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選考を通じて感じたZENKIGENの倫理観の高さ

はじめまして。ZENKIGEN新卒1期生の山本のどかと申します。

「やりたい」と思うとそう思えたことに価値があると信じ、気づけば大学生活は、よさこい・スターバックスのアルバイト・外国人と地域おこしをする国際ボランティアなど色々手を出してました(笑)。

私は教育大学出身で、大学進学当初は「高校の英語の先生になりたい」と思っていました。それが上記のような様々な経験をするうちに、「卒業したら民間企業に就職しよう」と考えが変わり、就職活動を経て今に至ります。

今回は「まだ社会に出る前の等身大の私たちがZENKIGENの魅力」として、私からは「ZENKIGENの倫理観」について書かせていただきたいと思います。

AIに敵対心を持っていた就職活動初期

ZENKIGENはAIを自社で内製している企業ですが、私はもともとAIに対して良いイメージを持っていませんでした。

前提として、「人が誰かのためや社会のためになるというやりがいを持って働く仕事」はその大小を問わず価値があるものだと私は思っています。

例えば、常連さんと楽しそうにコミュニケーションをとっているスーパーの店員さんや、おもてなしで癒しを届けるホテルのフロントマン。私自身、大学受験の際「勉強、頑張ってください!」とカフェの店員さんに声をかけてもらった時のことは今でも強く記憶に残っています。

なにげないコミュニケーションによって、相手のその日を良い日にできる。そんな可能性のある仕事をやりがいを持って働いている方々ってすごく素敵じゃないですか。

ただ、今あげたような仕事はAIによって代替可能とされる仕事に含まれています。AIに関して浅薄ながら、「代替可能であってもそこにやりがいや人との繋がりもあるはずなのに、ビジネスや効率化のために何でもAIにするなんておかしい。」そういう思いがあって、自分がAIを扱っている会社に勤めるなんて考えもしませんでした。

ZENKIGENとの出会い

そんな私がどうしてZENKIGENの選考に進んだのか。

もともとは就職活動中に知り合った社会人の方から、「すごく合いそうな会社がある。」と言われたことがきっかけでした。

正直「断りにくいな。」という思いもありましたが、「客観的に見て私に合う会社も見てみよう。」という思いで面談に進みました。

人事の方と一対一の面談でした。ざっくりZENKIGENのプロダクトの話をした後は、お互いの価値観をお話しするような雑談に近い会話でした。

その中でひとつ、衝撃的だったことがあります。

それは「働いている人だって人間なんだから、気分が上がらなくてパフォーマンスがいつも通りに出ない日だってあるよね。」と人事の方が言葉にされたことです。それまでの就職活動では、どちらかというと「モチベーションに左右されるな。」「やる気が出ない日もいつも通りのパフォーマンスを。」に近い言葉を耳にしていました。現実は「そういう日だってある。」だとしても、そう言ってしまえば、その言葉に甘える人がいるからだと思いますし、社会人としてそうあるべきことは明らかだと思います。
ただ、ZENKIGENのように「そういう日だってある。」と言葉にできるのは、「気分が上がらなくてもいつも通りにパフォーマンスを出そうとする個人が集う、自律した組織」であるからではないか、と感じました。
要は、組織や環境が規制しなくとも、個々人が自分で判断できる状態だと感じたのです。

そんな珍しい体験に「もう少しこの会社に触れてみたい。」そう思って、案内を受けた説明会に進みました。

選考を通して感じたZENKIGENの倫理観の高さ

気になったら全部見てみないと気が済まない性格でZENKIGENの説明会に参加した私でしたが、実はこの時までZENKIGENがAIを扱う会社だと気づいていませんでした。当時リリースされているプロダクトは「harutaka(ハルタカ)」のみだったので「WEB面接サービスの会社」くらいのイメージでした。

説明会では、代表の野澤が登壇し、会社説明とこれからの社会の話をしていました。

この説明会で、私は初めてZENKIGENがAIを扱う会社だと知りました。
ただ、不思議とネガティブな感情を抱くことはありませんでした。それは、AIを使う理由が「就職活動で”受かるべき人(受かればその会社で活躍するはずだった人)”がESや適性検査など人柄のわからない選考方法だけで不採用となってしまっている現状を変えたい。」「日本では鬱病などが深刻化している。もっといきいきと働く人を増やしたい。」という想いから来ていたからです。

私の「やりたい」という気持ちが動く時はいつも「人や組織の可能性のもったいないをなくしたい」という想いが動機でした。野澤が語った「就職活動の選考の妥当性が曖昧であること(それによって不採用を受け取った多くの学生が心を病むこと)」や「働く人がマイナスな感情を持って日々を過ごすこと」は私にとっても「もったいない」と感じることでした。

AIをビジネスチャンスや効率化ではない理由で、強い想いをもって世のためにAIを創る会社もあるのだと、今までの自分の考えがひっくり返る感覚でした。

質疑応答の場面で、野澤に質問をした時の回答もとても印象的でした。
一言一句は覚えていないのですが、「メンバーシップ採用とジョブ型雇用」の話を切り口に「アメリカなど先進的な国がやっているから日本でも実施することをどう考えられますか?」といったような質問をしました。野澤は「アメリカや中国と同じやり方をする必要はない。AIも同じでアメリカや中国を追いかけるだけではなく、日本人に合った使い方があるはず。」と仰っていました。

この考えを持っている方なら、ビジネスの利益のためにAIを進化させていくことはないのではないか、と直感的に感じたのを覚えています。

この先の社会において、AIがどんどん進化し社会に使われていくことは自分でもわかっていました。ただ、この会社なら、倫理観を高く持って、AIを人のために使ってくれる。AIの進化を止められないことがわかっているなら、AIの創り手がZENKIGENのような会社であってほしいと思いました。
この想いが後に、「そう思うなら自分もその会社の一人になればよくないか?」と本格的にZENKIGENを志望するきっかけになりました。

他にもZENKIGENの倫理観の高さを感じた場面は多々あります。

当時ZENKIGENには「行動指針」というものがあり、その中に「誠道を貫く」という言葉がありました。この言葉通り「目先の利益だけにとらわれず、誠実さを大切にし、社会の健全な発展に貢献する」という想いが非常に強い会社だと選考でお会いする社員の方々が発する言葉の端々に感じたことを覚えています。「誠道を貫く」は現在のValueにも入っている言葉です。

他には、内定が決まってからの話ではありますが、開発者の方がおっしゃっていた言葉があります。「AIはどこに使えるのかを考えるのではなくて、どうしようもなくAIを使うしかないところに使うものだ。」と。AIの創り手である当事者が全社員の前でこの言葉を口にされている。こういう機会に出会う度に、自分の選択は間違っていなかったと胸が熱くなります。

また、ZENKIGENに存在するZENKIGEN LabもZENKIGENの倫理に紐づく重要な要素です。「ラボ」と呼ばれるこの組織は、感性工学や物理学、社会学、心理学など様々な専門を持った研究員の方が集まっており、利益を全く求めないことが前提とされています。「倫理や道徳的にダメなことをダメと言える唯一の存在だと思います。そのため、私たちが暴走しないように見守っていてほしいです。」とラボを立ち上げた小荷田はコメントしています。スタートアップ企業であっても、AIを創り、使う責任を言葉だけでなく形にして、そこへの投資を惜しまないところもZENKIGENが作るAIが社会をより良くするためであるという信頼に富むと感じています。

私はこのように高い倫理観を持って、人の可能性を最大化するためにAIプロダクトを開発するZENKIGENに入社できることを誇りに思っています。

最後に

社会に出たことがない私には想像もできないような理不尽や誠実さに背くことが世の中にはあるのだと思います。その時に、高い倫理観を持って自分に嘘をつかず生きていくため、私は強くならなければいけないと思っています。

“強さ”の言語化は難しいのですが、私にとっては権威や地位の高さではなく、生命力に近いものです。ZENKIGENにはその強さを持つ方が多いと感じています。

その中に入って守られているのではなく、一緒に並べるように、4月から関わる人やコトにまっすぐに向き合って、ZENKIGENと一緒に成長していきたいと思っています。


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