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英語の学習方針

どの科目にも共通する:基本方針

紹介する講義テキスト、参考書、問題集に書いてあることはなるべく全部覚え、各用語の説明や仕組みそのものの説明が自力でできるように、日常に必要な知識原理の暗記のプロセスを入れ込むこと。参考書や問題集はレベル別に提案しているので、不要なことが書いてあるようなものは一切ない。

例外として、総合英語・化学の新研究・社会科の史料集など、私の方から「辞書的に使おう=必要に応じて一部のみを読み込もう」というものもある。ただし最上位レベルを志向するなら、辞書的なものでも、ある程度の時間を割いて全体を通して読み込む必要がある。

文法を学ぶ、ということとその守備範囲について

英語を考える枠組みは、日本語を考える枠組みとは全く異なるので、英文法は必ず学ぶ必要がある、というより、正しく学び直す必要がある。ほとんどの高校生は、「英文法」と称して英語と日本語の対応を覚えるのみに終始している。

ある一部の天才は、英語と日本語の対応情報を圧倒的にインプットした上で抽象化し、単純な一対一対応ではなく言葉の仕組みとして覚えることができるが、これを読んでいる人の99.9%はそんな能力はない。

そのため、これまで学んできてさまざまな形での自負もあろうが、こと英文法に関しては、どのようなレベルにあろうとも、1から、「ことば」を考える枠組みそのものを含めて、英語の基本ルールを学び直すことを要求する。

ある程度レベル差や型式の差はあるが、英文法の全体像を学び直す、という意味では、誰がなんと言おうと「基礎から」である。いきなり入試問題を解いたりはしない。そのようなタイプの参考書を提示され、ショックを受けた難関大志望の浪人生もいようが、その提案にショックを受ける時点で、自分の学力を客観的に測れていないことが判明してしまった。残念ながらそのままやっていては、今年も同じ道を辿るであろう。

動詞は文型によって意味が決まる、というのが英語の基本ルールの1つにあるが、「文型」というものをそもそも気にしていないのが大半の学生である。

目標とする最終到達点によって、最終的に文法・語法問題(4択、並び替えなど)を中心にするのか、最後まで解釈(英文の中でどのような文法が使われているか判別すること)を中心にするかは決まるが、いずれにせよ「まずは読解向きの英文法の考え方」をやってもらう。

リスニングもこの範疇に入るが、英文法を学び直し、読解の基礎を学んでからになる。その後はなるべく毎日リスニング=音を通した英語学習を続けるように指示をしているはずだ。

また、志望大学次第で「作文=アウトプット向きの英文法の考え方」をやることになるだろうが、読解向きの英文法の考え方、を先にやるのは変わらない。4月からいきなり英作文の入試問題を解いたりはしない。

ここまで読んでもらうとわかるが、英語において英文法が不要な範囲は存在しない。読む・書く・聞く・話す全て英文法が土台にある。どれほど嫌だと思っても、諦めて英文法の勉強を始めよう。

チープな自己実現のために勉強をしたいのではないはずだ。英文法の学習は、確固たる英語の力を身につける最初の一歩、そして最後まで続く歩みである。

単語・熟語・重要表現について

英単語、英熟語、どれぐらい覚えたら良いですか?:与えられた単語帳・熟語帳の「全部」が基本。テストをする場合には章立てごとに覚えてもらう。ただし、志望大学に対してちょうど良い頃合いのものがない場合は、書籍の一部範囲のみを指定することもある。とにかく、決めた範囲の語彙に関しては、徹底的に暗記してほしい。

それだけで「足りるか」といった質問が、後半不安になった受験生からよく聞かれるので、(「黙って覚えろ」と内心は思いつつも)あらかじめ答えておく。この「たくさん覚えないと不安問題」には色々な対処の仕方がある。まずは決められた範囲の単語・熟語を覚えていくのだが、

①それを繰り返す中で「接頭辞・接尾辞」「語形変化」などに注目して、応用できる語彙を爆発的に増やしてもらうのを、夏頃に取り組んでもらう。

②読解やら作文やらで「単語帳・熟語帳に掲載されていない表現」や「特定の単語と相性の良い表現」が出てきた場合は、似たような意味の単語のところに派生語として載せておけば済む話である。

このように、見出し語の数よりも「単語の知識の応用の仕方」や、次に続く「相性の良い表現」なども関連させて覚えていかなくてはならず、中盤以降はそちらの方が重要度が増してくる。学習の初期段階において、語彙がある程度増えるまでは、「黙って覚える」しかない。

相性の良い表現や、動詞を中心に言葉の使い方を優先して覚えていく

日本語と同じく、英語にも「相性の良い表現」というのがあり、カタカナ語で「コロケーション」と呼ばれている。これらは、結果としての日本語訳とは別に、相性の良い表現としてカタマリで覚えておく必要がある。

なぜか。「日本語のコロケーションとは発想が全く異なる」からである。例えば、雨が激しく降っている様子を、日本語では「土砂」に例えて「土砂降り」と呼ぶが、英語ではIt’s raining dogs and cats.と書くことがある。なぜ同じ「ある時間内で降る雨の量がとても多い」を示した表現なのに日本語では「土砂」で例え、英語では「犬と猫」で例えるか、そんなことを知りたければ知ればいいが、死生観や宗教観の差で理解できないものもあるため、結局覚えてしまった方が早い(理解できるものは理解した方がいいのは確かだ、それが幸せかどうかは別)。

動詞についても同じことが言える。例えば、動詞growには他動詞の用法があり、皆さん「育てる」と覚えているが、その目的語に来るのは、基本的には「植物」のみで人間が目的語に来ることはほぼない。人を目的語に取る「育てる」はraise, bring up等である。ただし、自動詞grow「育つ」は主語に人が来ることは可能である。

この一例だけでも、なんともややこしく感じられると思うが、別に英語は何も変わってないし、ややこしくなったわけではない。ややこしさの原因は「日本語の論理で英語を考え」ようとすることに慣れきっているから感じることなのである。英語の特徴を理解し覚えていくのが英語の勉強なのだ。要するに文法学習の方針を間違えたツケである。


こうした言葉の使い方については、英語の学習全てを通じて暗記していく必要がある。どんな単語帳、どんな英文法の説明でも例文があるのは、単語それぞれの「使い方」について、詳細に記述することができない著者一同の抵抗である。よく汲み取ってほしい。

こうしたコロケーションは単語帳のみではカバーしきれないことが多いため、総合英語の本であるとか、解釈読解作文などの学習を進めていく中で出会ったものについては単語帳の方へ転記して押さえておきたい。

複数の可能性に気づくか、頭に表現を保持しながら次へ進み、連続した判断ができるか

英語に限った話ではないのだが、こうした「表現」に関わることの基本的姿勢として「複数の可能性について、それをあらかじめ知識として持っておくことと、現場でそれに気づくか」がある。

英語が得意な人、感覚で読んでいる(と言っているが、結果として点数になっている)、という人は、この辺りの言語感覚が鋭く、前から予測しながら読んで行っても、複数の可能性のうち適当な方を、「文法・語法の知識」「話題及びその展開」「意味が確定するまで表現そのものを記憶し判断を保留する」といった判断の枠組みがあるため、一読のみで瞬時に判断できるのだ。

同じく、国語が得意である人は、日本語においてそうした言語感覚が鋭いわけだ。一方で、私を含めて大半の学習者は、そこまで言語感覚が鋭くないため、「予測しながら読む」のは「適当に勘で読む」のとさほど変わらなくなってしまう。そのために、まずは精密に読解を行うことが必要になる。決して、前から言葉の意味や役割を決めつけていくことのないように願いたい。

日本語ですら「手前の表現を覚えておいて後ろで判断する」なんてやってないです、と言われる可能性があるので、例示しておく。後ろを読まないと、聞かないと、意味・役割が決まらない言葉は、英語にも、日本語にもいくらでもある。「私は昨日、安楽軒でカツ丼を食べました、それは…」という短い表現でさえ、「それ」が何を指しているかは、続きを読まなくてはわからないはずだ。「それはお昼頃でした」なら「食べた時間」だし、「それはその店の名物でした」なら「カツ丼」だし、「それは学生の頃よく行っていたお店でした」なら「安楽軒」だ。「それ」を読んだ時点では、「それ」の意味なんか不明なのだ。出口先生の論理ドリルなどやってみれば必ず出てくる話である。英語においてもitをみて「それ」と日本語訳をすぐ決めつけてしまう学習者は多い。日本語でできないことをどうして英語でできると思うのか。君が言語感覚が鋭く、後ろを見て修正できるのなら全く問題ないが、おそらくそうではないだろうし、一度思いついたことを覆すのは、そうした感覚が鈍い人にとってはとても難しいから、やめた方が良い。

まず複数の可能性についての正しい知識=英語の基本ルール=英文法・語法の知識を持ち、それを現場で使いこなすことに終始すべきなのだ。「そうはいっても前から読めないと間に合わないんじゃないですか」とくるだろうが、現代の学生たちは、リスニングで前からそれを実践する機会はいくらでもあるから安心せよ。前から後ろへ、表現を記憶に保持しながら、後ろへ聞きながら、複数の可能性のある表現の意味を確定させていくことは、いくらでも練習できるし、するべきだ。毎日英語の音を意味のあるものとして聞こう。

問題を問題として扱う

さて、英語の基本ルールが重要であることを理解した上で、「では問題はいつ解くのですか」と、結局問題を解くことばかりを気にする人が多いだろうからそのことも話す必要がある。

本格的に問題演習をしていくのは、夏以降、少なくとも7月以降である。それまで一切問題演習を「してはいけない」とは言っていないので、予備校の授業や、学んだことの確認程度の意味で演習するのは問題ない。ただし、「基本問題」のように、誰にでも、適当にやっても解ける問題を、「いいかげんなやり方で」たくさんこなすことは上達につながらない。基本ルールに忠実にやることを徹底してほしい。

では、問題演習をしていく中で意識するべきことは何か。それは「問題を問題として扱う」ということだ。入試問題は、誰かが何かの意図を持って作ったものである。「出題者が何をやらせようとしているのか」を考えずに、問題にあたることは全くの無意味なのだ。

英語であれば、英文法のどの単元の話をしているのか、といったことは常に意識しているはずである。意識してるはずだな?

ところが、どうも単元別の演習ばかりしているせいか、該当問題の単元の項目名を確認する、という程度のことを「単元を特定する」と思っている節があり、それはどう考えてもマヌケがやることである。

そうしておいて、単元名が書かれてない場合には、「知っていることから適当に答える」ということを繰り返すために、本番までに「自力で目の前の問題が要求している単元の知識を判定する」ことができない。そういった練習すらしていないからだ。

本番の入試問題に単元名が丁寧に書いてあるはずもない。そんなことは百も承知で勉強しなくてはいけない。覚えたことをもとに「自力で考える」訓練を積む必要がある。

問題を解くためには、①「単元の特定」が必要であり、そのために②「ある表現を見たときに何を考えるか」という基本ルールを、英文の他は何も見なくても出てくるまで、徹底していなくてはいけない。そしてまた、試験では③「普通とは違うこと」が聞かれやすいために、普通=基本ルールを理解しておかなくてはいけない。要するに「基本ルール=英文法・語法」を土台として試験対策が行われるようでなくてはいけない。基本ルールを基に、問題を解くための「手がかり」を探すのだ。

そしてまた残念ながら、問題を解くという行為を「目の前の問題を読んで「何かを思い出す」」ことだと思っている学生のなんと多いことか。知らない単語、見たこともない話題が本番で出ることなど当たり前なのだ。そうしたときには「思い出せない」ので「お手上げ」となるのだろうか。そんなことでは、自分が想定する以上の大学に受かることなどできやしない。

あらゆる知識・思考の手順を「抽象化」し、多少形が変わろうが「同じことを試してみる」「ダメだったらまた別の手がかりを探す」という柔軟な判断ができるように、普段の学習を強化していく必要がある。

学習の中期以降、こうした「問題に取り組む」姿勢を重視した演習をしていく必要がある。基本ルールの習得をある程度行い、それを復習しつつ、問題に適応していくために基本ルールの運用をしていくのだ。

典型的な問題形式にあたり、その攻略のために必要な思考=問題対策を徹底して行う。量=学習にかける時間も大事だし、質=精読を徹底することも大事だ。どちらも追求する。

終盤では、本番レベル・本番形式の問題に対して初見でどれだけ通用するのかを確かめ、必要に応じて再度復習を行う。常に「同じ手順」で考えられるように、知識や思考法の抽象化を進めていく。ここにくると、盲点を塞ぐための問題をやっていく必要が出てくるが、あくまで基本ルールに基づいて、そこから抜けがちかを覚えるだけで良いため、暗記の負担は随分と減るだろう。

以上、本番で自力で考えるために、問題を問題として扱ってやる必要がお分かりいただけたと思う。英文法という基本ルールの習得なしには、「自力で気づく」など夢のまた夢なのだ。

結局

学習の初期段階においては、英語の表現に関する複数の可能性についての知識=英語の基本ルールを徹底的に習得していくしか道はない。頑張りたまえ。

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