその気持ちが分からない。ただじわりと嫌な感覚が走るのみである。
(これは、オレの腕か?)
 姿形、色、触覚。どれを取っても紛れもなく見慣れた自分の腕ではあれど。
 トカゲの尻尾が如く生え変わる腕というのは、どうにも気色が悪い。

 戸惑っている間にも、鎧袖は更なる攻撃を繰り出してきた。
 攻撃の主体は突きから斬撃に代わっている。手刀じみた軌跡を鉄塊の盾で防ぎつつ、無粋は格闘での反撃を試みるが、瞬間鎧袖の攻撃はその四肢を狙い刃を振り下ろす。
 すぱりと音がして、左の足の先が飛んだ。
「っ……!」
 鉄塊を軸として、咄嗟に無粋は重心を整えつつ次の相手の一手を見据える。
「そこっ!」
 追撃は、首を狙った横薙ぎ。不味いと思い無粋が上体を引くが、避けきれず、刃は無粋の喉元を書ききった。
「ぐ、がっ……」
 流血が喉奥に流れ込み、噎せる。
 再生した足で一歩引きながら、無粋は横薙ぎに鉄塊を振るった。
『破甲刃』はこれを難なく受けるが、激突の衝撃を利用することで、無粋は一挙に鎧袖の側面へと回り込む。

「チッ、首は躱すか」
(……やはり、切断の間を狙うか)

 喉奥に血の味を感じながら、無粋は鎧袖の狙いを悟る。
 四肢が切断されてから再生するまでには、僅かな間が生じる。
 それを利用すれば、たとえ相手が回復を続けようと有利に戦い続けることは可能だろう。
(しかし、首はどうだろうな……)
 もし首が斬られたとして、その時はどうなるのだろうと無粋は思う。
 首が鞘から離れた事で、再生出来ずにくたばるのか。
 或いは新たな首が生え、なおも戦い続ける事になるのか。
(試すわけには……いかないが)
 喉の傷が治り、無粋は己の血を飲み下す。
 同時に鉄塊を一度引き、踏み込みながら突く。
 その一撃は、『破甲刃』と鎧袖の膂力を以てしても御しきれないほどに重く、巨体がぐらりと揺らめいた。
 すかさず、体を回転させながらの横薙ぎ。
 背の方向からの一撃に、もう片方の『破甲刃』は間に合わない。
 鉄塊が鎧袖の背骨に直撃し、反動で無粋の体の方が更に飛ばされる。
 ずざり、砂を引きながら体勢を取り直し、振り向く鎧袖へと目を向ける無粋。

(……戦える)

 その胸には、高揚に似た感覚が湧き立ち始めていた。
 死にかけた際の不調は既に癒しつくされ、十二分の休息を取り終えた直後のような充足感が無粋の全身には満ち満ちている。

 この状況なら、戦える。
 この刀鬼を討ち、真波を救いに迎える。

「そうだよなぁ、そうなるよなぁ!」
「っ!?」

 振り返った鎧袖は、無粋を見て高笑いした。
 その様に驚き、無粋は目を見開く。
 何故この男は、この状況下において笑うのか?
 戸惑う無粋に、分からねぇかと鎧袖は言う。

「テメェ、完全に勝てるって思ってたろ?」
「……だったら、どうした!」

 踏み込み、突く。
 腕を伸ばし、鉄塊の全長を生かした一撃。
 長い間合いに鎧袖は一瞬目を開いたが、左腕の『破甲刃』でそれを受け止める。
 ずざり。鎧袖は体を押されつつ、この超重量を受け止め、弾く。
 といって、無粋もその程度の反撃は折り込み済みである。弾かれた方向へと敢えて体を捻ることで、突きの隙を誤魔化し、体勢を立て直す。
(この間合いなら、『破甲刃』もすぐには……)
 追撃は遅れる、と思っていた。
 けれど刹那、鋭い刃が無粋の左肩を裂く。

「っ……!」
「届かない、と思っていたか?」

 ニィ、と鎧袖が笑みを浮かべる。
 その立ち位置は未だ一歩遠く、本来なら『破甲刃』の間合いの外である。
 なぜ、と思い目を向けると、右の破甲刃はくるりと刃を回転させていた。
(腕の側面を守っていた刃が……)
 先端に伸びている。
 握り方を変えたのだと気づいた時には、連撃が無粋の体を襲っていた。
「ぐぁっ……!」
 さくり、胸に二重の裂傷を刻まれる。
 けれどその傷とて、鞘の力を用いればすぐに回復してしまう。
「ダメだな。首を狙うしかない」
「させるかっ……!」
 間合いの延長。変わらず首を狙う鎧袖を前にして、却って無粋は一歩距離を詰めた。
 そして鉄塊を横に薙ぐ。側面の刃を前方へ向けたなら、防御力は落ちている筈と。

「甘い」

 だが、鎧袖はくるりと刃を戻し、難なく鉄塊を防ぐ。
 チィと舌打ちし、無粋は一度退がる。鎧袖はそれを追い、途切れる事無く両の腕で連撃を繰り出す。時折、刃の向きを変えつつの連撃だ。
 膂力。手数。そして間合い。
 どれを置いても鎧袖と『破甲刃』の能力は凄まじく、無粋は付け入る隙を見出せない。
 鞘の癒しの力とて、首を飛ばされればどうなるか分からないのだ。

「テメェの鞘、オレが奪って天宿様に献上してやろう!」
「奪われるものか。これは真波の物だ!」
「どうせすぐに天宿様の物になる!」

 ギィン!
『破甲刃』の切っ先が鉄塊を打ち、甲高い金属音を掻き鳴らす。
(……埒が明かない)
 それから数度、寸での所で鎧袖の一撃を受け続けながら、無粋は内心面倒に思う。
 このままでは、いつまで経っても真波の所に辿り着くことが出来ない。

(……なら)

 振り下ろされる刃を前に、無粋は体を横に傾ける。
「っ!?」
 左の『破甲刃』を、肩で受け止めた。
 痛みが全身を貫くが、無視し無粋は鉄塊を構える。
「させるかっ!」
 咄嗟に判断し、鎧袖は無粋の腕を切り落とさんと右の『破甲刃』を振るった。
 無粋の狙いは恐らく、回復を利用した捨て身。
 ならばその前に武器を奪うべきだ、と考えたのだ。

「分かっていた」

 そう動くことを、無粋も分かっていた。
 構えた腕が断ち切られる寸前に、無粋は鉄塊を空へと投げる。
 姿勢も力も入らず、大した高さには飛ばないが、それで十分だった。
 腕を落とされたと同時に、無粋は膝を落とし、全霊で高く跳び上がる。
(軽いな、体が)
 腕と、左の『破甲刃』を抑えていた肩が落ち。
 従って無粋の体重もまた、数段軽く変化して。
 無事なままの両の足は、全筋力を以てこれを上空へと運ぶ。

 その動きの意味を理解するのに、鎧袖は数拍を要した。
 気付いた頃には既に、無粋の腕の肉が再生を始めていて。

「ぐっ……」

 鎧袖が、天を見上げる。
 まだ皮の生まれていない手で鉄塊を握りしめた無粋は、全身の力でその刀身を、鎧袖の頭上に振り下ろした。

 ガギャンッ……!

 頭蓋が砕ける音がして、無粋は着地する。
 ふらりふらりと鎧袖はよろめき、後ずさった。

「ぐ、ぉ……」

 だらだらと血の流れる頭部を抑え、指の隙間から血の混じった瞳が無粋を見据える。
 膝が震えていた。致命傷だろうと無粋はほっと息を吐く。
 遅れて皮が再生し、切り落とされた腕はべしゃりとした粘液となって消え去った。

「……あぁ……負けたか……」

 くくく、と掠れた声で鎧袖が笑う。
 まだ息がある事に驚きつつ、無粋は再度武器を構えた。
 もう一度、こちらの首を狙わないとも限らない。
 けれど予想に反して、鎧袖はだらりと両の腕を垂らす。

「通れよ……門」
「……。あぁ」
「皆守真波も、まぁ無事だぜ。……早く行ってやれ」
「言われるまでもない」

 答えつつ、その言葉を無粋は意外に思った。
 刀鬼が、他者を心配するような言葉を吐くとは考えていなかったのである。

「いいぜ……テメェが勝って、真波を守るってんなら、それはそれで」
「……どういう意味だ。お前は『天刃』だろう」
「別に。オレは首領の天宿様が強いから従ってた、だけだ」

 どすん、と音を立て、鎧袖が城の塀に寄り掛かる。
 声音は小さく、今にも消えてしまいそうではあったが……それでも力強い印象を無粋に与える。

「全部、全部力なんだよ。それがありゃ無理が通る……意地も張れる……」
「……だがお前は負けた」
「あぁ、負けた。けどテメェにじゃない。鞘にだ」

 言っただろ、と鎧袖は不敵に笑う。
 もし無粋が鎧袖に勝てたとして、それは鞘の力に他ならないと。

「だから満足だ。オレは間違ってない」
「……」
「間違ってたのはテメェだ。刀鬼じゃない、とか言ってたらしいけどな」
「……やめろ」
「オレからすりゃあ、テメェはもう……」
「やめろ、それ以上言うな」
「テメェはとっくに……」

 ……刀鬼だよ。

 そう言い残し、鎧袖は力尽きた。
 数秒の間、無粋はその場に立ち尽くし……鎧袖の遺体に鉄塊を振り上げ、けれど振り下ろすことが出来ずに崩れ落ちる。

「……うっ……」

 胃の奥から、何かがせり上がってくる。
 気持ちが悪かった。どうしようもなく、自分自身が。
 吐き出したいと思っても、出てくるのは喉を焼く胃の酸だけで。
 涙が滲み、力が抜ける。……それでもしばらくすれば、無粋は立ち上がっていた。

 懐には、鱗で飾られた一本の鞘。
 それを血で濡れた千切れた包みで縛り、封じる。

「……真波」

 呟く。目を閉じ、その姿を思い浮かべる。
 大丈夫だと、無粋は自分に言い聞かせた。

 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。
 何も問題はない。オレは真波を救う。救って……

(――)

 その先の言葉が、何一つ浮かばない。
 だから無粋は繰り返す。

 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。

 それが誰に向けた言葉なのか、無粋自身、理解していなかった。


【続く】

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