【映画所感】 シン・仮面ライダー ※ネタバレ注意
おもてたんとちがう〜
笑い飯・西田の雄叫びが、脳内でこだまする。
敢えて「良い意味で」とは付け加えない。
この映画は、観客を平気で置き去りにするから。
プラーナ
ハビタット世界
パリハライズ…
これまでの経験値で、自分なりに脳内変換。なんとなく理解はできるが、果たして正解なのかどうか?
どうしても『新世紀エヴァンゲリオン』がチラつく。
『シン・ゴジラ』のときも、「早口でセリフが聞き取れない」や「専門用語が多くてついていけない」など、批判は多々あった。
それでも、大ヒットし、大衆に受け入れられたのは、所詮、政治家や官僚が使うお役所言葉の羅列。
普段から国会答弁やニュース等で語られる、“いかにもな言葉”に自然と耐性があったからだし、そのやり取りが作品世界に十分なリアリティを与えていたことも確か。
しかし本作『シン・仮面ライダー』はどうだ。
特撮オタク、とりわけ仮面ライダーV3までの特撮原理主義派および、石ノ森章太郎に精通している者ならば狂喜乱舞するだろう。
ディティールにこだわればこだわるほど、その反動は計り知れない。
一般的についていけない内容は、サイクロン号とともに加速する。
幼少期を過ごした70年代、自分にとって石ノ森章太郎や永井豪の作品群は、テレビから語られる経典、あるいはバイブルだった。
ヒロイズムの布教。
数多いるヒーローの中でも、仮面ライダーは、千日回峰行を達成した大阿闍梨(だいあじゃり)のような存在。
等身大特撮ヒーローの開祖であることはもはや疑いようがない。
そんなことをぼんやり考えていると、本作『シン・仮面ライダー』と自分のプラーナ(笑)が突然リンクし、“強制排出”される。
以下、勝手な妄想からの飛躍。
「SHOCKER(ショッカー)と名乗る新興宗教団体が、どうやら脱法行為も厭わないやりかたで、信者を大幅に増やしているらしい。
信者の中にはマッド・サイエンティストがいて、人体実験が繰り返された結果、特殊能力をもつ者が相次いで誕生。ショッカーの存在は安全保障上無視できない状況になってくる。
政府転覆も視野に入れているという情報も上がってくる中、危機感を抱いた政府は、宗教弾圧だと気取られないように、ショッカーの解体を秘密裏に遂行することを決定。
ときを同じくしてショッカー内部では、組織の運営をめぐってお家騒動が勃発していた。
人類救済を謳いながら世界征服に邁進する教祖の兄と、行き過ぎた思想に反目する妹。
これ幸いと政府筋は、妹一派との接触に成功。特殊能力には特殊能力をぶつけるのが、人員も予算も少なくて済む。コスパ最高のシナリオを描く。
ショッカーの内部崩壊を見据えつつ、ショッカー解体後の妹一派の処遇は未定のまま、掃討作戦は静かに始動していく…」
1995年に起きた前代未聞のテロ事件のみならず、昨年の元首相の暗殺事件をきっかけに浮き彫りとなった、宗教2世の知られざる実態を紐解くまでもない。
上記のような、骨肉の争い、兄妹喧嘩に巻き込まれる市井の人々は、たまったもんじゃない。 幹部同士で勝手にやってろと言いたい。
人類の行く末を左右するような、ショッカーの壮大な企みも、とどのつまりは家族の問題に収斂していく。
特撮における秘密結社が、世界征服の足がかりに企てる計画は、ことごとくせせこましい。幼稚園バスを襲ったり、子どもを洗脳しようとしたり。
悪事のルーツに思いを馳せると、本作のショッカーにも合点がいくというもの。
ただ、ラスボスとの最終決戦は、どうしてもグダグダ感が拭えなかった。あっさり説得に応じて退場してしまうとは。
緑川ルリ子(浜辺美波)、まさかのラストレターあたりから、失速していった感が否めない。
もちろん愛でる時間は大事。でも、ちょっとサービスしすぎではないのか。
親友のハチオーグが倒され、本郷の胸を借りるシーンも、なんだか女性の描きかたに古臭さを感じてしまった。
“昭和”を免罪符にするな。
リブート作品だからこその、新しい閃きを感じたい。
それでも、物語ラストの1号から2号へ。そして、新1号への流れ。マスクの新解釈とともに唸らされる。
このカタルシスに毎回触れたくて、庵野作品はリピート必至になってしまうのだ。
エンディング、子門真人メドレーを大音量で聴かされながら、あれから50年も経ってしまったのかと、身の毛もよだつ恐怖を感じた。
結果、カピバラオーグとして余生を捧げてもいいくらいの気持ちにさせられる。
1971年放送開始の仮面ライダー、初期のオカルティックな雰囲気は、エンドロールまでしっかり貫かれていた。
『かえってくるライダー』(子門真人)の歌詞に、ヒーローを渇望する自分が投影される。
来る、来る、来る、かえってくる、仮面ライダー♬
どこまでも、“用意周到”。
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