言葉の伝達可能性 韻 リズム 言葉遊び

「また朝が来た。憂鬱だ。もうずっと眠りたい。」と書いても文章としては明晰に伝わるのだけれど、さっき詩を書いた。

朝が来る 太陽が昇る
くるくるくるくる 日が回る
何回も何回も また朝が来る
鳩 クルーポッポ クルーポッポ
朝が来る 
くるくるくるくる 何回も 何回も
朝が狂う
クルーポッポ クルーポッポ
くるくるくるくる
同じ朝
狂う狂う狂う狂う
クルーポッポ クルーポッポ
同じ朝 同じ朝 同じ朝
がくるくるくるくる
繰り返し繰り返し 
狂う狂う狂う狂う
クルーポッポ クルーポッポ
朝が来る

また朝が来る

 自分が快い感じで、一筆書きで書いた。「回転」「くるくる」「クルーポッポ」「狂う」「来る」を反復することで、言葉遊び的ユーモアがあるし、なにより「伝達」できるんじゃないかと思った。
 昔から「レトリック」に興味があって、何冊か本を読んだのだけれど、比喩の話ばかりであまり参考にならなかった。リズムの方が大切だと思う。
 19世紀、20世紀で良くも悪くも一番影響力のあったドイツ人はこれを心得ていた。

人間の空想的側面を愛好するとともに、道徳とは本能的なものだと主張する人々はこう論を進める。「いかなる時代にも人間は効用を至高の神性として崇敬してきたのだとすれば、いったい全体、詩はどこからやってきたのか。語りのこのリズム化は、伝達の平明さを促進するというよりむしろ妨害し、にもかかわらず、一切の有用な合目的性を嘲笑するかのように、地上の至るところで成長し続けてきた」(中略)彼らの言い分がめったに正しくないのは、実際気の毒なほどだ。だが、詩をこの世に誕生させた太古の時代に、人々の眼中にあったのはじつは有用性だったし、しかもそれは非常に大きな有用性であった。(中略)リズムは言いなりになりたい、同調したいという抑えがたい欲望を産みだす。足取りばかりではなく、魂それ自身が、拍子につれて動く。

愉しい学問
フリードリヒ・ニーチェ

 またヒトラーは、プロパガンダについてこう語っているという。

「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である」

 韻、反復、リズムといったものは「軽蔑」されていると感じる。現代詩を少し読んだけれど、全く無視されていた。noteの方の詩を見ても、売れている歌人の短歌を読んでも「センス」「大喜利力」「繊細な表現」が重視されているように感じた。「うまいこと言った人の勝ち」みたいなゲームをしている。
 僕が現代短歌を好かないのは「57577」のリズムを崩す方が「格好がいい」みたいな風潮があるところや、「センス」の一本鎗で勝負しているからだと思う。何も伝わってこないのは、著者の思想や感情が空虚だというのもあると思うが、リズムや韻といったものを「軽蔑」しているからだと思う。僕も気持ちは分かる。自分で詩を書いてみるまで、こんなにリズムが大事だとは思わなかった。そんな「前時代的」なものは、古臭いし捨ててしまって、スタイリッシュに書いた方がいいと思っていた。

 僕はヒップホップが好きなのだけれど、ヒップホップという「自己主張」の音楽で、韻、ライミングが重視されるのは当然だと思った。MCバトルを見ていても、うまいこと韻を踏むとこっちも「アガる」。

 現代詩で好きなのは最果タヒと大森靖子と谷川俊太郎なのだけれど、前者2人は「剥き出しの感情のパンチライン」をひたすら吐き続けることによって、伝達している。だからリズムを無視していても詩として成り立っている。谷川俊太郎はリズムや言葉遊びを重視している。
 「パンチライン型」と「リズム型」があるとして、今詩を書いている人は「パンチライン型」の人間しかいなくなっている。本当にそう思う。パンチライン型は、生まれ持った才能に加えて、絶えず自問自答をする地獄みたいな人生を送らないと不可能であるから、やめたほうがいいとおもう。

 今まで「平明で明晰で分かりやすい文章」を心掛けていたが、詩の方が「伝達」が捗るのではないかと少し思った。僕はやっぱり虚無的な詩が多いのだけれど、自分の詩を見ていても、「ごちゃごちゃ説明するより、こっちのほうが自分の本音なんじゃないか」と感じることがある。

真っ白なキャンバスに
言葉が
空回り
空騒ぎ
立ち騒ぎ
空喜び
空踊り

空っぽ日和
言葉が空転して
空転して空転して空転して空転する
ごろんとひっくり返って 意味は空っぽのまま
言葉はみんな遊んでいるし 笑っている

空回り空回り
楽しい楽しい
言葉の空回り
言葉遊びで
しゃれこうべ
キャンバスに空っぽの言葉で空回りして
空中回転

楽しい楽しい空回り
底抜けの青空 わーっと叫びたくなる
何をやっても空回り
同じとこぐるぐる 一歩も前に進めない
空回り 利回り ひまわり

キャンバス

 僕はずっと「言葉」を読んでいるし、「言葉」を書いているし、「言葉」について考えている。言葉ってなんなのか、全然分からない。「言葉」「存在」「人生」「死」というものは不思議で仕方がないけれど、それらについて考えるためにも、表現するためにも「言葉」は必要になる。
 「言葉」について知るために「詩を書く」というのは、重要な手がかりになる気がする。
 読んだ人が「楽しい」「悲しい」「綺麗」って感じてくれたらとても嬉しいんだけどな。「言葉」の可能性を考えたい。人間って言葉そのものだから

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