見出し画像

刀鬼、両断仕る 第九話【天宿】下

◇【前回】◇


 ごうごうと、渦潮が猛る。
 しっとりと湿った空気を深く吸い込んで、吐く。
 二人の刀鬼は、ほぼ同時に地を蹴った。
 真波の左、鞘を持つ手には天宿。
 真波の右、刃を持つ手には無粋。
 対の刀と鉄の塊が、両側から『龍鱗丸』を弾かんと狙う。
 対する真波は、尾で瓦礫を強く打ち、鋭く宙へと跳んだ。
 刀は渦の飛沫を斬るのみに終わり、両の側から刀鬼たちは一瞬目を合わせる。
 笑む天宿と、憮然とした無粋。
 両者はちらと上空の真波に目を向けてから、互いの刃をぶつけ合う。

 ――ギィンッ!

 ともすれば得物を取り落としてしまうそうな、強い衝撃と音。
 生半な刀であればこの時点で折れ砕けていただろうが、彼らの武器は尋常のそれではない。互いに勢いの反動を受け、後方へと弾き飛ばされる。
 瞬間、空から滝のような渦潮が降り注いだ。
『龍鱗丸』による一撃は、彼らが先ほどまで立っていた瓦礫を、粉々に砕き割ってしまう。
 もし、あの場に留まっていたのなら……刀で受けたとて、骨が持たなかっただろう。

「命拾いしたな、無粋」
「……こちらの台詞だ」

 心を通じ合わせ避けた……わけでは、無い。
 あの一瞬、天宿は無粋を殺すつもりで刀を向け、無粋もまた天宿の刀の一本はへし折ってもいいと考えていたのだ。
 それが結果として、真波の一撃を躱すのに役立った、だけ。
 問題は次である。
 刀を振り下ろすだけで、真波は大質量の滝でこちらを圧し潰す事が出来る。
(しかし、纏う水が薄くなっているな)
(そう何度も連発出来る業ではない、か?)
 水鎧や渦潮が、技を放つ前と比べて小さくなっている。
 とすれば、水量が戻る前に真波を降ろすべきだろう。
 考え、無粋は流れていった瓦礫の一片を拾い、再び撃ち放つ。
 真波はその瓦礫を水刃で斬り払うが、その隙に天宿が跳んだ。
 驚異的な跳躍によって真波の背後を取った天宿は、二本の『薄明』によって、真波の背中を強く打つ。
 斬れはしないまでも、刀による殴打は真波を落とすには十二分の効力を発揮し……
「『……っ!』」
 落ちた先には、無粋が走る。
『無粋』を構え、かち上げるようにして刃を打った。

 ……ガギッ!

 真波の指から異様な音を響かせつつ、刃が宙を舞った。
 着地した真波と天宿。ハッとして真波は鞘で己が身を守る。
 ギリ、と音を立て、鞘は『薄明』の刃を防いだ。
 真波は直後、尾を振るい天宿を打たんと狙うが……その、前に。
 ふわり。上から力を加えていた『薄明』の一刀が、鞘から離れる。
 鞘に力を込めていた真波は、その刹那姿勢を乱し……
 二刀目の振り上げが、鞘を弾いた。

「『がっ、あっっ……!?』」
「……ふむ」

 ぶわり。真波の纏う水鎧が、悲鳴と共に爆ぜた。
 着物の裾で顔への飛沫を防ぎ、天宿は小さく呟いた。
 逡巡、したのだ。この決着に、無粋の介入を許して良いものか、と。
 一度あの男を斬り、仕切り直すべきなのだろうか、と。
 けれど天宿は、そうしない。

 強敵との戦いを望んでいた。
 己をより強くする存在を望んでいた。
 それは刀鬼にとっては普遍的な願いで、故に自分は、強き者を集める仕組みを生み出したいと考えていて。

「……先ずはそれ、よな」

 ここは天宿の終着点では、ない。
 拘り過ぎて勝機を逃すというのも、愚かな話ではないか。

 故に天宿は『薄明』を振るう。
 刀鬼として、神として戦い抜いた真波への、それが彼なりの敬意だった。
 薄く光る刃は、真っ直ぐに真波の首へと向けられ……

 しかし飛び散った鮮血は、真波のそれでは無かった。

「ぐ、ぁっっ……!」
「……お前」

 刃が食い込んだのは、真波ではなく無粋の左腕。
 血を噴き、苦悶に声を漏らしつつも、無粋は真波を抱き、天宿に背を向け距離を置く。

「本当に……無粋よな、お前は」
「何とでも言え……」

 嘆息する天宿に、無粋は荒い呼吸で応える。
 その有様を見て、天宿は更に呆れ返った。
「胸を斬られ、腕を斬られ、それでこの後どうするつもりだ?」
 真波を助けた。それはいいとしよう。
 けれど手負いの無粋など、天宿は脅威と思えなかった。

「お前は何がしたい? 真波の戦いを邪魔し、真波の死を邪魔し、結果手に入るものは……何もないだろう」
「手に入れるものが、必要か」
「ああ。我であれば剣技。鏡鳴であれば平和な国。鎧袖は強さの証明。和葉は己が剣との対話。荒刈は、より良い暮らし」

 願いがあらばこそ、刀鬼は命を擲てた。
 人の道を捨てた鬼と呼ばれても、だからこそ己が道を突き進む覚悟が、刀鬼にはある。
 それは真波とて同じだろう。己を犠牲にしてでも、天宿という敵を討つ選択をした。
 けれど目の前の男はどうだ。何を得ようとしている。

「……答えよ、無粋」

 ここで答えられないようなら、彼は荒刈の言う通り、ただの死に損ないでしかない。
 死者には、引導を渡すべきだ。
 荒刈がやり損ねたというのなら、代わってこの剣で。
 天宿の眼差しに、しばし無粋は沈黙した。
 荒刈から問われた時も、答えなど出なかったのだ。
 ただ刀鬼を殺すことにのみ命を懸けた刀鬼。
 その在り方も、貫き通すことが出来ず折れた鈍。
 とっくに使い物になどならない筈なのに、それでも立つ理由は……

「……なら、魚だ」
「何を……言っている?」
「魚を食わせると、真波が言った。それにしよう」

 別れ際の会話を思い出し、口にする。
 欺瞞であると分かってはいた。本当は理由なんて何でもいい。
 それでも何か一つでも、自分の我儘を通す根拠があったなら。
(……ああ、そうか。オレの我儘か)
 真波には刀鬼になってほしくない、などと。
 独力で戦い抜けなかった身でほざくのは、確かに傲慢な我儘だ。
 今更ながらに天宿の指摘に納得がいき、無粋はふっと苦笑する。
 だったら、それはそれでいい。
(所詮オレも、人でなしの刀鬼なのだから)
 文句を言われたって、聞く必要はない筈だ。

「正気とは思えんな」
「鬼が鬼に、それを言うか?」

 無粋は答えながら、抱いた真波をそっと寝かせようとする。
 真波は気を失っている。そう思っていたが……
「ま……て、無粋どの……」
 横たえようとしたその時、真波は目を覚ました。
 ぼんやりとした顔で真波は無粋の姿を見、すぐに状況を理解する。
「……その、胸の傷」
 私がやったのだな。真波に問われ、無粋は答えに窮した。
 あれは『龍鱗丸』のせいだと言っても、真波は納得しないだろう。

「私には、見えていた。斬った感触も、まだこの手にある……」
「……そうか」
「けれど分からなかった。それが無粋殿だとは。……ただ、敵を斬ろうと……それだけで、頭がいっぱいになっていて……」
「……。オレも、同じだ」

 真波の言葉に、無粋は思う。
 敵を、刀鬼を討つ。それだけに固執し、他が見えなくなっていた。
 鬼か、神か。呼び名こそ違えど、人ならざる在り方である事に違いはない。
「オレは……真波には、人であってほしいと思う」
「……。父上も、同じだったのだろうか」
「さぁな。そこまでは分からない」
 首を振って、無粋は真波に背を向ける。
 天宿はじっと目を閉じ、彼らが言葉を終えるのを待っていた。

「待たせたな、天宿」
「構わん。だが……敢えて、お前たちに問わせてもらう」

 言って、天宿は目を伏せる。
 考えて、それでも理解が出来ぬという風に。

「人である事は、それほど大切か?」
「……」
「優れた刀。優れた剣術。それを以て更なる高みを目指す。……そこに、何の不服があるというのだ?」
「お前は、その高みとやらの為に戦っているのか」
「無論、そうだ。剣という道を究め、人の領域を超える。否、人を超えた剣に追い付く。我も『天刃』も、その為にこそ存在しているのだ」

 無粋の問いに、天宿は頷いてみせる。
 真波は既に聞いた話だ。『龍鱗丸』を狙い、国を盗り、刀鬼を集める。その目的は、刀鬼同士で研鑽を積み、更なる強さを手にすることにある、と。
 人が歩める時間には限度がある。その限られた時を最大限に活かすには、強くなるための仕組みを整える必要があると、天宿は考えたのだろう。
 そして『天刃』の刀鬼たちは、各々の理由でその国を必要とした。
 けれど、その願いの裏には……

「死臭が漂っている。お前たちの願いは、あまりに多くの死を招く」
「ああそうだ。我らは巻き藁を斬り過ぎた。だからこそ、強者が集う国を造るのだろう」
「……っ」

 あまりにも、自然に。
 天宿は人を、巻き藁と呼んだ。
 価値の無いものと、斬り捨てて当然の物として扱った。

「お前たちが斬ったものは、巻き藁じゃない。生きた人間だ」
「……ただの人などいくら斬っても、刀鬼の先には行けないな」
「そういう話をしているんじゃないっ! お前たちは……!」

 言いかけて、無粋は言葉を止める。
 お前たちは、なんだ。命を粗末にしている? そんな言葉を、このオレが吐けるのか。刀鬼とはいえ、人を殺す為に生き、己の命を顧みなかった、オレが?

「……お前たちは、間違っている」

 無粋の言葉を継いだのは、真波だった。
 ハッとする無粋の左に、真波はそっと寄り添う。
 天宿に斬られた傷跡を横目でちらと見て、真波は改めて目前の敵に目を移す。

「人は、誰しも懸命に生きている。……大切な、尊いものだ」
「我にはそうは思えない。ここに埋まった者たちに、それほどの価値があるか?」

 天宿が示すのは、瓦礫に埋まった侍の死体。
『龍鱗丸』の力によって崩れた城の、犠牲となった男たち。
 彼らを殺したのは、真波だ。知っていて問いかけ、分かっていて、真波は答える。

「……あるとも」

 自分が正気を失って踏みつけにした命に、価値はある。
 口にするだけで、真波の心は張り裂けそうだった。それでも、この言葉から逃げる事は、真波には出来ない。自分の過ちを受け止めて、それでも真波は、城主として……父からこの国を預かるものとして、言わなければならない。

「人の力は、人を守るためにあるべきだ」
「そんな力は存在しない。『龍鱗丸』とてそうだっただろう」
「……いいや。まだ分からないさ」

 言って、真波は瓦礫の一辺へ目を向ける。
 そこには、彼の手から弾かれた『龍鱗丸』の刃が突き刺さっていた。

「天宿。無粋殿の左腕は、私を庇って傷付いたのだろう」
「ああ。それがどうした」
「ならば私は、無粋殿の左腕となる。……構わないな?」
「……あれだけの事をして、尚『龍鱗丸』を扱うと?」

 真波の意図に勘付き、天宿は眉を寄せて問うた。
 天宿の言葉に、無粋も目を見開き真波を見る。
 それぞれの視線を受けた真波は、小さく頷いて瓦礫の山に足を踏み入れた。

「証明、しなければならない。……お前にも、無粋殿にも」
「何を証す。その力は、お前を刀鬼へと変えるぞ」
「否だ。……私は、お前たち刀鬼を『恐るべき刀を持った剣士たち』であるとしか、考えていなかった」

 言いながら、真波はゆっくりと瓦礫を進む。
 その行動を、無粋も天宿も止めはしない。

「けれど、違う。お前たちが刀鬼である所以は、力ではなく在り方にある」

 己の願いの為に、他者を踏みつけ斬り払っても構わない。
 それを疑問にも思わず突き進む、狂気じみた覚悟。
 或いは、感情や理性の消失。どうあれ、人間らしさの欠如。

「……。無粋殿。私を止めてくれてありがとう」

『龍鱗丸』を前にして、真波は小さく呟いた。
 瓦礫の下には、いずれ自分の部下となる者たちが埋まっていた。
(私は、決意を固めたわけではなかった)
 無粋に頼る事を辞め、自らの手で戦おうとしたあの瞬間。
 真波は結局、逃げていたのだ。自分のせいで誰かが犠牲になるという事実から。
 父を失ったように、他の誰かを失う事が怖かった。
 その結果が、この瓦礫と死体の山。そして無粋の傷付いた姿だ。
(私は間違っていた。……なのに)
 我儘で、酷い事だと理解はしていた。
 それでも……神化を解かれ、己が無粋の腕の中にいると自覚した時、思ったのだ。

 嬉しい、と。

 誰かに助けられる自分を悔いて刀を手にした筈なのに。
 傷付く無粋を救いたいと思っていた筈なのに。
 自分の存在が、無粋を追い詰める理由になったと分かっていた筈なのに。
 無粋が自分に手を差し伸べてくれたことが、こうも嬉しいなんて。

『龍鱗丸』の柄を、握る。
 鼻腔をくすぐる潮の香りに、真波は一瞬たじろいだ。
 またあの冷たい感覚が体を支配するのではと恐れ、手がぶるりと震える。
 力は、人を変える。時として人を狂気に陥らせ、時として人の姿を変貌させ、時として人の精神を造り変える。
(だが、私にはお前が必要だ)
 心の内で、『龍鱗丸』に呼びかける。
 独りで戦うためにではない。それでは刀鬼と何ら変わりない。

「私はこの力を、守る為に振るおう」
「何を守ると?」
「無粋殿。私自身。この国の未来」

『龍鱗丸』を、引き抜く。
 瞬間、脳髄がぐらりと揺れる感覚がした。
 龍神と化した影響が、まだ体に残っているのだろうか。
 けれど真波は、もう己の感情を見失う事はない。

「左腕の代わり、務めてもいいな?」
「……。ああ」

 刃を抜いた真波は、再び無粋の隣へと立つ。
 無粋は己が鉄塊を右腕で握り、二人は対の刃の刀鬼へと目を向ける。
 対の刃の刀鬼は、彼らの姿に数秒沈黙し、ふっと息を吐いた。

「良いだろう。手負いの亡者と未熟な剣士、共に相手取る程度、この我には造作もない」
「驕るな、天宿。私も無粋殿も、そう易々と討たれはしない」
「ならば証明してみせよ。守る為の力とやらを、この我に!」

 問答は、もはや無用であった。
 個の高みを目指す刀鬼と、守り支え合う人の刃。
 二者の剣が交わる事は無く、互いの正しさはただ、勝負によってのみ決せられる。

「我が名は天宿! 刀鬼が夢、剣の極みを目指す『天刃』が首魁!」
「滝河国跡取、皆守真波。恩ある剣士を守り、国を取り戻すべく」
「……オレはただ、我儘と道理を通すため」

 鬼と、人と、死に損ないの半端者。
 それぞれの剣が、己が敵へと向けられた。

「いざ、尋常に――」

 勝負。
 音が意味を持つ前に、ダンッと地を蹴ったのは無粋である。
 左から右への薙ぎ払い。片腕で操る鉄塊は重く、けれどその威力を損なわない。
 天宿は落ち着いて軌道を見定め、右の刃の背でこれを流す。
 同時に、空いた無粋の胴へと左の刃で刺突を狙うが、打ち放つ直前で踵を返す。
 水の刃が、天宿へ向け放たれたからだ。
 やや出遅れた『龍鱗丸』の一撃である。水の威力も速度も、神としてのそれに比べれば児戯に等しい。躱す事は、天宿ほどの使い手にとっては造作もない事である。
 けれど、そこには無粋も立っている。
 流された『無粋』を、更に身を捻る事で上段へ運ぶ。
 受け防ぐのではなく、受け流す。天宿の選択は『無粋』の威力を鑑みれば至極当然の手ではあったが、無粋はそれを読んでいた。
 流された威力保持したまま、速度と重さを更に上乗せした、踏み込みからの振り下ろし。
 破壊力は絶大であり、流すつもりで触れた刃でも、当たりどころによってはへし折れるだろう。天宿は理解し、息を呑みつつ後退する。
 鉄塊は、届かない。鼻先を超重量の黒鋼が過ぎ去り、天宿は隣り合わせた死の気配に微笑む。荒く、決して研ぎ澄まされてはいない。故にこそ感じられる暴力の重み。
 在り方としての鬼でなく、御伽噺に語られる魔としての鬼を想起させる無粋の力に、天宿は深く感心した。
 無論、それに比べて己が劣っているとは、微塵たりとも考えはしないが。
 水刃による援護を斬り払い、ダンッ。踏み込みからの横薙ぎは、『刻角』の速度に勝るとも劣らない冴えを見せる。
 無粋は瓦礫にめり込んだ『無粋』を盾とし、その側面に身を隠す。
 刃は止められたが、体勢故に『無粋』での追撃は出来ない。
 どうするか、考えるまでもなく無粋はそこから更に踏み込んで、肘鉄の一発を天宿の鳩尾にめり込ませた。
 肺から呼気が押し出される。よろめくかと思われた天宿の体躯は、しかし揺らぐことなく踏み留まり、懐へ入った無粋へと重い蹴りを喰らわせる。
 白い肌と落ち着いた所作からは想像が付かぬほど、その蹴りは重かった。
 筋肉の量は恐らく自分に匹敵すると、ただの一撃で無粋は理解する。
 精神、肉体、剣技。ほぼあらゆる点において、天宿は至高の剣士であった。
 独りで挑んだのなら、万全の状態でも勝つことは難しいだろう。
 よろめいた無粋は、思いながらも足で瓦礫を蹴り上げる。
 つまらない礫の牽制は、柄で軽く弾かれた。真波の水刃がそこを襲うことで、ようやく無粋は『無粋』を握り直す間を得られる。
 例えば、死を前提として踏み込んだなら……相討ちには持ち込めるか。
 想像し、否と無粋は首を振る。命を糧に一撃を得たとして、それでも天宿には届くまい。何よりその戦い方は、共に戦う真波への侮辱でもある。
 生き抜く戦いをしよう。切り替えた無粋は距離を置き、その隣に真波が立った。
 双刀を手足の如く操る天宿には、隙が無い。
 けれど無粋にも、真波という信頼できる片腕がいる。
 刃の数では負けていない。ちらと横目で真波と目を合わせてから、無粋は再度踏み込んだ。今度は重たい突きの一撃。容易に躱されはするが、躱した先を読み易い。
 僅かな足の挙動から、真波はその先を読み、『龍鱗丸』を振るう。
 真波の剣は年相応の重さしかなく、打ち合えば間違いなく負けるだろう。
 しかし、父の背を追い、その剣を理想としてきた真波の所作は、既に一端の剣士の片鱗を見せ始めている。……その刃が、動きを読み、先んじて飛ぶのだ。
 ごく限られたこの状況下において、真波の刃は天宿の脅威となり得た。
 悠々と斬り払うには、速過ぎる。ぞわりと天宿の背に怖気が立った。受け防ぐ他ない。さもなくば斬られる。
 ――この一撃は、ともすれば命に届く。
 右の刃で水刃を受け止めた天宿は、だが刹那にその意味を理解する。
 警戒を要する真波の刃は、殺す為でなく、止める為に放たれたのだと。
 水刃を受ける為、僅か足を止め刃を留めた、その隙に。
 躱した筈の鉄の塊が、ぐわりと右の刃を追撃した。
 避ける事も、流す事も叶わない。自然、正面から鉄塊を受ける事となった右の『薄明』は、ギィィと悲鳴染みた金属音を響かせ、バギン。
 音を立て、砕け折れた。
 宙を舞う刃は、纏っていた光を瞬く間に失い鈍色へ変異していく。
 残された刃は、あと一本。衝撃によって吹き飛ばされた天宿は、驚愕しつつもすぐ冷静さを取り戻し、深く息を吸うと共に、左の刃を両手で握る。
 無粋は既に、追撃へと動いていた。息を吐きながら、天宿は澄んだ視野で無粋たちの動きを見定める。
 真波の『龍鱗丸』が次の水刃を放つまで、あと三拍。
 先に真波を討つことは不可能だ。無粋は既に二拍の距離にいる。
 ダンッ! 無粋が『無粋』を横に構える。獲物が届くまで、あと一拍。
 決着の刻だ。無言の内に、無粋と天宿は互いに理解する。
 天宿は呼吸を止め、腰を低く下すと共に『薄明』を振り上げる。
 刃は無粋の身体を軌道上に捉えていた。『無粋』が届くよりもなお早く。
 だがそこで、無粋は強く地面を蹴り、踏み込みを半ばで無理に留めた。
 剣先が届く距離。けれど遠く、あまりに長い。瞬き程度伸ばされた直撃までの時は、それを生み出した無粋にとっては決定的な差を生み出す。
『無粋』が、『薄明』に届いた。
 正面からぶつかり合う二つの鋼は、刹那白い火花を爆ぜさせた。
 弾かれるか、取り落とすか。天宿の両手首はその直撃を耐えられない。
 しかし刃が逃げる事を、無粋は許さなかった。留めた足を再び進めて剣先を大地に押し付け衝撃を逃がさない。
 ……折れる。天宿が理解したその瞬間が、三拍目。
 潮の香りが、無粋の頭上を駆け抜けた。

 ――バギンッッ!!

 二本目の刃が砕かれたと同時に、天宿の身体は血を噴いた。

「……お前たち刀鬼の、悪い癖だ」

 最後の一手、無粋と天宿は、思考の域を超えた本能によって体を動かしていた。
 脳ではなく、神経そのものから伝達された行動は、故に互いの意識によって食い違う。
「オレは刀鬼を殺す。刀鬼を生む刀を砕く」
「……刀鬼狩り、か」
 あの刹那、天宿の本能は『無粋』の狙いを己の命と見誤っていた。
 多くの刀鬼との闘い、研鑽によって、天宿の身体はそのように業と神経を磨いたのだ。
 けれど刀鬼の刀を折る事を宿命とした無粋は、天宿でなく『薄明』に狙いを定めていた。

 在り方の差が、二者の命運を分けたのだ。

「フッ……ハハハハハハハッ!」

『龍鱗丸』の一撃は、天宿の内臓を裂いていた。
 口の端から血を流し、しかし天宿は高らかに笑う。

「見事……見事なり、無粋! 見事なり、真波!」

 天宿の、完全なる敗北だった。
 天を仰ぎ、しばし彼は呵々大笑する。
 あまりに満足げなその様子に、無粋は眉を寄せ、真波はただ戸惑う。

「こうも負けたのは……二度目だ」
「……お前ほどの男が、一度負けた事があるのか?」
「あるとも。天下一と驕っていた我の剣を、その男は軽くあしらった」

 その時の剣の、華麗なことといったら。
 眼を細め懐かしむ天宿を見て、初めて真波は彼に共感を覚える。
 まるで、父の剣を追い求める自分の姿を見ているようだと思ったのだ。

「お前たちの剣は真逆であったが、それはそれ。……しかし、惜しいな」

 霞み始めた瞳で、天宿はじぃと真波の顔を見た。
 彼が刀鬼となったなら、その剣にも近づけたかもしれないのに。
 叶わないと知りながら、天宿は夢想する。神に等しい至高の剣技を、再び目の当たりにするという己が希望を。
 とはいえ、悪い気分ではないのだ。無粋と真波は、彼の信じた剣とは別の道を、最期の最期に指し示してくれたのだから。

「精進せよ、真波。……易々とは死ぬな、無粋」

 それだけを言い残し、天宿は逝く。
 刀を折られ、死しても尚、その男が膝を突くことは無かった。

 やがて、雨が降り始める。
 雨滴は血と潮の香りを押し流し、しとしとと崩れ落ちた城に染み渡っていく。
 戦いは、終わった。
『天刃』は、滅びた。

【続く】

サポートしていただくと、とても喜びます! 更に文章排出力が強化される可能性が高いです!