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ラストは一見の価値あり!マンガ表現の可能性を追求した超絶実験作!手塚治虫の恐るべき才能が炸裂したドストエフスキー「罪と罰」

今回はドストエフスキーの名作「罪と罰」をお届けいたします。

世界文学の漫画化とはいえ
本作は手塚治虫のはちきれんばかりの創作意欲が弾け飛んだ
とてもエネルギッシュでパワフルな作品となっています。

なぜ手塚治虫が原作マンガに取り組んだのか?
当時の常識を蹴散らしてまで描き散らした意図とは一体何だったのかを
解説していきますのでぜひ最後までご覧になってみてください。

それでは本編行ってみましょう

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本作は1953年に赤本にて出版されました。
赤本というのは通常の一般書籍の流通ルートに乗らない、いわゆる低俗本ことでありまして確かにこのちょっと前までは赤本が主流で手塚先生も
赤本作家として数々のマンガを描いておりましたが…
この1953年時期は「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」「リボンの騎士」
「ぼくの孫悟空」「ロック冒険記」「サボテンくん」などを連載していた超人気作家でありました。
なのでめちゃくちゃ忙しい売れっ子作家が赤本のようなアングラで出版する意味なんて全くないんですね。

つまりこの出版自体がめちゃくちゃ不可思議な現象なのであります。

推測するに誰かに頼まれたか、どこかに契約的なものが残っていたのか、
色んな憶測が湧きたちますが恐らくこれは
既存の出版社の制限の中では描くことができなかったから
赤本でしか表現できない理由があったからと思われます。

そして事実上これが手塚先生にとっても最後の赤本作品となっています。


さて、ではどのような理由で出版社では描けなかったのか?という事ですが
世界の文学小説のマンガ化ということ、これ自体があり得ないんです。

これ「ファウスト」の時の記事でも説明していますが
難解な文学作品を漫画化すること自体が難しく無謀なことだし、
なにより誰も読まない。
読もうと思っても早々理解できる代物でもないし、
マンガというもの自体が低俗なものだったし
低俗なもので高尚なものを読ませよう」とする事自体があり得ない事だったのです。


これらの文学小説をマンガ化するというのは
当時としてはかなり画期的な事であるかを手塚先生は「あとがき」でこう振り返っています。

「ぼくは、青春時代に読んだ世界的な文学作品を、
なんとかして当時の子どもたちに、
漫画という手法を通じて紹介したいと思い、それらの作品をかきました。
もちろん、子どもたちにひろく親しまれている『宝島』や『ルパン』などではなく、子どもたちには無縁な、また、おとなたちもあまり読み返したことの少ない文学を選んで、アレンジしてみようと思ったのです」
(講談社手塚治虫漫画全集 10 『罪と罰』あとがきより)


子供には「無縁」で大人もあまり読まないといった状況が
如何に無謀な行為であったかが分かるかと思います。

それでも手塚先生は

「常時学校へも携えていき、ついに三十数回読み返してしまった」

と語るほどにこの「罪と罰」に惚れこみ熱中した少年時代の思いが沸々と沸き立ちそしてついに単行本化を実現させるわけであります。

もう一度言いますが、
めちゃくちゃ忙しいのに、誰も読まないような小難しい文学作品を
子供向けに漫画化して、それを赤本で出版したんです。

もう完全に理解不能のド変態作家です(笑)
意味が分かりません。

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というようにドエライ熱意をもって創作されたのが
本作「罪と罰」なのであります。
正直、好きだからと言う理由だけでこの超難解な小説をマンガ化しようとする試みもエグいですけど子供向けに分かりやすくアレンジ編集するというのはやはりズバ抜けた才能をこの頃から見せていますね。
基礎体力的に持ち得てるポテンシャルがそもそも他とは圧倒的に違うということが感じられます。

そしてこの頃のタッチはディズニーの影響をモロに感じるデザインで
アニメ的な弾む躍動感があります。


後で触れますが手塚先生が学生時代に演劇をしていた影響もあり
アニメ的な動きと演劇的なオーバーリアクションが
「罪と罰」というダークな原作を非常にPOPなものに仕上げているひとつの要因になっています。
そして何より全編通して「好き」で書いているというキラキラした眩しさが感じられますよね。やはりこれが一番美しい。

作品自体は面白いかと言えばちょっと疑問ですけど(笑)
なんせ原作が極重ですからね。
いかに子供向けにアレンジしたとはいえ重いものは重いです…はい。

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しかし本作は
マンガ表現の可能性を追求した実験作の要素もあって
本作を見てもらえれば分かりますが、かなり実験的な描写をしています。

まず冒頭15ページに及ぶ大胆かつ実験的なコマ割り、
これから殺人に出かけようとするシーンをずっと同じ構図で見せてます。
これによって自分の正当性を納得させる心理描写を表現していると思われますが、もう完璧。

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続いて質屋の3階建ての建物をこれも同じ構図で見せてます。

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すべての出来事が同時進行で行われることで
殺人の残虐シーンを描かずに殺人を実行したこと
そしてアリバイ的にペンキ屋の動きも同時に表現しています。
これは手塚先生が演劇部に在籍していたときの発想から来ていると思われ
舞台セットがあって客席から見ているような描写なんですよね。
ちなみに手塚先生は当時ペンキ屋の役でした。

この同じ構図を淡々と描き切るのは
「火の鳥 復活編」のチヒロでも使用されていました。
単なるマシーンであったはずのロボット・チヒロに自我が目覚めつつあるというシーンを、同じロボットの絵を12枚並べることで表現しています。

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こうした同じ画像を並べて精神描写を読者に伝える高度な技術って
なかなか普通では難しいと思いますし1950年代のページ制限の中では
そもそもの連載が4ページ多くて6ページですから、
これだけで1話終わっちゃいますからね(笑)
だからこそ赤本にしてまでチャレンジしてみたかったのだと思います。
こんな手法一般マンガじゃ絶対許可されませんからね
ちなみにこれらはコピーではなくすべて手書きの作業であります。


続いて殺人の罪でパニックになる描写も見事。
走って来る馬車すら視界に入らないという心理的不安を
二次元で描くとこうなるんですね。こんなの当時手塚治虫しかできなかった独壇場だと思います

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そしてクライマックスの自身の罪、殺害を告白するシーン
原作とは違う手塚先生のオリジナルなんですが
重要な告白の後で暴動が起きて銃声や爆撃の音で
その告白がかき消されているという描写なのですがこれが素晴らしい。

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人を殺してしまって悩み苦しみ懺悔するその後で大量虐殺が行われているという見事なまでの対比描写はマジで震えます。

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ここで得意のモブシーンは本当に圧巻。

ページいっぱいにひしめく圧倒的な群衆
ここで描くモブは超絶に効果的といいますかその発想センスがやはりエグイ。
「メトロポリス」「来るべき世界」にも同様の群衆によるパニックシーンがあるんですけど大混乱に陥るモブはぶっちぎりで秀逸ですね。

戦争の中で自分が何に悩んでいるのかという
哲学的すぎる描写なんだけれどもさらりと読ませてしまう技術
一方で深すぎるメッセージ性をも持った凄まじい描写です。
とにかく見応えのあるクライマックスになっておりますので
ぜひ一度手に取って見てみて欲しいと思います。

このように画期的な描写を次々と送り込んだ手塚先生でありましたが
やはり結果として売れ行きは芳しくなく
当時としてはかなり難解な作品として捉えられたそうです。
残念です…。
しかしこのような数々の実験を重ね今のマンガ表現に至ったわけですから
貴重な歴史的な一作であると思います。

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というわけで今回は「罪と罰」お届けしました。
単なる物語としてではなく若き手塚治虫の情熱が迸った背景を一緒に楽しんでみてみるとまた違った世界がみえてくるのではと思いますのでぜひ一度手に取ってみてはいかがでしょうか。



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