密教伝来の歴史の要約:バラモン教と『マントラ=真言』と降三世明王
8410文字
密教や真言に興味ある、また真言宗の信者の方々。ネットを徘徊するとマントラの漢訳に「呪い」と「真言」があるのか、また沢山、マントラ表す漢語があるのか悩んでいるみたいだね。マントラの意味を全然分かっていないので、自身の妄想の仮説をこじくり回すのみ。(*_*;
詳しいと文句をつけられるwiki。(^_^;)
noteを買わなくても、情報はこのwikiに書いてある。問題は、その情報を理解できるかどうか。このウィキペディアでは、注釈の番号も一緒に読まないと勿体ない。ウィキペディアの人はワシに情報を与えてくれたが、本人は密教が邪悪だと気づいてないので、自身が紹介した情報の意味を理解で来てません。(^_^;)
ワシはマントラの意味は知っているし普段使いしている。その知識で真言を説明していく・・。
密教の話を始める
最初の今回は大雑把な歴史の要約です
仏教以前
マントラ(मन्त्र Mantra)の語源は、神聖なる思想を意味する「man」と盛るための器を意味する「tra」からなり、神聖な思想を盛るための道具、「神聖なる語」が原義である。
マントラ(真言)の起源は仏教の成立以前に遡る。アーリア人がインドに侵入する以前のインド・イラン共通時代に、彼らは火神(アグニ)にマントラを捧げて敵を退け病を癒し害毒を除くことを祈っていた。インド侵入後に成立したとされる『リグ・ヴェーダ』の中には火神に捧げるマントラが多く記述されている。 アーリヤ民族と原住民族が接触し融合するにつれ(注 15)、その宗教信仰も習合することで『リグ・ヴェーダ』、『ブラーフマナ』、『ウパニシャッド』、『アタルヴァ・ヴェーダ』等が成立し、盛んに息災・増益・降伏等のマントラが用いられるようになった。
ヴェーダ時代のマントラは、神々への帰依、祈願、讃仰の聖句であり、除厄、招福のために唱えられた。 当時は民衆の間にバラモン教のマントラが浸透しており、一般家庭においても、出産時、命名時、結髪式、結婚式など万般の際に、必ず火を用いて神に捧げるマントラを唱えていた。
初期仏教
釈迦は当初(マントラなど)呪術的行為を禁止したとされる 。『スッタニパータ』「迅速」には「我が信徒は、『アタルヴァ・ヴェーダ』の呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない(No.927)」と説いている。このように釈迦が呪文(マントラ)唱誦を禁止したことが書かれているのは、釈迦が在世の頃、すでに教団内でも呪術行為が行われていたからに他ならない。
⭕️ワシ:釈迦はイエスと同じくユダヤ人の創作上の人物だが、その時代の遥か前から呪文(マントラ)唱誦はしている、その時の真相はここにある。
9.NINTH ROCKEDICT: KALSI
デヴァーンナープリヤー・プリヤダーシュィン王(アショーカ王)はこのように語っている。 人は、病気の時、息子や娘の結婚の時、子供の誕生の時、旅に出る時に、さまざまな儀式を行っているまたその他のそのような時にも人は多くの儀式を実践している。 母親と妻は、多くの様々な下品で無用な儀式を実践している。 しかし、これらの儀式は、実際にはほとんど実を結ばない。
しかし、次のものは確かに多くの実を結ぶ、すなわち、道徳の実践である。 父、息子、兄弟、主人、友人、知人、あるいは単なる隣人であっても、次のように言うべきである。-「これは功徳です。」この修行は、望ましい目的が達成されるまで、「私はこれを守らなければならない」と考えて自信を観察する必要があります。
さまざまな儀式は疑わしいものである。 人はそれによって目的を達成することが出来るが、それは現世でのみ実を結ぶ。 しかし、道徳の実践は時間に制限されない。 たとえこの世ではそれによって目的を達成しなくても、あの世で無限の功徳が生み出されるのである。 しかも、もしそれによって現世で目的を達成したならば、それによって両方の結果の利益が生じる、すなわち、現世では目的が達成され、あの世ではその道徳の実践によって無限の功徳が生み出される。(➡︎あの世詐欺の始まり)
ワシ:呪術的などと、悪意ある言葉にし魔法の儀式を禁止したのは、仏教を広めたとされるアショーカ王だ。効果があるから禁止にし、偽善である道徳にすり替えた。これこそ呪いの魔法で、実は痴呆になる恐ろしいもの。
和病の元ネタはアショーカ王の奴隷統治術で、勉強家の聖徳太子が奴隷化・服従化のためコレ広めろやと述べ、我々日本人全員、教化/洗脳された。
その『アタルヴァ・ヴェーダ』は善か悪かどっちかな? 釈迦がダメと言うなら、良いものに思えるけど、ユダヤ人社会でユダヤ人がクリスチャンになるのを禁止しているように、その「我が信徒」が、仏教を広める詐欺仲間のユダヤ人たちだった場合、その話は逆になる・・・・仕掛けた罠はカモのゴイムにやらせるもで、同胞がやったら本末転倒。
しかし、教団では多くの呪いの呪文が使われるようになっていた。その中でも、護身の呪文と偽っているものとして、「パリッタ(護呪)」と呼ばれる経典がある(注 18)。呪いの術的な「パリッタ」の例として、修行僧が蛇を避けるための『カンダ・スッタ(蘊経)』が挙げられる。これは、蛇を含むすべての生物に対して慈悲を示すというタテマエで、無知な人々を騙し感情で欺く罠。
奴隷統治をする支配者たちは、自らの身を護るためや災いを避けるために、この慈悲の力で、民衆から蛇の力を奪おうとした呪文を有り難いものとし、経典として広めた(注 19)。
仏教はとことん民の”蛇”に対する呪いなんだね。
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?