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刀鬼、両断仕る 第十話【  】

◇【前回】◇


『天刃』の崩壊から、数日。

 未だ事件の後始末が続く滝河の国へ、一人の旅人が向かっていた。
 朱色の着物を纏ったその旅人は、みれば頭髪に数本の白髪が混じっている。
 手の甲も節張っていて、どことなく乾いた印象を見る者に与えた。
 恐らくは、それなりに高齢なのだろう。
 しかしそんな特徴に反して、旅人の足取りは壮健である。

「……もし」

 旅人に声を掛けたのは、老爺である。
 すれ違い際の事だ。呼び止められた旅人は、半身を傾けて老爺に目を向ける。
「なにか」
「滝河に行かれるおつもりですかな?」
「えぇ、そのつもりですが」
「『天刃』は、滅びましたぞ」
「……そうですか」
 老爺の言葉に、旅人は目を伏せる。やはり目的は『天刃』にあったのだろう。
 老爺は、旅人が腰に差した刀に目を向ける。赤い漆で塗られた鞘からは、並みの刀にはない凄みを感じずにはいられない。
「今の滝河に向かっても、面白い事はありませぬよ。よそ者は警戒されますし、城が崩れたとかなんとかで、市もまともに開いていない」
「なるほど。それは残念」
 引き返すことにしましょうと、旅人は踵を返した。
 その姿を見、老爺はニマリと笑って頷く。
「それがよろしいかと。そのお力も、振るうなら他の場所が良い」
「……それと分かって、声を?」
 老爺の言葉に、旅人はピクリと眉を上げた。
 えぇ勿論と老爺は答え、旅人を改めて値踏みする。
 彼は、恐らく刀鬼であろう。それもかなりの強者だ。
 天宿は敗れ去ったが、平和への夢は捨てきれない。
 或いはこの男を利用すれば、再び『天刃』を興すことさえ……

「……しかし、面目ないな」
「……? なにが、でございましょうか?」

 唐突な旅人の言葉に、老爺は首を傾げた。
 一体何に気を遣う必要があるだろう。不思議に思っていると、旅人はそっと己の刀に手を掛けた。

「っ、どういうおつもりです……!?」
「同じ刀鬼なら、納得はしてもらえるだろうか。……『彼岸花』が、そう求めたのだ」

 ぞわり。老爺の背筋が怖気立った。
『彼岸花』!? あの天宿が、完膚なきまでに叩きのめされたと語った、あの!?
 絶望すると同時に、老爺は己が刀『泡沫』を抜く。
『泡沫』から発せられる幻覚の霧は、神の目さえ欺き老爺の逃走を許した。
(逃げるのだ、全霊で!)
 滝河の城から逃げ出したように、この刀を存分に活かし、この場を去る!

「私の名は暁月。刀の銘は『彼岸花』。……しかし、奇妙だな」

 霧は瞬く間に周囲を包み、老爺……鏡鳴は、すぐさま旅人に背を向ける。
『泡沫』が生み出す幻影は、恐らくは旅人の目にも何かを映し出した筈だ。
 それに気を取られている間に、目の届かない所まで……

「翁。お前からは刀鬼の匂いがしない」
「……あ……?」

 胸を、紅い刃が貫いた。
 なぜ、と問う言葉は、声にならず掠れて消える。
 命尽きた鏡鳴の身体から『彼岸花』を抜き払い、旅人は薄れゆく霧を見て微笑んだ。

「……お前は今、何をしているのだろうな」

 霧が晴れ、進もうとしていた道が見えてくる。
 けれどその先に、もはや用はない。
『天刃』が討たれたなら、そこに強き刀鬼は残っていないのだろうから。

 かくして、運命はすれ違う。
 刀鬼狩りが求めた男は、またいずこかの国へと、歩み始めた。

 *

「無粋殿。そろそろ昼餉にしようではないか」
「……む。もうそんな時間か……」

 瓦礫を運んでいた無粋は、真波に声を掛けられ天を仰いだ。
 気付けば、朝から働き通しだった。集中の糸が途切れ、無粋の腹がぐぅと唸る。

「今日は鮎の塩焼きを用意してあるぞ」
「少し待て。これだけ運んでおく」

 言って、無粋は手にした瓦礫を担いで歩く。
 真波は頷いて、その隣について並んだ。無粋は一瞬面倒そうな顔を彼に向けてから、すぐ正面に視線を戻す。

「大分片付いたのではないか?」
「ああ。そろそろ修復に移れそうとかなんとか、言っていたな」
「そうか。早く城を元の姿に戻さねばな……」

『天刃』の戦いから数日が経ち、滝河国は戦いの後処理に追われていた。
 若き跡取り、真波による刀鬼討伐。その報は国中を駆け巡り、『天刃』に怯え自身の城に引きこもっていた国衆たちが、次々に真波へ支援を申し出てきたのだ。
 先代、真雨が討ち死にした時、彼らは動かなかった。
 それを思うと、真波には少し思う所が無いではなかったが……あの時、彼らの助力が得られたからとて、どうなるでも無かったことくらいは弁えている。
 今はただ、自分が犯した間違いの始末をつけよう。
 そう心に決め、真波は生き残りの部下を集め、城の今後の方針を日々話し合っていた。

「すまぬな、無粋殿。力仕事を任せてしまって」
「オレがやると言ったんだ、気にするな」

 無粋は、真波の元に客として滞在していた。
 ゆっくり傷を癒せと真波は進めたが、彼はそれを頑として断り、「腕を鈍らせないため」と様々な手伝いを申し出た。
 それも、もうじきひと段落という所まで来てしまったが。

 仕事を終えた無粋と真波は、昼餉を共にする。
 魚の骨に苦心する無粋を見つめながら、そういえば、と真波は切り出した。
「『龍鱗丸』についてなのだが、由来を示した書物が残っていてな」
「……そうか」
「かつて『龍鱗丸』は、川の氾濫を鎮める為に使われたのだそうだ」
 長く続く雨と、それに伴う洪水。
 田畑を薙ぎ払う災厄を鎮めようと、真波の祖先である皆守の武士は、龍神へ祈った。
 その結果、授けられたとされるのがあの『龍鱗丸』なのである。
「その武士は、龍神の一撃で川を操り、村を救った……らしい」
「……そうか」
「信じるか、無粋殿?」
「どうだろうな。昔のことなど、オレには分からん」
 ようやく小骨を取り除けた無粋が、鮎を口に運びながら答える。
 無粋らしい答えだ、と真波は苦笑する。事実、伝説など何処までが事実か分かったものではない。……けれど。
「本当であれば良いと、私は思うよ」
「……そうだな」
 真波の言葉に、無粋も頷いた。
『龍鱗丸』による暴走が、刀でなく真波の心に起因するものであったなら。
 いつの日か、正しい心と目的を以て刃を抜けば、『龍鱗丸』の力を人々の役に立てる事が出来るのかもしれない。
 一番いいのは、それを試すことなく、平穏な日々が続くこと……なのだが。

「……なぁ、無粋殿」
「なんだ」
「無粋殿は、これからどうするのだ?」

 平穏な日々。心の内で湧いた言葉が、真波にそんな疑問を浮かばせる。
 城の復興は進んでいた。これ以上、無粋の力を頼りにすることもないだろう。
 腕や胸の傷も、おおむね塞がっていた。最早、無粋を足止めする理由は真波の中に無いのだ。
 問われた無粋は、汁椀を手にしたまま硬直した。
 俯き、考えているのだ。これからの事を。……まだ迷っている、ということか。

「無粋殿が良ければ、これからもこの国で……」
「すまない。そのつもりはない」

 真波の誘いを、無粋はぴしりと断った。
 そうか、と真波は答え、微笑みを浮かべる。
 分かっていたことだった。恐らく無粋は、この国には留まるまい。
 真波の笑顔は強がりだ。本音を言えば、無粋にはいつまでもここにいてもらいたい。
 無粋自身、彼のそんな気持ちを理解はしていた。
 悪い生き方ではないのだろう、とも。

「……。オレには、すべきことがあるような気がするんだ」
「それは……故郷の、敵討ちか?」
「違う。奴を許すつもりはないが、それとは別だ」

 しかし、無粋はそれを言葉に出来ない。
 ちらりと、無粋は壁に立てかけた『無粋』に目を向けた。
 戦いを終えてから、無粋は一度も『無粋』を握っていない。
 自分にその資格があるのかと、疑問に思っていたから。

「以前のオレは、もう死んでしまったのだろうな」

 荒刈に言われた言葉を思い出す。
 自らの命を顧みず、狂気のままに刀鬼を狩っていた無粋。
 その在り方は、既に終わってしまった。『無粋』という鉄塊に籠められた呪い染みた願いを、今の無粋では完遂出来ない。
 そんな自分が、あの鉄塊を握っていいものだろうか。

「……私は、無粋殿が助けに来てくれて、心の底から嬉しかった」

 無粋の視線の先に気がついて、真波はぽつりと零した。
 それは、真波がなかなか口にする勇気を持てなかった言葉である。
 怒るだろうか。気味悪がるだろうか。真波は心配したが、無粋の表情は揺らがない。

「答えは……決まっているのだろう。ただ決心がつかないだけで」
「そう……かもしれないな」
「なら、その道を行くしかないではないか」

 はぁ、と真波は溜め息を吐く。
 上手く言いくるめれば、無粋をこのまま手の内に置くことも出来ただろう。
 それでも、自ら選ばなければならない。この男の背中を押し、別れることを。
(どうにも、手間のかかる御仁だ)
 真波は、そんな無粋の事を尊敬しているのだが。
 顔を上げ、すぅと息を吸い、意を決して真波は語る。

「戦え、無粋。己の信ずるままに」

 どうせ、他の生き方が出来るほど器用ではないのだ、この男は。
「……いいのか、真波」
「いい。私が許す。……けれど忘れるな、その命は」
 無粋の命は、真波が身を挺し救ったものだ。
 逆に自分の事を命懸けで助けてくれたが、そこはそれ。
 しっかりと言い含めておかないと心配だと、真波は敢えて強く言う。
「無粋殿一人のものではない。だから、決して……」
「……分かった。投げ出しはしない」
 こくりと、無粋は頷いた。
 もう以前のように、命を粗末にした戦い方はしない。
 その上で、自ら信じる道を行くのだ。

「険しいな、どうも」

 決して強くなったわけではない。
 以前の無粋と少しも変わらない強さで、命を手段とする事を辞めるのだ。

「問題ないさ、無粋殿なら」
「だと、いいが」
「……ああ、そうだ。これも気になっていたことなのだが……」

 思い立ち、真波は無粋にある疑問をぶつけた。
 無粋という名は、刀鬼を討つべく造られた鉄塊『無粋』に由来した名だという。
 であるなら……彼が『無粋』を手にする前、修羅へと堕ちる前の彼には、別の名があった筈である。

「無粋殿の、本当の名前は何という?」

 無粋が死んだというのなら、これからはそれを名乗ればいい。
 人として生きるなら、人としての名が必要だろう。
 真波に言われ、無粋は目を丸くした。思えばその通りである。
(オレは『無粋』ではないのだな)
 そんな当たり前の事さえ、忘れていたのだ。
 苦笑して、男は箸を置き、恩人の瞳をじっと見据える。

「オレの名前は、風芳」

 懐かしい響きだった。
 もう何年も口にしていなかった、自分の本当の名前。
 そうだった。オレは風芳だった。何度も頭の中で反芻して、噛み締める。

「良い名前だな、風芳殿」
「ああ。……ありがとう、真波」

 礼を言う彼の顔には、微笑みが浮かんでいた。
 それを見て、今度は真波が目を丸くする。
 彼が笑っているところなど、真波は初めてみたのだから。
 笑えるのだなと驚かれ、当然だ、と風芳は答える。
 その様を見て、彼を鬼と呼ぶ者はいないだろう。
 ただ当たり前の、一人の青年として、風芳は真波と食事を共にして。

 ……やがて、風芳は国を発つ。
 刀鬼を狩るためでなく、仇を討つためでなく。
 ただ、己の信じる道を進むため、ひたすらに歩く。

 しかしその最中、非道の刀鬼と出会ったならば、彼は一時、人でありつつ修羅となる。
 荒く黒い鉄の塊を抜き、風芳は一言、口にするのだ。

「――刀鬼、両断仕る」



【終わり】

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