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SNS ③21st century Boys&Girls


この記事を読む前に大前提として、子供のスマートフォンには機能をブロックしたり、制限やフィルターを掛けられることを把握した上で記事にしています。そしてそれらは全てをブロックしきれない事や、抜け穴がある事も理解した上で書いておりますので、スマートフォンが何でもかんでも危険だという意見ではありません。
ご了承くださいませ。

読んでくださっているあなたが小学生の頃は、携帯電話をもっていましたか?

私が小学生の頃は、友達との連絡や約束は家の電話で行うのが一般的でした。
そして家の電話で連絡をする為、基本的に双方の親は遊びに行く場所や相手を把握していました。

小学生の頃は判断能力や危機管理能力等色々なスキルが、好奇心に対して付いてこない年頃です。
それが昨今は、早ければ小学校入学のタイミングでスマートフォンを持つ子供もいるというのです。そしてそれは、とても恐ろしい事に感じます。
ましてや、中学生ですらスマートフォンを持つのは時期尚早かと思ってしまいます。

というのも私が携帯電話を初めて持ったのは小学六年生で、まだスマートフォンが無く、いわゆるガラケーが主な時代でした。
そして、機能的にも最低限の機種を買ってもらい、メール、通話以外はほぼ使用しなかったので、面白い画像や好きなアニメの待ち受けを友達と交換したり、唯一無料で出来た、ズーキーパーというゲームが自分の携帯でできる1番の楽しみだったのを覚えています。
そのように、依存するシステムや、娯楽的要素、不特定多数の人と繋がるプラットフォームは今と比べるとかなり少なかったと記憶しています。

買ってもらったきっかけは遠方で習い事を始め、夜が遅い事もあったので連絡をとるためでした。この様に当時は

“必要だから携帯を買ってもらう”
というのが一般的だったと思いますが、現代では
“携帯を持つこと自体が必要になってきている”
のではないでしょうか。又は、そう思ってしまっている親御さんが増えてきているのではないでしょうか。

ですが心配しなくとも、子供は自ら想像し楽しい遊びを自ら創造することが出来ますし、
失敗したとしてもその失敗から危機管理能力を身につけることが出来ます。

子供に「スマートフォンの利便性」は本当に必要でしょうか?

そして成熟しているはずの大人ですらも、

困ったことがあればスマートフォン、暇ならスマートフォン、暇で無くともスマートフォン、約束等のアポイントもスマートフォン、更には好奇心や興味の全てを解消し、新たな好奇心を植え付けたり、兎にも角にも常にスマートフォン

なのにも関わらず、まだ成熟していない判断能力が低い、自制する事も難しく、依存してしまいやすい小学生の子供が持つのは果たして適切なのでしょうか?

そして、仮にスマートフォンを持っていないにしても、NINTENDOのSwitch 等ではネットワークを通して年齢も場所も性別も、何もわからない相手とコミュニケーションを取ることが可能な時代です。
※私が小学生の頃もDSというゲーム機がありましたが、主に面と向かってする「通信」が一般的でした。


また、持っていない子供と持っている子供では
「思考や判断能力、危機管理能力、コミュニケーション能力、察する力」等の差はかなり顕著かと思いますし、
それは100%親御さんの判断によるものです。
言わずもがな、小学生の判断で携帯電話を持つ事は不可能です。それは中学生も然りです。
やむを得ぬ事情があり持つ“必要”がある家庭はまた別ですが。


また、大袈裟ではなく
「持っている」「持っていない」
によって

主に住んでいるのが違うセカイ

になってしまうのでは無いでしょうか。

「スマートフォンの中の世界に住む小学生」

「現実世界に重きを置いている小学生」

とでは恐らく互いが異世界の住人に感じるほど、違う世界かも知れません。
悲しい事にその現象は勿論、イジメや差別、仲間外れに繋がりかねません。

ですが、その一種の同調圧力の様なものに背中を押され、必要性や理由も無いのにスマートフォンを持たせる事は、その可愛い我が子にとって本当にプラスになるのか、仲間はずれを恐れて子供にスマートフォンを持たせる事は果たして賢明なのか。考えてみていただきたいと思うのです。

これまで、依存や思考、危機管理等、「持つ事」のみに焦点を当てて話してきましたが、
これを使用するとなると、まだまだ山の様に問題点や危険性はあります。

幾つか例を挙げると

 ・コミュニケーション能力の大幅な低下
 ・人の気持ちを考えられなくなってしまう
 ・感受性(主に痛みや悲しみ)の低下
 ・面と向かって話す技術の低下
 ・主な情報源としてしまう事
 ・物理的にも、心理的にも視野が狭くなる
 ・想像力創造力の低下
 ・自分の頭で思考ができなくなる
 ・人を悪気無くとも傷つけてしまう可能性
 ・逆に傷つけられてしまう可能性
 ・ゲームや文章を通して人の命を軽率に扱う
  危険性

一方、メリットも考えられますが、デメリットあってこそのメリットが多いのと、明らかにデメリットの方が多く、割には合わないかと思います。




現実の社会でも子供は法律でタトゥーを入れる事ができません。
自己判断ができないというのと 消せない というのが大きな理由です。
“デジタルタトゥー”という言葉がある今の時代に、
小学生や中学生にスマートフォンを持たせる事は
タトゥーマシーン、デジタルタトゥー製造機
を我が子にプレゼントしているのと、同じではないでしょうか?
安全の為や危機管理の為だというなら
防犯ブザー兼GPS兼タトゥーマシーンですが。

更に、親が我が子の事を思って持たせたそのスマートフォンが
皮肉な事にあなたに代わり、

親 

になっているかも知れません。

また、自分が手塩かけて育てた我が子に友人について尋ねた時、「友達なんていらないよ、スマートフォンがあれば」と言われたらどう感じるでしょうか。
「親ガチャ」外れたなどと書かれていたらどう思うでしょうか

人間が発する行動や言動は全て
「知っている」から発される物です。
“知らなくて”良いことも山の様にあると思います。
なぜなら大人は知った上で判断する事が比較的出来ますが、子供は知った事全てを表現して成長する生き物です。
その、知らなくて良いことを知るキッカケを与えているのはスマートフォンで間違いありません。

親ガチャなどというとんでもない言葉が生み出された所以も若年世代のスマートフォンの蔓延にあるのではないでしょうか。


これはガラケーも使い、スマートフォンが普及する全盛期に10代後半から20代を過ごす私が感じている事ですが、
今私が大人の年齢になり、社会に出てから何度も何度も思った事があります。
それは

小中学生の頃、スマートフォンが無くて
本当に本当によかった。

という事です。
持たせない選択をしてくれた両親にとても感謝しています。

もしこれを読んでくださっているスマートフォンを持たせようか悩んでいる親御さんや持たせている事に抵抗を持っている親御さんがいらっしゃいましたら、再考するきっかけになっていただければ幸いです。

読んでくださり、ありがとうございました。



子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。
「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。
「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。
父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
(エペソ人への手紙 6章1-4節)



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