曇天

 いずれ向き合わなくてはならない、ずっと無視し続けることはできない。と観念していたことのひとつである、ウツについて、今現在の私のできる範囲でまとめておこうと思う。ひどく個人的な話だから正直かなり退屈だと思うし、なにしろ終結しない出来事についてまとめるので要領を得ない話になると思う。それでも、ようやくひと段落したので挑んでみる。何事に対しても大切なのは成功ではなく、行動だからだ。

 18の秋に私は自分の命日を決めた。その年の11月の某日だった。しかし当日作った傷からの出血量は途方もなく足りず、当たり前のように私は生き延びた。その日までに終わらせた様々な準備は全て無駄に終わった。学校に置いていた荷物をひとつ残らず持ち帰った労力も、一言一言を慎重に選んで書いた数枚の手紙も、隅々まで整頓した部屋も、削除した大切なメールも、全部無駄になったのだと、涙を溢れさせながら妙に冷静に考えたのを覚えている。

 それから私はほとんど家から出ない日々を送った。通っていた予備校は12月で辞めた。運良く受かった大学にもとても通うことが出来ず、間も無く休学した。

 とにかくとてつもなく眠かった。いくら寝ても寝足りなかった。有無を言わさず襲ってくる気が遠くなるほど暴力的な睡魔に、私は簡単に押さえつけられ、毎日約20時間、一切途中で目覚めることなく眠り続けた。人生の全てに疲れ果てていて、ただひたすらに休みたいと強く願っていたからか。あるいは、意識があると苦しくて堪らず、すぐにまた死ぬ方法を考えてしまうから、潜在意識が自分を守るために莫大な睡魔を作り出していたのかもしれない。眠りに入ると次に目覚めるまで食事も水分も摂らずトイレにさえ行かない私を、家族は心配し度々そっと部屋に入っては呼吸を確認しに来ていたらしい。そのようにして半年が飛ぶように過ぎた。

 「うつ病だったのでしょうね。」と医者は言った。なんとか外出ができるようになってから、復学願に同封する診断書を発行してもらう為に訪れた心療内科で、そう言われた。「今は元気かもしれないけれど」と鋭い目付きで彼は私の目を見ながら言った。「その回復の仕方だと、また苦しくなるかもしれない。そうしたらまた来なさい。」
そうします、と私は言い、礼を言ってそこを後にした。いやに優しい看護師たちが恐ろしかった。腫れ物に触るように扱われたのが、ひどくつらかった。

 歩きながら医者の言葉を思い出す。『つまりはうつ病とは脳の病なんだ。伝達物質の異常なんだよ。血液を調べればすぐに分かる。今はよく効く薬もある。それらを上手く使えば、回復にずっと近道ができたかもしれない。』しかし、この日採られた私の血液からはうつ病特有の異常が何も検出されなかった。もう回復したからなのかもしれない。でも、もし休学と同時に測っていたとして、果たしてきちんと異常が出たのだろうか?本当は私はただ甘えているだけなのではないか?今回結果が出なかったのがその証拠で、春に測っても何の異常も無かったのでは?私は本当に病気なのか?病気だと思いたいだけなんじゃないか?ただどうしようもなくだらしなくてみっともないだけなんじゃないか。

 これらの証明をしてしまうことが怖くて、私はこの日以来この心療内科には行っていない。

 復学してからも希死念慮は消えなかったし、定期的にのたうち回りたくなるほど苦しい日がやって来た。何の前触れも、何のきっかけも無くやって来るので防ぎようがないし、何より準備ができないのがひどく厄介だ。苦しかった。悲しかった。虚しかった。死に損なった私はきっと幽霊のようなもので、惰性で続く人生になんて何の意味もない。今すぐにでも消えたかった。思えば、希死念慮を抱いてからもう10年ほど経つ。しかしきちんと病名が付いていない私はどうしても、自分の苦しみはきっと甘えなのだろうとどこかで思っていた。恐らくこの葛藤が苦しみを加速させていたのだが、だからと言ってきちんと病院に行った結果病名が付かないことにも、また付くことにも怯えていた。結局私は宙ぶらりんのまま、血反吐を吐きながらもなんとか息をし続けていた。なぜこんな苦しみを抱えながら生きなければならないのだろう?


 ところが私はある日、苦しみから逃れることができるようになる。特に何か大きな出来事があった訳ではない。全米が涙するような感動的なエピソードも何も無い。

  端的に言って、私は飽きたのだ。ウツに飽きた。毎回ドン底に突き落とされ、息が上手く出来なくなり、血の気が引き、パニックになり、でも必ず回復し穏やかに元気になる。呆れるほどワンパターンだ。それなら、結末を知っているミステリー小説を何度も読むようなもので、私は何にも振り回される必要は無いのだ。
 次に腹立たしくなった。詳しく言うと、これまで受けて来た様々な不条理に行き場のない底知れぬ怒りを感じていたのだが、その怒りを何度も何度も懲りずにやって来るウツに向けられるようになったのだ。悪いのは私ではない。このウツだ。私の思考を乗っ取ってくるウツ症状だ。なんてひどい奴なんだろう。人の思考や感情や人格を乗っ取ろうだなんて。
 更に人に自ら別れを告げた経験も大きかった。私はずっと全ての人と仲良くやらなければならないと信じ込んでいて、去られることはあっても自分から去ることは決して無かった。と言うか、去ることができなかった。どんなに苦しくても、自分が未熟なせいだ、と思いその人の傍で耐えていた。しかしこの経験のおかげで、自分の人生の主役が自分であることを初めて理解できたように思う。身の回りに置く人間を自分で選んで良いことに当初大きなショックを覚えたが、みるみる呼吸が楽になって行った。
 でも恐らく1番は、死ぬことができないと分かったからだ。私は死ぬことができない。生物の本能として最も大切な部分に逆らうのは一等困難で私にはとてもできない。そしてそんな大変な苦労をしてまで死に臨み、一度しかない、他の誰のでもない自分の人生を棒に振るのはどう考えてもおかしいと気づいた。どうせ死なないのだから、最初からそっちの方向には考えない方が良い。
 そもそも私の人生は私だけのものだ。誰にも邪魔をする権利はない。傷つけてきた人間共のために私の人生を失くす必要が、一体どこにあるのだろう?

 でも結局、ウツとは一生の付き合いになるだろうと思う。上手くかわせるようにはなったが、やって来るものはやって来る。何故なら私はウツ的思考を知ってしまったからだ。クシャクシャに丸めた紙を元に戻すことができないように、一度知ってしまったら、一度染まってしまったら、そうなる前に戻ることはもうできないのだ。
 しかし長い付き合いだからこそウツを理解できるとも思っている。現に10年目にして少し対処できるようになった。どうせ一生付き合って行くのだから、逃げ回るのではなく向き合った方が互いの為にずっと良い。ウツはきっと心の中にいる獰猛な獣で、時々暴れるのを上手くかわして飼い慣らすことができるようになれば、ちょっと珍しい可愛いペットになるはずだ。多分ね。


 今現在の私のウツの見解はこんなところである。これから先も少しずつ変わるだろうけれど、とりあえず、地獄がひと段落した今このタイミングでまとめられて良かった。いまだに後遺症のように睡眠時間が長い上に、定期的にドン底だってやって来る。でもやはり病気なのか、はたまた個性なのかは曖昧なままで、曇天のようにスッキリしない日々を過ごしているが、これはこれで悪くないんじゃないかと最近は思う。晴天には無い穏やかな優しい日差しがあるからだ。回り道には回り道にしか咲いていない花があるように、どんな状況下にあっても、必ずそこでしか得られないものはあるのだ。

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