刀鬼、両断仕る 第七話【荒刈】上
◇【前回】◇
「刀鬼になるつもりはない、か」
「無論だ。私はお前たちとは違う」
天宿の元に連れられた真波は、彼の質問に毅然として答えた。
青みがかった珍しい瞳が、じぃと真波の顔を見つめる。
本音を言えば、真波は恐怖で今にも震えてしまいそうな心地だった。
その視線から逃れたいと体が悲鳴を上げるのを、懸命に堪える。今ここで目を逸らしては、力だけでなく心でも負けることになると知っていたから。
「我が軍門で修業を積めば、いずれは我が首に刃が届くやもしれぬぞ?」
「だとしても、お前の言う通りにはならない。『龍鱗丸』も揃えさせない」
「ふむ。……愚かだ、と切り捨てるつもりはないが」
勿体ないな、と天宿は呟く。
弱いながらも必死に己の矜持を貫こうとする真波は、長じれば一端の剣士に成り得たであろうに。もしそこに刀鬼の力が加われば、一体どれほど……
「……或いは、お前の父をも超える剣士となる可能性も、あったであろうにな」
「……っ……」
父と言われ、真波はぐっと唇を噛む。
尊敬する父の命を絶ったのは、目の前のこの男である。
天宿は、真波の手足を縛らず、自由の身のまま部屋へ呼びつけた。
その気になれば、この命と引き換えに一矢報いる位は出来るのではないか……
心の内で思いつつ、実行することが出来ない。
それが悔しくて堪らなかったのだ。
(我慢しろ。今ここで動いても、ただ犬死するだけだ)
天宿は『龍鱗丸』を傍らに置いていた。腰にも二本の刀を差している。
対するこちらは、自由の身と言えど丸腰だ。急いて動いたとして、さほどの痛手を与える事は出来ないだろう。
それに……部屋の後方、真波の左後ろには、あの荒刈が控えていた。
『刻角』は無粋が砕いたはずだが、気だるげに壁に凭れ掛かる荒刈は、見慣れぬ刀を腕に抱いている。
(こいつらも、今すぐに私を殺しはしない筈)
己が無粋に対しての人質になっていると、真波は既に聞いていた。
であるなら、無粋が生きている内は易々と自分を始末しないだろう。
だから、今は。無理に動く必要はない。
(……本当に?)
じっとりと掌に汗を掻く。
己の考えが、本当に考え抜かれた結果のものなのか。
極限の状況に置かれた真波は、確信出来ない。
本当は、ただ命惜しさに立ち上がれないだけではないのか?
それらしい言い訳をして、逃れ得ぬ死を先延ばしにしているだけでは?
思うごとに、焦燥が胃を焼いた。これという解決策が浮かばないのもまた、彼の焦燥を後押ししただろう。
真波は聡明であれど、未熟だった。
強い意志の持ち主であれど、子どもである事には変わらず。
無力さ故に、何一つ為せはしない。
「そう気負うな。お前の命運が決まるまで、まだしばらくある」
真波の緊張を眺め、天宿は薄く微笑んだ。
手の平の上で小動物でも愛でるような、余裕に満ちた愉しみの眼差しで。
「……なら、茶菓子でも貰おうか。元は私の一族の城だ」
「良いだろう。いくらでもくれてやる。……喉を通るならな」
精一杯の強がりを見せる真波に、満足げに答える天宿。
人を呼ぼうと荒刈に目を遣ると、不意に荒刈が顔を上げ、眉を顰めた。
「天宿サマ。……臭うぜ」
「ほぅ……来たか」
荒刈の言葉からややあって、真波の耳に届いたのは、何度も繰り返す破壊音。
戸や床が崩れ落ち、侍たちが悲鳴を上げる。金属が軋み、ギンと音を立て折れる。
ドドドドと荒く駆ける足音には、尋常ならざる強い感情が籠められていて。
そんな乱雑な音を発する者に、真波は覚えがあった。
床を蹴る音が後ろの部屋まで届いた時、思わず真波は腰を浮かして振り向いて。
バダンッ!!
襖を蹴破って現れた男に、真波は歓喜の声を上げた。
「――無粋っ!!」
返り血で染まった粗末な着物に、黒く無骨な鉄の鈍。
愛想の無い顔で男は真波を見遣り、小さく頷き声に応える。
「待たせたな、真波」
「何を……何を言う……来なくても、良かったのだぞ!」
溢れる涙を拭いながら、震える声で真波は叫ぶ。
それは強がりであり、事実でもある。無粋が来なければ、鞘が『天刃』に渡る可能性は潰えたのだ。ただ『龍鱗丸』の事のみを思うのなら。
けれど、けれど、どうしても。
不安に苛まれ、押しつぶされそうになっていた真波の心は、確かにこの瞬間救われて。
駆けだそうとした真波だが、その前にすぅと荒刈が立ち塞がる。
「……なァ、おい」
吐息のような呟きに、ビリリと真波は弾ける悪寒を覚える。
足が止まり、じっとその背を見つめ。真波が感じ取ったのは、明らかな憎悪の気配。
「テメェ、その臭いはよォ……どういうわけだ?」
「……」
荒刈の問いに、無粋はただ眉を顰めた。
臭い? 真波はすぅと香りを嗅ぐが、鼻に届くのは血の金臭さのみである。
いや。もう一つ匂いはあるか。天宿に奪われた、『龍鱗丸』が発する潮の香り。
「なんでそれが、テメェの身体から出てんだよ」
「……分かるなら、そういうことだろう」
「あァそうかよ。道理でテメェ無傷なワケだよなぁ。鎧袖の旦那ァ相手にして無傷とか、テメェの力量で出来るはずねェもんなァ!?」
言われて、ハッと気が付いた。
血で染まる無粋の身体には、けれどよく見れば傷の一つも浮かび上がってはいなかった。
あれほどに、傷だらけになりながら一つ一つの勝利を重ねてきた無粋がだ。
だとすれば、その理由はただ一つだろう。
そして思い至り、ようやく真波の鼻もその臭いを嗅ぎ分ける。
潮の香りは、刃からだけでなく……無粋の身体からも、漂っていた。
「鞘を……使ったのだな」
「あぁ。……不本意ながらな」
真波の問いに、無粋は小さく頷いた。
その瞳には、別れる前に燃え盛っていた憎悪の炎が見受けられない。
どことなく、弱弱しく覇気のない目。無粋らしくない、と真波は感じてしまう。
「あーあァ……ま、鎧袖の旦那が相手なら有り得るか、って思ってたけどなァ……」
ムカつくぜ、と荒刈は吐き捨てる。
かくりと首を傾けて、彼は獣のように目を剥いた。
「ならまァ、テメェは終わりだ。とっくに負けてる。死体が生きて喋ってんじゃねェぞ」
「死体? 死ぬのはお前だ。道を明けろ」
「ハンッ。んなザマでよく吠えてんじゃ……ねぇぞ!」
ダンッ!
畳を蹴り、先に仕掛けたのは荒刈だった。
刀を鞘に納めたままの刺突。踏み込みも速さも十全な、達人の域の先制である。
けれど、無粋には通用しない。鉄塊を盾として、無粋は刺突を容易く受け止めて見せる。
「……軽い。が、重すぎる」
受けた刀を流しながら、無粋は呟く。
荒刈の長所はその速度。半面膂力においては無粋のような男に及ばない。
「あァ、知ってるよ」
『刻角』であれば、既に二、三度の攻撃が可能であったろう。
けれど鞘に納めた刀は、『刻角』と比べればあまりに重すぎた。
「……あれなら……」
「勝てる、と思うか?」
思わず口にした真波に、投げかけたのは天宿だ。
振り向けば、その口元は好奇の色を浮かべている。
ぞわり、と背筋が震えた。この男は……
「……仲間の戦いを、楽しんでいるのか」
「仲間か。それは思い違いだ」
見ろ、と天宿は顎で荒刈を指す。
荒刈の動きは、やはり以前と比べれば鈍重であった。
低い構えは重心がぶれ、攻防一体の連撃は見る影も無い。
「やはり荒刈の天命は『刻角』にあった。それでもあの男は……刀鬼であることを、選んだ」
ぶぉんっ! 振り上げられる鞘を、無粋は鉄塊の柄で受け、弾く。
上体が浮いた荒刈は、咄嗟の足さばきで無粋との距離を保つ。鉄塊が振り下ろされ、あと数寸という所で畳を抉った。ギリギリでの回避。余裕を持っての見切りというよりは、単に危ういだけだと、無粋の目にも映る。
「その程度で、オレの邪魔をするなッ……!」
「邪魔だァ? 邪魔なのはテメェだろうが。貫けもしねェ意地でオレの刀を砕きやがって!」
うざってぇんだよ、と荒刈は吠え、刀の鞘を握りしめた。
瞬間、ピリリと空気の弾ける気配がして、無粋は無意識に息を呑む。
「テメェも理解したんだろうがッ! 力がなきゃァ何も出来ねェって事をよォォッ!」
鍔と結ばれたままの下緒を、力任せに引きちぎる。
引き抜かれた琥珀色の刃が、外から差す日でギラリと輝いた。
……その、刹那である。
ズァッ!
無粋の肩が、血を噴いた。
目を見開く無粋。その視界に、荒刈の姿は無い。
「後ろだ、無粋!」
「っ……!?」
真波の叫びに合わせ鉄塊を構えると、ギィンと音がし、無粋の身体が弾かれた。
(これはっ……)
速度、そして力。両面において、刀を抜く以前とは比べ物にならない。
ダン、と得物を蹴られる感覚がして、感触に合わせ無粋は上を向いた。
「ヴヴヴヴヴヴ……ッ!!」
天井に、荒刈が張り付いている。
否、跳んだのだ。その反動で一瞬、天井板に体重を押し付けた荒刈は、蹴りの衝撃と共に落下、己が体重を乗せた斬撃を振り下ろす。
「ぐ、ぅっ……!?」
その一撃が、また重い。
縦横無尽の速度は『刻角』の時と同等か、それ以上。
ずり、と畳で足が滑り、よろめきながらも琥珀の刃を弾く無粋。
だが次の瞬間には、また次の一撃が鉄塊の中心を捉えていた。
ぐらり。崩れた重心で、けれど無粋は本能的に再度の攻撃に備える。
今度は側面からの一撃だ。予測は正しく、けれど速さが追い付かない。
防ぐ腕の力が足りず、ガギンと音が鳴ると共に無粋の脇に隙が出来た。
斬ッ!
そこへ、斬撃が見舞う。
脇腹を裂かれ、ぐぅと唸りながらも無粋は体勢を整え直す。
呼吸を整え、荒刈の姿を探したその時には、追撃が無粋の首を狙っていた。
「チッ」
舌打ちと共に、寸での所で防ぐ。
飛び掛かるように踏み出した荒刈は、勢いのまま無粋の背後へと転がっていった。
その、僅かな間に……無粋の目は、荒刈の変化を捉える。
ずざ、と畳に着地した荒刈に、振り返りながら無粋は問うた。
「その牙は、なんだ」
「あァ? んだよ、気にするようなことか?」
問われた荒刈は顔を上げ、ニィと野蛮な笑みを浮かべる。
その歯は、元より獣じみた八重歯ではあった。
けれど今の彼の口は、それで説明がつかぬほどに鋭く、長く……
「っつーか、牙だけじゃねェわ。抜いちまッたからなァ……」
くつくつと笑う荒刈の身体は、少しずつ全体が変化し始めていた。
歯は牙に。爪も鋭く伸び、傷んだ髪はより全身を覆う体毛へと変わっていき。
何より目を引くのは、その両足が四足獣めいた骨格へと変貌しつつある点。
そう、荒刈は……猛獣へと変じていた。
「喋れる内に話しとくぜェ。オレは荒刈。刀は『刻角』改め『狗神』」
テメェが出会う、生涯最後の獣の刀鬼だ。
口にして、次の荒刈の踏み込みに、音は無かった。
まさしく獣じみた速度を以て、荒刈は無粋の側面へと回り込み……ぶんっ!
ただ乱暴に、刃を横へと振り抜いた。
その一撃を無粋は受け止めたものの、畳の上で踏ん張りが効かず、ぶわりと体が吹き飛ばされた。
バダンッ!
襖を破り、隣の部屋へと転がされる無粋。
立ち上がろうとする彼を、荒刈が追った。
「……な……」
元の部屋に残された真波は、その変貌に絶句する。
人間を獣へと変じる刀など、聞いたことが無かった。
……いや。有り得ない話ではないのだろう。あらゆる傷を立ちどころに癒す鞘と比べれば、どちらも現実離れした代物には違いない。
けれど、あの在り様はあまりにも……
「……荒刈は、元に戻れるのか?」
「さて、な。元の刀の持ち主は、殺した後に人だと分かったが」
「それは……」
刀を使えば、人に戻れぬ可能性もあるという事だろう。
それを、あの男は知っているのか。重ねて問うと、無論だと天宿は言う。
「全てを覚悟の上で、尚もあの刀を欲した。故に我も呉れてやった」
「何故だ!? あんなモノ、人が使っていいものでは……」
「ならば鬼に成るまで。刀鬼とはそういうものだろう?」
知らなかったのか、と楽し気に言って、天宿は傍らの刀を握る。
「頭を垂れろ。死にたくなければな」
「っ……!?」
手にしたのは『龍鱗丸』。瞬間、何をするのか悟った真波は、咄嗟に姿勢を低くした。
ぶぉんっ!
厚畳に坐したまま、天宿は『龍鱗丸』の刃を振るう。
同時に、ぶわり。刃の表面から鋭い水流が噴き出し、部屋を区切る襖を紙切れのように両断した。
「これで少しは観易くなったか」
ふふと笑みを浮かべ、天宿は『龍鱗丸』を置く。
視線の先では、人獣と化した荒刈と無粋が戦いを続けていた。
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