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【映画所感】 さがす ※ネタバレ注意

今後、本作『さがす』を思い返すとき、無意識に“さすが”と誤って脳内で変換しているかもしれない。それほど“流石”な映画だった。

2000年代に入ってからの、ここ日本における凶悪犯罪の数々を下敷きに書かれた脚本であることは、誰の目にも明らかだろう。

まだまだ記憶に新しい2017年の「座間9人殺害事件」。自殺願望のある被害者をSNS上で言葉巧みに誘い出し、自室で殺害したあげく死体を損壊してクーラーボックスに保存していたという、犯罪史上稀に見る冷酷で猟奇的な犯行。

本作『さがす』は、この「座間9人殺害事件」をベースに、犯人逃亡の過程は、2007年の「英国人女性殺人・死体遺棄事件」を想起させる。

最初の犯行の動機は、2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」や、130人を安楽死させた米国人医師(ドクター・デス)の事件が、モチーフとして引用されているようにも感じた。

プラスして、貧困というテーマが、この物語の大前提として、作品全体を貫いている。だからなのか、大阪市西成区界隈(あいりん地区)が舞台なのも頷けるし、説得力がより増してくるとさえ思える。

西成といえば、1990年に日雇い労働者を中心に起きた「西成暴動」がつとに有名だ。延べ6日間にも渡る暴動は、労働者以外をも巻き込みながら、被害を徐々にエスカレートさせていった。

『さがす』は片山慎三監督が、ポン・ジュノ監督の助監督を務めていたという経歴も反映されているのか、どことなく韓国ノワールの煽情的で退廃的な雰囲気が映像のそこかしこに感じられる。もちろん、西成のもつ独特の淫靡さが拍車をかけているともいえるのだが……。

主人公の原田智(佐藤二朗)は、日雇いの労働者をしながら、一人娘の楓(伊東蒼)と暮らしている。妻に先立たれ、中学生の娘に助けられながら、この父子家庭は、なんとか日々を凌いでいるといった状況。

そんな中、智は連続殺人の容疑で指名手配中の男:名無し(清水尋也)を目撃したと楓に告げたあと、翌朝に失踪してしまう。

父親の行方を求めて奔走する楓。自分に好意を寄せる同級生男子と連れ立っての父親探しは、神戸からフェリーに乗って遠く離島にまで及ぶ。

『さがす』は、一瞬ジュブナイルものの様相を呈して、観客の高揚感を煽っておいてから、サスペンス・スリラーの方向へと一気に舵を切る。

智と名無しの関係、智の妻の死の真相など、適度なグロさとこころを抉るシリアスな展開で観客をのけぞらせておいてからの謎解きは、この上ないエンターテインメントへと変貌。

そう、単なる謎解きだけではない。ラストの智と楓、親子が対峙する場面こそが、この映画の真髄なのだ。父親の失踪の解明、事件に隠された真実を知ることで、楓は飛躍的に成長。智よりもずっと大人な判断を下す最後の告白は、邦画史に残る名シーンだと断言できる。

楓を演じた、伊東蒼が素晴らしい。昨年公開の『空白』では、横暴な父親に翻弄される内向的な中学生を好演していた。だが、今回は真逆。物怖じせず目的に向かって突き進む、我が強く肚の据わった女子を熱演している。

対する、智役の佐藤二朗、名無し役の清水尋也も、自身のキャリアハイではないかと思わせるほどの演技で、彼女を迎え撃つ。というより、ベテランが新人に大いなる刺激を受け、危機感を抱いた結果の、相互作用といえるのかもしれない。

個人的に西成界隈の近所に住んでいるので、「あのシーンは、知ってる交差点のとこで、商店街はよう通るとこや!」と叫ぶかわりに、こころの内で密かにほくそ笑む。それだけでもこの映画は、自分の中でかけがえのないものになった。

本作で片山慎三監督を知って興味を持たれた方は、ぜひ監督デビュー作の『岬の兄妹』も鑑賞してほしい。同じく実際に起きた犯罪からインスパイアされた作品であり、極貧生活にあえぐ兄妹をこれでもかと残酷なまでに描写している。『さがす』以上にタブーに切り込んだ作品だ。

『岬の兄妹』と『さがす』の共通点として、もうひとつ忘れてならないのが、独特のユーモアセンス。『岬の兄妹』における、主人公によるいじめ不良グループの撃退方法は、数多の復讐劇の中で群を抜いて奇抜であり笑えた。

対して『さがす』本編では、名無しが離島に逃亡し、島の独居老人と知り合う場面が愉悦の極み。老人が襖を開けたその先に度肝を抜かれた。

日本全国に点在する性に関する「桃源郷ビジネス」のルーツを垣間見たような気がした。同時に名無しのリビドーの発露もしっかり描かれているあたり、並の演出ではこうはいかない。

片山慎三監督の事実をエンタメに昇華する術を、今後も決して侮ってはいけない。“劇薬危険”な監督だから。



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