日本におけるキリスト教 深い河 遠藤周作

 遠藤周作の「深い河」を読んだ。遠藤周作は好きな作家で、沈黙は映画まで見たし、エッセイも読んだ。深い河は、遠藤周作の宗教観が全て詰まっている著作だった。

 といっても遠藤周作の細かい経歴などはしらない。「沈黙」では、日本に根付いたキリスト教が別の何かに変質してしまうという問題意識があったが、最後までその問題意識が貫かれていたようだ。
 遠藤周作の宗教思想を一言で言うと「神には多数の顔がある」ということになる。ジョンヒックという神学者の著作に「神は多くの名前を持つ」というのがあるが、遠藤周作はこの人に影響を受けたらしい。

 ラーマクリシュナという20世紀の聖人がいるが、全く同じことを言っている。だから、遠藤周作がインドを舞台にした小説でこのことを語るのも当然だと言える。

 インドのガンジス川と女神像の描写は圧巻だった。聖なる河で沐浴をするインド人、遺体の灰を流すインド人、犬の死体が流れるガンジス川、生と聖と死が入り混じる河がある。チャームンダーという女神についてのガイドの説明。

彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのが分かりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍が嚙みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです

 ヨーロッパ人のように「善悪」の二元論で思考するのではなく、悪の中に善が、善の中に悪がある様子が描かれている。

 僕は、日本にキリスト教は根付かないと思う。「正義」「裁き」という観念が欠落している。有名な日本人論に「甘えの構造」というのがあるが、日本版プロテスタントとも云える浄土真宗では、「親に甘え切りなさい」という。なんでも許してくれて、一切裁くことがない母。ヨーロッパでは神は裁く父だが、日本では許す母である。
 もちろんイエスの存在により許す側面も存在するが、「裁き」という観念に日本人は耐えられないらしい。内村鑑三も「万人救済説」という異端を吐いている。遠藤周作も99%の人は天国に行くという異端の説を本に書いていた。
 
 実際のクリスチャンに「信じてない人は地獄に行くのか?」と尋ねると「恐ろしいことだから考えないことにしている」と言われた。欺瞞だと思った。

 ただ、僕はインド人的なカオスが日本にあるとは思えない。甘ったれた忖度、濃密なムラ意識、気色悪い空気の読みあいなど、欧米にない共同体意識が「信じないものは地獄に堕ちる」を拒否していると感じる。「目の前にいるノンクリスチャンの人が地獄に落ちるのは忍びない」という感情があると思う。

 お地蔵さんは日本各地に死ぬほど仏像があるが、お地蔵さんは、地獄の衆生を全員救うまで仏にならないと誓いを立てて、菩薩のまま、独りで地獄を練り歩いているらしい。日本人である僕は、人を地獄に堕とすような神より、お地蔵さんのほうに親しみを覚える。

 日本語ができるアメリカ人とチャットしたことがあるが、その人は「日本人は全くキリスト教を理解していない。クリスチャンでも地獄に堕ちる」と言っていた。そうなのかもしれない。

 死後の世界とか全く分からないな。でも僕は「倶会一処」という阿弥陀経にある言葉が好きだ。一つの所でみんな会う。それが一番いいと思う

勉強したいのでお願いします