手塚逝く!手塚治虫が最後に描いたベートーヴェン伝記「ルードウィヒ・B」解説
今回はベートーヴェンの伝記「ルードウィヒ・B」をご紹介いたします。
執筆中には必ず音楽を爆音でかけていた手塚先生
とりわけクラシックへのこだわりはハンパなく無類の音楽通でもあります。
そんな手塚治虫が描くベートーヴェンの物語。
その魅力をたっぷりとご紹介いたしますので最後までお付き合いください。
本作は1987年6月から「コミックトム」にて連載された作品であります。
あらすじは
1770年ドイツのボンで生まれた「ベートーヴェン」
若くから神童と呼ばれ才能あふれる少年時代でしたがフランツと呼ばれる貴族の息子に耳を殴られその傷がもとで耳が聞こえなくなっていきます。
けれどもそのハンデの中、様々な音楽家に出会い音楽を学び
階級差別とも戦うベートーヴェンの生涯を描いた物語…
となる予定でしたが
作者絶命により未完の作品となりました。
本作連載のいきさつは「コミックトム」誌で「ブッダ」の連載が終わったあとに編集者と次回作の打ち合わせで「伝記」ものでいくことに決まり
候補にはウォルト・ディズニーやリンカーンなど数名挙がったそうですが
最終的には手塚先生が敬愛する「ベートーヴェン」になりました。
ちなみにタイトルの「ルードウィヒ・B」は1984年に封切られたモーツァルトの伝記映画「アマデウス」に刺激されたと言われております。
本作はベートーヴェンの自伝ですが架空の人物を添え手塚流のアレンジを織り交ぜながら脚色してあるので史実と異なる所が結構あります。
耳が聞こえなくなる理由も史実では病気が原因ですし、
作中で出てくるモーツァルトと若きベートーヴェンが交錯していく件も
実際はベートーヴェンとモーツァルトは出会ったことすらないと言う
歴史的解釈もあって、その真偽は定かではありません。
とはいえ、すべてがデタラメの創作という訳ではなく
実際にあった本当のエピソードも放り込んであるのでそこは手塚節のアレンジされたマンガであると捉えていた方が良いです。
史実のすべては追えませんが通ならニヤリとするシーンも随所にあるので手塚先生が本当にクラシックが好きだったと言う事が見て取れますので探してみるのも面白いと思います。
とにかく皆さんが思っている以上に手塚治虫の知識量も愛情もスゴイですし
予想している以上に変態的です。変態かなと思うもう少し上の変態です。
なので本作は手塚治虫の音楽への愛にまみれた
まみれ散らかした音楽マンガなのであります。
その中でも圧巻は平面で表される「音楽」の描写。
「音楽を絵で表現」するという技術はこれまでたくさんの漫画家たちが挑戦してきたかと思いますが
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を手塚先生は
ゴシック建築のブロックを積むようにと音楽を立体的に表現しています。
音の存在感を文学的なアプローチで試みるなんてこと
正直ボクのような田舎ザムライにはこの凄さも分かりませんが
「その道のプロが読み解く手塚マンガの面白さ」というPENプラスの記事で
とコメントされております。
音楽のプロをも納得させてしまう二次元的描写の巧みさは
上っ面の知識ではなく心底から滲み出る描写であることが伺えます。
そしてこの音楽知識だけでなく物語の重厚感も見逃せません。
手塚作品のテーマである「差別」設定が絶妙に絡んで
単なる音楽マンガに留まらない厚みを生み出しています。
「鉄腕アトム」を筆頭に虐げられるもの描写は手塚マンガの十八番であり
本作でもしっかりとその設定が活かされています。
まずはフランツという少年の「ルードウィヒ」という名前を持つものすべてを憎むという猛烈に理不尽な設定。
そしてそれによってベートーヴェンが耳を杖で殴られ、
これがもとで聴力を失っていきます。
これはマンガ史上でも屈指のハチャメチャ設定だと思います。
むちゃくちゃな理不尽設定ですがこの不条理に抗う設定こそ
手塚マンガの醍醐味。
その試練に対して音楽によってそれらを浄化していくベートーヴェンの逞しさに読者は胸打たれます。
音楽家として聴力が失われていくという絶望的な状況の中で
「宇宙中の音が集まっている」
「楽譜に表せないだろうか」とひたむきに音楽に向き合う清々しさ。
このシーン最高です。
史実ではベートーヴェンが
と絶望と希望との間で揺れ動いていた言葉が残されておりますが
それをマンガ的表した手塚流の見事なシーンだと思います。
理不尽な「差別」と同列に「権力に対する差別」も手塚マンガの永遠のテーマのひとつで「ブラックジャック」「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」「きりひと讃歌」など権力に屈しない反骨精神を描いた作品と同様に本作もその一つに数えられます。
ベートーヴェンと言えば
「音楽を貴族のものから大衆のものにした」
と言われている偉人。
それまで音楽というのは貴族階級のもの、
皇帝の権力や権威を示すために使われており音楽家は、
貴族に雇われ、貴族の命令に応じて、貴族の娯楽のために
作曲していました。
今では考えられませんけど当時、音楽とは貴族に独占されたものであり
すごく閉ざされた文化でありました。
その一般市民にとって遠い存在だった音楽を
広く一般大衆に広めたのがベートーヴェンなのです。
作中でもモーツァルトが貴族に頭が上がらず言われるがままに作曲する姿を見たベートーヴェンは
「ぼくは一生のうちにきっと、
ぼくの音楽の前に貴族をひざまずかせてみせます!」と言い放ちます。
権威に対する抵抗、しきたりや慣習を突き破って新しい時代の音楽を模索するベートーヴェンの姿。
「貴族や宮廷では決して聴けなかった音、
ぼくもいずれその音を探し出して作曲してやる」
この熱いセリフですよ。
音楽を貴族のものから大衆のものにしたベートーヴェン
漫画を俗悪なものから大衆のものにした手塚治虫
似てるんですよね。
なぜ題材がベートーヴェンになったのか?
明確な理由はどこにも明記されておりませんが個人的には手塚先生がクラシック好きという理由のほかに時代背景の「差別」そしてこの「反骨精神」も題材として興味の魅かれるものだったのだと思います。
漫画家と音楽家との接点があることも創作者という点で共感するところもあったのでしょう。
実際に本編の中でもそう思わせるシーンがありますしね。
あとがきの中で
ベートーヴェンと自分の性格がひどく似ているとの記述があります。
「気難し屋で世間知らずでしょっちゅう癇癪をおこして我儘で…」
と親近感を抱いていたことも間違いないようです。
あとは「戦争」に関連するワードも
ベートーヴェンを題材に選んだ理由の一つではと思われます。
ナポレオン戦争で披露された交響曲「ウェリントンの勝利」と「ヴィットーリアの戦い」は戦争交響曲の異名を持ちますし
ベートーヴェンの人生最後の集大成「交響曲第9番」
日本人なら誰しも知るあの「第9」もヒトラー政権では「ナチスの音楽」と呼ばれたりなにかと戦争を想起させる楽曲が多いです。
でもベートーヴェンが「第9」で伝えたかったことは、
「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」
であり本来は政治利用される楽曲ではありません。
絶望や苦しみもあるけどそこに歓喜があると…
これも手塚先生の作品全体に流れるメッセージと非常に似ています。
このように何かと手塚先生と関連性を感じてしまうベートーヴェン
晩年に選んだテーマであるがゆえに
何か描きたかったメッセージがあったかと思います。
そのラストを迎える前に惜しくも絶筆となってしまったので今となっては図るすべもないのですが…。
溢れ出る創作意欲、抑えられない情熱はとても亡くなる間際のものとは思えないくらいエネルギーに満ちた作品です。
読んでみると漫画家としてのスケールの大き、深さ、表現力、こだわり、愛情がひしひしと伝わってくるでしょう。
そして音に魂を込めるベートーヴェンの姿に打ち震えてみてください。
「ルードウィヒ・B」まだ読まれていない方は是非一読してみてください!
それでは最後に手塚先生の大好きなクラシックにまつわる小噺をいくつかしていきましょう…。
まず手塚先生とベートーヴェンとの出会いですが
小さい頃自宅にはお父さんが買った「第九」のレコードがありました
しかし少年時代には哲学的で強烈な曲想に抵抗があったそうで毛嫌いしていたそうです
しかし大学時代に友人にレコード鑑賞会に誘われたときに、
(ちなみにこの時、終戦間もなくの頃は演奏会なんて貴重でもっぱらレコードを聞く催しが娯楽でした)
…でその時に
聴いた音圧と迫力に打ちのめされたそうで、
その時に流れていたのが「第九」だったそうです
以来、ベートーヴェンに夢中になり虜になったと言われております。
そして「ルードヴィヒ・B」のあとがきには手塚先生がヨーロッパに旅行したエッセイがありましてベートーヴェンが住んだ部屋などを見学しているんですけど、実はこの時まだ連載は決まっていません(笑)
その後に成田に帰ってから次作の打ち合わせで20本以上もの作品案を出してその中から選ばれたのが「ルードウィヒ・B」なので
あたかも取材っぽくエッセイが載ってますけど連載決まってませんからね。
もはや取材なのか趣味なのか分かりません(笑)
ベートーヴェンに選ばれなかったとしても見学したかったんでしょうね。
そんなクラシック好きの手塚先生の書斎には所蔵レコードがズラリと並び執筆中には大好きなチョコレートをかじって大音量で流していたというのは有名なお話。
そしてその中で最も好きな作曲家はチャイコフスキーです
ベートーヴェン違うんかい(笑)
…って感じなんですが、チャイコフスキーがベストです。
藤子不二雄A先生の「まんが道」でも「ジャングル大帝」の最終回を手伝っているとき大音量で泣きながら描いたというエピソードがありますがその時にかかっていたのがチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」です。
ちなみにチャイコフスキーの交響曲第四番をアニメ化したのがファンタジー・アニメ「森の伝説」
エッセイなどでもチャイコフスキー好きを公言しており
手塚先生が執筆中に大きな山場になるとチャイコフスキーが流れると言われているくらいチャイコフスキーオタクであります。
その他には
手塚治虫の代表作『火の鳥』は
ロシアの作曲家ストラヴィンスキーの『バレエ組曲:火の鳥』から着想して生まれたものですし
アニメ『ジャングル大帝』制作の時も、わざわざオーケストラを結成して交響曲を録音したこともあるくらいクラシックド変態です
この国産初のカラー連続テレビアニメ『ジャングル大帝』の偉業は業界では伝説となっているとんでもない作品であります。
もうご存じの方も多いと思いますがこのエピソードが個人的に大好きなので性懲りもなくまたご紹介します。
『ジャングル大帝』制作の作曲家はあの冨田勲さんです。
そしてアニメ総制作費の1/4以上というとてつもない音楽予算を投入し
画面の動きとタイミングを合わせた音楽をこのアニメのためだけに作曲します。
この映像に同期させた変態的ともいえるこだわりを毎週放送していたのはまさに狂気!どの角度から見ても正気の沙汰じゃありません。
なかでもオープニング映像は放送関係者の度肝を抜きます。
元々海外へ輸出する予定で制作されており、
これを海外に持って行ったときに海外関係者から
「これはスゴイ!何人編成?80人?100人?」
と聞かれたそうですが
実際は30人だったそうです。
関係者はこんな素晴らしい音楽をこの人数で出せるのかと信じられなかったという逸話が残っておりましてボクこのエピソードが大好きなんですよ。
めっちゃ大好き。
制作者全員狂ってて「何かを成し遂げてやろう」といする熱気がハンパない
まだこのオープニング映像を観た事ない方ぜひ見てください。
ぶっ飛びます。
最初に大量の鳥が羽ばたくシーンは手書きですからね。ヤバイです。
あの数を、あの時代に、あのクオリティでやるって
気が狂っているとしか思えません。
何から何まで現在のテレビアニメの常識では考えられないオープニング、是非見てみてみてください。
はい音楽から話題が逸れたので戻しますね。
あと手塚先生はピアノの腕前もプロ級で納得いかなければ自分でピアノも演奏するくらいこだわりを持っていました。
どのくらい凄かったかと言うと手塚先生の実の妹さんは音大卒の音楽家なのですがその音楽専門家から見ても驚くほどの腕をもっていたそうです。
誰にも習わず我流で習得しとにかく記憶力と音感が抜群だったそうで
楽譜も見ずに耳から聞いただけで何でもそこそこ弾けたそうです。
音楽家から見て
「たいへん難しい曲も立派に弾いちゃったりしてスゴイ」と
妹さんも兄の才能に舌を巻いていたそうです。
漫画だけでなく音楽の才能も凡人レベルを超えた天才だったんですね
漫画家でなく音楽家になっていたら日本を代表するようなとんでもない名曲の数々を生み出していたかも知れません。
とにかく末恐ろしい才能ですよ手塚先生は…。
はいという訳で「ルードウィヒ・B」をご紹介でございました。
天才手塚治虫の音楽愛にまみれた未完の絶筆
少しでも興味を持って頂けたら幸いです。
巨匠の最後の息吹を是非感じてみてください。
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