刀鬼、両断仕る 第七話【荒刈】下
◇【前回】◇
「ヴルルァァッッ!!」
荒刈の攻めは、苛烈を極めていた。
床や壁のみならず、天井さえも足場とし、あらゆる角度から斬りかかる。
獣の脚を活かした速度と跳躍は、以前の比ではなく。
「ぐっ……」
「どうしたどうしたァ!? 動けねェンならくたばっとけカスがッ!」
「ふ、ざ、けるなッ!」
鉄塊で刃を受けながら、無粋は吠え、荒刈の出足を睨む。
超高速の斬撃は、けれど直線的だった。
目で捉えられないなら、何処へ向かうか一瞬の内に読み取ればいい。
ダンッ!
天井に脚を付け、全身をバネに荒刈が身を縮める、刹那。
その視線から無粋は、次の狙いを首と察する。
(ならばそこに『無粋』を……)
置けばいい。それで殴打は通る。
否。そんなわけはない。
「ッハ! 遅ェんだよノロマッ!」
得物を振る速度より、荒刈の速度の方が上だからだ。
自然、無粋の行動は最小限の防御に割り振られる。
落下と共に首を狙う荒刈に、『無粋』の柄で受ける無粋。
一撃は重く、無粋の筋肉はそれを止めるために膨張せざるを得ない。
その隙は、この獣を前にあまりにも長すぎる時間だ。
「脚ィ!」
床すれすれを撫ぜるように刀を振るい、『狗神』が無粋の片足を喰らう。
痛みが脳髄に届くより早く、もう片方の足で無粋は荒刈を蹴り上げんとするが、片手に握った『狗神』の鞘で荒刈はそれを受け、距離を取る。
「ぐ、ぁッ……」
「つまんねェなァ、オイ。テメェそんなにザコだったかよ」
「……っっ」
届いた痛みに呻き、脂汗を浮かべる無粋。
低い姿勢で彼を見上げる荒刈は、けれど見下すようにため息を吐く。
「和葉ブッ殺したんだろ。んなザマでどうやったってんだよ」
「……刀鬼が、仲間の事を気にするか」
「別にィ? アイツがいつ死んだって驚きゃしねェし」
でもよォ、と荒刈は続ける。
僅かに目を伏せ、解雇するように。
そこに憐憫の情は無く、怒りや憎しみも無い。
「和葉は多分、オレがテメェ殺しゃあ喜んでくれんだろうな」
実感だった。和葉はそういう女だと、荒刈は短い付き合いで理解している。
よくやりました、強いですねと、笑って言うのだ。
それも仇を討ったことにではない。荒刈が強いと証明されたことに笑うだろう。
「強ェことだけが、オレたちの価値だ」
「……人の価値観じゃない」
「あァ、鬼だからな」
ふしゅう、と牙の間から息が漏れる。
薄い唇は時間が経つにつれ、更に小さく消えていく。
言葉が喋れるのも、きっと今の内だけだと荒刈は思う。
けれど……それでいい。
床を蹴り、跳ぶ。
宙で刀を逆手に持ち替え、すれ違いざまに無粋の腕を飛ばした。
「がッ!?」
噴き出す血の匂いに、混ぜられた潮の香り。
どちらも悪い匂いじゃない。けれど嗅ぐ度にムカついた。
「これが刀鬼だ。テメェの否定したモンだ」
「っっ……!」
振りかざされる鉄塊を、刀の鞘で受け止める。
あの時は敵わなかった重量にさえ、今の荒刈は抗える。
ただの殴り合いでさえ、自分はこの男に勝てるのだと、荒刈は確信をもって感じ……更に、ムカついて。
「鎧袖の旦那ァも惜しかったよなァ……」
鎧袖は、自分に無い力を持つ刀鬼だった。
反りが合うとは思わなかったけれど、内心憧れていた面もあったのだ。
あの長身、あの膂力。二刀を活かした剣技は、『刻角』を以てしても突破しきれなかったのだから。
「鞘の力に勝てなかったんだろ、旦那はよ」
「それ、をッ……!」
「言うなってェ? ハッ。甘えてんじゃねェよッ!」
切断した無粋の腕を、高く放り投げる。
肉に残った血が舞うように飛び散って、ぶわりと温い風が吹いた。
床を蹴る。次の一刀は命に届くと、誰の目にも明らかだった。
失った腕の角度から、宙を跳ね横薙ぎに振られた一撃は、無粋が守るより先にその首に刃を引っ掛け、
斬り、
飛ばす。
「無粋っ!!?」
悲鳴が上がり、血が首から噴き出した。
ごとん、重い音を立て落ちた『無粋』が、ぼたぼたと垂れる赤に染まる。
「これが答えだろ」
無粋は死んだ。
刀鬼にならずに刀鬼を倒すと吠えた男は、もういない。
……潮の香りがした。
「だからよォ……マジで、死んどけよテメェ」
振り返る。天井からぼたぼたと血が垂れる中、その男の顔だけはただ一つの汚れもなく、どんな感情さえも読み取ることは出来ない。
「それは、出来ない」
「じゃ、なんの為に戦ってんだテメェは」
「……真波を」
「助けたら、どうすんだよ。死ぬか?」
「…………」
返答はない。だからだ、と荒刈は怒りの理由に思い至る。
狂気とさえ言える執念で自分を打ち倒し、命の次に大事な刃を砕いた男が、ここにはいないのだと……分かってしまっていたから。
「あーアァ」
溜め息交じりに、斬りかかる。
腕は容易く飛ばせた。けれど次の刹那には、飛ばした腕が再生の兆しを見せる。
高い回復能力。龍神の加護。それを鎧袖は突破できなかったのだろうと、荒刈は考えて。
対する無粋は、斬られた事は気にかけず、その場で転がるようにして床に落ちた獲物を手に取る。血でぬめる柄に眉を顰めつつ、ぼんやりとした顔で次の手を考えて。
「つまらねェ」
その表情に、荒刈は吐き捨てる。
死なないという事実は、無粋から戦いの緊張を削いでしまっていた。
それも鞘を使ったあの瞬間からではない。ここに来た、その時からずっと。
「テメェ、自分で気づいてるか?」
「……」
「頼ってんだよ、テメェその鞘に」
「……卑怯だとでも、言うつもりか」
「別にィー? テメェが刀鬼なら何も言わねェわ。クソ腹立つけどなァ」
そう。卑怯だなんだと荒刈は考えない。
与えられた力を活用して戦うことに、何の問題があるだろう。
でも、この男は。この男だけは違う。
「いい加減腹括れよ。テメェの存在に」
「…………」
「だんまりかァ? あーじゃあ、テメェに一つ教えてやるよ」
ぶぉんっ! 素早く背後を取り、すれ違いざまに脇腹を斬る荒刈。
無粋はその痛みに反応しない。ただ斬られながら、相手の出方を読んでいた。
反撃の機会。攻撃が命中する時機。守りに気を取られないなら、さぞ考えやすかろうと荒刈は思う。
なら、その思考さえ刈り取ればいい。
そのための刃を一つ、荒刈は隠し持っていた。
「荒刈、あれを話すつもりか」
「なんだ……?」
二人の戦いを眺める天宿は、荒刈の言葉に微笑んだ。
それを見て、真波の胸中に嫌な予感が広がっていく。
「なに、我が昔聞いた話を、荒刈に教えてやっただけのことだ」
「まさか、無粋について何か知っているのか!?」
「いいや。あの男のことなど知らん。だが、あの男の得物は別だ」
「……あの鉄塊を、知っていると?」
「そう。粋を無に帰す。あれを打ったのは、恐らく『悠正』だろう」
「っ……!?」
それは、二十年ほど前の話。
ある一本の刀が、戦の勝敗を分けた……と噂された。
刀を打ったのは、悠正と名乗る刀匠。
「その刀匠は、強い刀を生み出すためにあらゆる努力を惜しまなかった」
一般的な鍛冶の技術から、遠来の新技法。
そして妖術、神仏の類までもを刀に利用した。
「……それは、私も知っている。多くの刀鬼を生み出した張本人だと」
「だがある時、何を思ったか悠正は自刃した。超越刀を求め多くの剣士が工房を漁りに向かったが、残されていたのは鈍の山。その鈍の中には……」
……およそ常人が振えるとは考え辛い、巨大な鉄の塊が残されていた。
「研がれもしてねェ、乱暴に殴って作ったとしか思えねぇ刀モドキ。ゴミでしかねェが、悠正が打ったッてんで物珍しがられたそいつは」
テメェの握ったソレだよな、と荒刈は問う。
無粋の返事はなかったが、それが答えだった。
「どこで手に入れたか知らねェし、興味もねェ。でもまァ、それがマジで悠正の刀だッてんなら……なァ?」
それが、数多の刀鬼の刃に連なる刀匠の手になるものだとしたら。
それを握る無粋は、鞘を手にする以前から、とっくの昔に。
「……違うッッ!!」
けれど無粋は、被りを振って否定した。
べしゃりと己の血を踏んで、自ずから荒刈へと飛び掛かる。
振り上げられた『無粋』を軽々避ける荒刈は、容易く床板を破る鉄塊をちらと見て。
「テメェには刀への拘りが無ェ。刀への執着が無ェ。けどそいつがテメェの刀の在り方だッてんなら、ちッぁ話が変わってくるぜ?」
「違うと、言っているッッ!」
ぶおんっ!
床板を剥がしながら、乱暴に刀を振り上げる無粋。
無理な力の入れ方は筋肉を張り裂けさせるが、それさえも鞘の力で治った。
人間の肉体の限界さえ、鞘があれば踏み越えることが出来る。
「それで刀鬼と何が違うッてんだよ、テメェ」
「オレは! ……オレは刀鬼ではない! 刀鬼は、人の命を顧みないお前たちのッ……」
「オレはそもそも、人間扱いされたことねェけど?」
薙がれた『無粋』をしゃがんで躱し、無粋を見上げて荒刈は嗤う。
彼の言葉に、無粋は一瞬息を呑んだ。瞬間、荒刈の蹴りが無粋の身体を吹き飛ばす。
「『刻角』握る前は、ゴミみてェな目でしか見られたことねェし。実際何度も殺されかけたし、死にかけた」
分かってるだろうが、ただの人間相手にだぞ、と荒刈は言う。
刀鬼どころか、侍でも剣士でもない人々に、荒刈は酷い差別を受けた。
「っ、だからと言って、誰かの家族を奪うようなッ……」
「家族ねェ。そーゆーのいたらマシだったんだろうな」
オレも、多分鎧袖の旦那も。
荒刈は言って、『無粋』を握る無粋の腕を切り落とす。
「刀鬼でなきゃ、刀がなきゃオレは人間ですらねェ」
「……ッッ!」
首元に刃を突きつけ、言葉で刻む。
固まった表情に、ああと荒刈は理解する。
「テメェさ、愛されたクチだろ」
鼠でも見るような目で見下された人間なら。
誰かに利用される事でしか食事できなかった人間なら。
決して見せない悲壮の色が、無粋の表情に浮かんだから。
「それでもっ……オレは、真波をっ……!」
「真波を助ける為に刀鬼になった。それでいいよなァ。いいハズだ。イカレた力が無きゃア結局、誰も何も出来ねェんだって、テメェも認めたわけだ」
「ぐ、ぅっ……」
胸を抑え、無粋は膝を突く。
この期に及んでもまだ、無粋の心は己の現状を受け入れることが出来なかったのだ。
得物を振るう度に、傷を治す度に、無粋の脳裏には、あの日死んだ母の顔が浮かぶから。
蝋のように白くなった母の、虚空を見つめる瞳を思い出すから。
そんな無粋を荒刈は蹴り上げて、仰向けに倒れた身体を踏みつける。
泣きそうな顔を見下ろして、その情けなさに息を吐く。
「受け入れられねェなら、テメェは死んでるべきだった」
「だがオレは、あの日ッ……!」
「刀の在り様を体現しようとしてんなら、テメェは立派な刀鬼だろ」
「違う!『無粋』は刀鬼を、超越刀を否定する……」
「そう願われた超越刀で、そのためにテメェは刀鬼の命を顧みねェ」
「お前たちが正しいとでも言うのか!? 刀の為に人を殺すお前がッ!」
「言わねェよ。でも間違ッてんのはこの世の全部だ」
口を噤む。段々と喋り辛さを感じてきた。
それでももう一言二言、この男に吐き捨ててやりたいと荒刈は考えて、止める。
結局コイツは死んだ男で、結局コイツは死ぬ男だ。
これ以上、何を期待すればいいって?
「じゃあな」
剣先で懐を裂く。
カンッと高い音がして、刃が包まれた鞘をはじき出した。
どろりと血を垂らす傷は回復せず、接触が条件なのだなと今更に理解する。
あとはせめて、苦しまないように一撃で。
『狗神』を振り上げ、下ろそうとした……その時に。
「やめろ!」
声を上げたのは真波だった。
聞く理由は、無いはずだ。それでもつい、荒刈は手を止めて。
「……じゃあ、代わりに何すンだ?」
無粋から視線を外さず、そう問うた。
天宿に何か言われるかと思ったが、彼はただ沈黙し、真波の答えを待つ。
数拍の沈黙の後、真波は再び口を開き――
「――刀鬼に、なってやろう」
【続く】
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