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【火の鳥黎明編】天才作家が何の制約もなく描き切った伝説の漫画!手塚治虫版「日本神話」伝説(日本創生記)誕生の秘密。

今回は「火の鳥黎明編」お届けいたします。

火の鳥伝説の幕開けを告げる本作
手塚治虫先生が本作に込めた思い、そして火の鳥とはなんぞや?
火の鳥誕生のいきさつなどを軸に
「黎明編」をたっぷりご紹介いたしますので
ぜひ最後までご覧いただければと思います。

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今回ご紹介する「黎明編」は一般的には1967年雑誌「COM」に連載されていたものを指します。

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一般的にと申しましたのは
それ以前に「漫画少年」という雑誌で掲載されていたからです
ですが漫画少年が廃刊となり止む無く連載が中断してしまいます。

それから1年ほど経って「少女クラブ」に連載していたリボンの騎士の後釜として火の鳥を書くことになるのですが
手塚先生は「少女クラブ」で「漫画少年版」の続きを描くつもりでした。

しかし「少女クラブ」サイドが他の雑誌の続きはやめて欲しいとの意向から止む無く別作品の「火の鳥エジプト編」として連載が開始されます。

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その後、ギリシャ、ローマ編と続きますが
あまりにも締めきりが遅いということで打ち切りなってしまいます。

廃刊、打ち切りと二度も中断の憂き目にあっている火の鳥ですが
その後も手塚先生の心の中でず~~~~っと描きたい衝動が燻り続けておりまして「ローマ編」終了から10年後に
三度目の正直として
ようやく自ら刊行した雑誌「COM」によって
眠っていた欲求が炸裂することになるのです。


今回ご紹介する「火の鳥黎明編」として伝説の幕が開けるんですね~。

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運命とは数奇なもので
もし「少女クラブ」で連載していたら火の鳥は少女漫画になっていたかもしれないですし、漫画少年で描いていたら一般誌の制約の中ですので今のような大作にはならなかった可能性は非常に高い。
このように数々の難関と数奇な運命によって誕生した
手塚治虫の最高傑作と言われる火の鳥シリーズ
その魅力と火の鳥誕生のキッカケを黎明編から見ていきたいと思います。

なお「黎明編」の本編ですが手に負えないくらい
巨大すぎるので今回はあらすじは割愛します。
作品そのものというより存在そのものを楽しんでいただけたらと思います。


まずですね、
手塚先生はなぜ火の鳥をそこまでして描きたかったのでしょうか。

これには手塚先生の明確なコメントがありますので
ちょっと長いですけどそちらをご紹介します

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「ボクは医学生時代何人もの死に立ち会った
死を迎えたとき、その肉体のどこでどのような仕組みがなされ、
息たえたときに浮かぶ一種の法悦感はなにを物語っているのだろうか
死とはいったいなんだろう?
そして生命とは?
この単純でしかも重大な問題は人類が有志依頼とっくんで
いまだに解決されていないのだ
ある人は宗教的にそれを解釈し
あるいは唯物論的に割り切ろうとする
(中略)
人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。
あしたへの不安は死への不安であり
夜の恐怖は死後の常闇の世界の恐怖へとつながっていた
人間の歴史のあらゆるときに生きるためのエネルギーに結びついて進歩した。
火の鳥は生と死の問題をテーマにしたドラマだ
古代から未来へ延々と続く「火の鳥」
永遠の命との闘いは人類にとって宿命のようなものなのだ」
(1967年2月)

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というコメントを残しておられます。
このように学生時代に人の生き死に直接携わったことで
生命の神秘に一方ならぬ思いを感じていたことが伺えます。
(手塚治虫は学生時代医大生です)

なにより学生時代には戦争を体験し真横で友達がバンバン死ぬという地獄絵図を見てきたわけですから、そりゃあ物心ついた頃の手塚青年にとっては強烈なインパクトだったと思いますよ。

間違いなくその思いが火の鳥という作品を描かせている
原動力になっているのは言うまでもないでしょう。
手塚先生のリアルな戦争体験記事読んでみてください。

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「火の鳥」の一番最初の発表は1954年です
驚くべきことに戦後わずか5年ほどでこの原型となるものを
手塚先生は描いていました。

元々は主人公を天照大神にして「岩戸伝説」を日食に仕立てたロマン作品を描いたのですがで出版社から

「いくらなんでも神話をマンガにするなんて」と断られ
「描くならもっと科学に基づいたものにしてほしい」と言われ

科学ならSFかぁと
急遽SFっぽく書き直して出来上がった漫画があの「鉄腕アトム」なのです

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あの名作「鉄腕アトム」誕生のキッカケが「火の鳥」にあるという
非常に興味深いエピソードですね

余談ですが手塚先生が亡くなったために描かれなかった「火の鳥」の最終構想には「アトム編」が控えていたというプロットも残されています。
最初と最後のピースが「アトム」
ここら辺もどこか運命的なものを感じさせてくれますよね。

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(最後の火の鳥太陽編にはお茶の水博士が出てくる)


天照大神という神話を元に描きたかった手塚先生ですが
実はこれにも理由があるんです
歴史もの作品について手塚先生は

「資料に基づいて解明された歴史を描くのは楽で面白くない」
「むしろ歴史から消され葬り去られた何百倍もの分量の中にこそ
民衆の生きざまがある」

と言っておられ歴史そのものよりも
その中で繰り広げられる人間ドラマを描きたいという想いが強かったんですね。

当時の歴史ものといえばストーリーをなぞっているだけで
面白くもなんともない、ドラマもない、
しかもその歴史が本当に正しかったのかという証拠もない

学生時代に日本国の成り立ちが
大陸から移動してきた騎馬民族の末裔が大和朝廷であるという学説に衝撃を
受けたそうで、だったらアラブの駿馬に跨った神武天皇がいたり
黒潮に乗って九州に漂着した人々が古事記の神々であったりと
そもそも創作であってもいいんじゃないかという想いが
手塚先生にはあったんです。

史実に創作を加えるなんてことは今では当たり前にやっていることですが
当時の状況からすると、それは茶化しやひやかしの類としてみられ
一般には受け入れがたいことだったんですね


事実、歴史認識について


「ボクは火の鳥を通じて日本の歴史をボクなりに描いてみたいと思いました。そのテーマはいつの世にも変わらぬ人間の生への執着、それに関連しておこる様々な欲の葛藤を火の鳥を狂言回しにして描くことにしました」

と述べておられます。

あくまでも歴史はベースであって
メインは「ひたむきに生きていく人間の姿」なんですね。

そこで手塚先生は
自分の描きたいものを好きなように描ける場を自ら立ち上げます。

それが自身が発行した雑誌「COM」です

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文字通り抑えられない初期衝動が見事に表現された
危険極まりない作品として「黎明編」は登場します。

漫画少年連載時が元になってはいますが
本作では内容は大きく異なっており
はじめての「日本の女王」として君臨した偉人、卑弥呼を
神でもなんでもなく欲望に取り付かれたただのオバハンとして描いてみたり
日本神話を自由な解釈として縦横無尽な手塚ワールドが炸裂しています。


ボクが黎明編のまとめ方が難しいと思う理由がここにあって
ギュウギュウのパンパンに描きたいことが詰め込まれちゃってて
もはやちゃんこ鍋みたいになってて
何を説明したらいいのか分からないくらいごった煮です(笑)

「描きたいことが描けない」という押さえつけられていた鬱憤が
全部弾け飛んでいる感覚といいましょうか
もうね、思う存分描きまくる手塚治虫のエネルギーが爆裂しています。
すべての規制から解き放たれた火の鳥は
細かいところは無視してもとにかく圧倒的な何かを感じさせてくれます。

得も知れぬ威圧感? 読後感?
とにかく説明できない凄みが凝縮されているんです。

小手先のテクニックや常識なんてものじゃなく
「これが描きたいんだ!」という超絶なわがままさ。
加えて手塚は時代遅れと言われていた反骨精神と、自身が編集長でもあるという重圧といろんなものが覆いかぶさってきた只ならぬ緊張感が
火の鳥に乗っかってとんでもない化け物を生み出していくわけです。

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面白い漫画ってたくさんありますし
続きが気になる作品もたくさんあります。
名作、傑作と言われる漫画はたくさんありますけど
だけど「のたうち回る」作品ってそう出会えないと思うんですよ。


…なんだこれ?っていう


まさに言葉を失う読後感
とにかくこれが桁外れの火の鳥の魅力であり、
多くの読者を混乱させる要因となっています。
そりゃあ混乱しますよ。だって普通じゃないんですもん(笑)

一人の天才作家が何のしがらみもなく
何の制約も受けず描きたいように描いた作品
ってだけで
もう読みたくなりませんか。

そういう作品なんですよ


これはマンガというただの娯楽だったものが
初めて物語と高次元で融合された奇跡の瞬間とも言えます。

「手塚は終わった…」なんて言われもしましたが逆なんです。
みんな一生懸命「劇画」だなんだって言っているときに
手塚先生は一人時代に逆らって新しい漫画表現の可能性を模索しているんですから、そりゃ時代遅れって思われちゃいますよ
飛びぬけてるから孤立しているように見えちゃうんです

過剰評価と言われるかもしれませんけど
あれから50年以上も経って誰も手塚治虫に追い付いていなかったり
その後の漫画文化の発展を見れば
手塚先生の先見性が如何にズバ抜けていたことが分かるかと思います。

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そして
黎明編以降の火の鳥は荒々しさがどんどん洗練され
無駄な贅肉をすべて削ぎ落としたスタイリッシュな作品として
凄みを増していきます。

ついには多くの漫画家や評論家が絶賛する鳳凰編を発表。
日本漫画の頂点といっても決して過言ではない最高到達点に至ります。
描きたいものを描いた
クリエイターとしてのある種の完成形とも言える傑作ですね。


はい、話を黎明編に戻しましょう。

そんな背景から生まれた『火の鳥』の実質的な序章、
デビュー作ともいえる「黎明編」

日本神話の自由な解釈によって
火の鳥捕獲に執念を燃やすヒミコ像
ヒトラー、江青、ナポレオンと歴史上の独裁者をイメージさせてみたり
それこそ手塚版日本神話って感じですが
邪馬台国の滅亡を描く一方で、侵略者戦争という人類史の対立問題
歴史を語る上で欠かせない要素はしっかりと描いています。


そこに
人間は、自分の欲望のためになぜこんなにも簡単に人を殺してしまうのかという生命への問いかけであったり

「不老不死なら幸せなのか?」という火の鳥シリーズを通して描かれ続ける根幹のテーマもしっかりと埋め込まれています。


そして火の鳥が放つこのセリフにその想いが凝縮されていると思います。

「あなたがたは何が望みなの?死なない力?
それとも生きてる幸福がほしいの?
虫たちは自然が決めた一生のあいだ…、
ちゃんと育ち、たべ、恋をし、卵を産んで満足して死んでいく。
人間は虫よりも魚よりも犬や猫よりも長生きだわ。
その一生のあいだに…生きている喜びを見つけられれば、
それが幸福なんじゃないの?」


こんなの普通のマンガじゃないですよ
もう、ぶっ飛んでいると思いましたね。
マンガの域超えちゃってます(笑)

他にも
生きることにこだわる執念
子孫を残していく執念

意志を紡ぐこと、生命を紡ぐこと
「女には武器があるわ」のウズメのセリフは
小さい頃ながら考えさせられましたね。

あとは
死んでも生き返らない運命の残酷さ
手塚作品ってあっさり人が死ぬんで全然漫画っぽくない
主役と思ってたキャラが
「え?」死んじゃうの?なんてことザラにあります。

我が子を火山に落としてしまって「あきらめろっ また…新しく生むんだ!」と言い放つんですけど
「え?」そんな簡単に言っちゃうの?
…ってこれは子供ながらにかなり衝撃なセリフでしたね
でもこれが手塚マンガの世界観では普通であり当たり前のこと。

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あとは、ヒミコの永遠に対して執着もすごい。
美に対して、老いに対して、権力に対して
手に入れたものを必死に守ろうとしている姿が滑稽で哀れなんですけど
案外人間ってそういうものなんだよって
言われてる気がします。

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…とまぁ語るところは山ほどあるんで実際に読んでみて欲しいのですが

本作の大きな特徴として
どれが正義だなんて正解を手塚先生は書いていないんです。

手塚先生もコメントしているように

「いつの世にも変わらぬ人間の生への執着、
それに関連しておこる様々な欲の葛藤」

ただこれを淡々と描いているだけなんです。
でもその当たり前を淡々と描ききる説得力が尋常じゃない


どのキャラもひたむきに生きていく人間の姿が強靭な吸引力となって
読むものをグイっと惹きつけてくるんですよね。
ここら辺の描写はさすがですよね。天才的だと思います。

とにかく「黎明編」は
漫画文化の発展を一段に二段も上げた傑作であることは間違いないと思います。
主人公不在の物語を世の中に叩きつけた
手塚治虫の傑作シリーズ「火の鳥」のデビュー作

マンガ好きの方ならぜひ読むべき漫画だと思います。

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正直シリーズにおいての完成度は他に比べ劣りますが
本作はやはりその勢い。荒々しさ圧倒的パワー
しっちゃかめっちゃかの手塚治虫の迸るエネルギーが本筋。

ぜひ火の鳥を手に取って
手塚治虫の持つ
麻薬のような中毒性に触れてみて欲しいと思います。


火の鳥は黎明編だけでなくそれぞれが独立した物語で
どこから読んでも楽しめる作品です。
そして最後にはそれぞれが繋がりをもって大きなひとつの作品として
完成していくという漫画史上最も壮大な物語でもあります。

ぜひその一端でも見てみることをおすすめします。
間違いなく日本国民必須の必読本ですよ。


次回は未来編です


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