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幻の鳥に出会えた、あの頃。

今思うと私はとてもラッキーでした。
当時(1995年)標本ですが、100年前に絶滅されたという幻の野鳥に
会うことができたからです。
その鳥はカワセミのように綺麗な青い羽根を持つ幻の鳥ミヤコショウビンでした。
100年経ってもその鳥の羽根は青く美しかったです。

幻の鳥ミヤコショウビンの青い羽根

■今年は沖縄復帰50周年

当時、私は民放でニュース番組を作る仕事をしていたので
沖縄には何度も訪れる機会がありました。

今でも覚えているのが、
まだ17歳という若さだった山田優さんのインタビュー。
多分、沖縄復帰25周年という節目の企画かなにかで行ったんだと思います。
17歳という若さなのに自分の言葉で答えるしっかりした娘さんでした。
今は俳優の小栗旬の妻ですね。

そしてもう1人忘れられないのは、
コザで三線のお店を経営していた照屋林助さん。
林助さんは当時とても有名だったりんけんバンド照屋林賢さんのお父さんです。
沖縄を代表する漫談家でもありました。
直接お店を訪ね、直に沖縄の方弁で梅雨明けの歌を生放送できないかお願いしました。
心よく引き受けてくれたのですが、リハーサルで歌詞である方言が全く意味がわからず…急遽、訳したものをテロップで入れることになり、あたふたしたことも、今となってはいい思い出です。

こうして、何度も沖縄の取材をする中で、あの幻の鳥に会うことができたのです。

■幻の鳥に魅せられた人たち

その出会いのきっかけは、宮古島に住む2人のバーダーでした。

親泊宗生さん(当時57歳)
金子 進さん(当時46歳)

宮古島に住む親泊さん。なんでも野鳥の名前を調べながら観察しているうちに
野鳥観察の虜になってしまったそうです。
そんな中で知ったのが、宮古島で発見され絶滅したといわれている、幻の鳥ミヤコショウビン。
「絶滅したと言われているけど、もしかしたら…生息しているかもしれない…だって誰も見たことがないんですから夢を持って探しています」
いつか会いたいと思い、観察を続けているんだそうです。
素敵な絵まで描いていました。さすが!教師。

親泊さんの描いたミヤコショウビン

もうひと方は、朝日新聞社が創刊していた「アサヒグラフ」という写真誌のカメラマン金子進さん。
ミヤコショウビンがきっかけで宮古島に移住してしまったというのです。
当時は宮古島毎日新聞の仕事をしながら、ミヤコショウビンを探しているといいます。
そもそも宮古島は、日本に約550種類いる野鳥のうち、300種類が観察できる
まさに野鳥王国なんです。渡鳥の中継地点ということもあるんだろうけど、なんとも素敵な島だな〜

■もしかしたら絶滅した幻の鳥に会えるかも…


当時、野鳥観察の大変さを全く知らない私は
もしかしたら幻の鳥に会えるかもしれないと思い
取材クルーを引き連れて森に2日間入りました。
今思うと甘いですね(笑)

写真家の金子さんのアドバイスも受け
小さなテントを購入してその中で野鳥が来るのを待ちます。
残暑厳しい9月、テントの中はあっという間に高温に…
人生で1番汗が吹き出たロケでした。

そして鳥待ちをしている時に最大のミスが発覚。
野鳥など撮ったことがないクルーだったので
レンズの長さが足りなくて、野鳥がアップで狙えないのです。

その時でした。
「野鳥はそんなレンズじゃダメだよ。これつけられるでしょ。使ってみなよ」
なんと、近くにいたフリーの映像カメラマンが長玉を貸してくれたのです。
感謝、感謝、感謝の雨あられ!

リュウキュウヒヨドリ
アカハラダカ
リュウキュウメジロ

カメラマン「おお、大きく撮れる。野鳥はこういうレンズを用意しなきゃダメだな…」
若いカメラマンも勉強になったようですが、
それにしても、キー局なのに…恥ずかしい限りでした。

結局2日間、同じ場所にテントを張って幻の鳥を狙ったのですが
撮影できたのは、上記写真の3羽だけ。
宮古島では年間300種類の野鳥に会えるのに、たった3種類だけですよ。
見事な敗北ぶり。でも何事も経験です。この経験をしている私は今や賞観察で全く鳥に会えなくても、落ち込み度が浅いです(笑)
しかし、2日目の帰り道である野鳥に出会えました。

セレベスコノハズク
標準レンズで撮れるほど近くにいました

あまりにも可愛いコノハズクが撮れたので、
この時点で、幻の鳥は撮れなくてもなんとか今回の企画VTRは作れるな…
と、ポジティブな気持ちで宮古島を後にしました。

■幻の鳥に会えたのは奇跡?

帰社してからすぐにミヤコショウビンの標本が保管されている
山階鳥類研究所になんとか標本を見せてもらえないか交渉。

山階鳥類研究所

撮った映像を研究所に寄贈してくれるなら
特別に撮影させてくれるというので、上司に話し許可をもらい撮影が実現。
なんでも、研究所は予算が少ないのできちんと映像に残せないでいたらしい。
何事もタイミング。ラッキーだったなぁ。

■いよいよ幻の鳥にご対面


幻の鳥ミヤコショウビンの標本は、入口から入ってすぐ手前の方に
保存されていました。

引き出しを開けると…
ありました、ありました。
世界でたった一羽だけの標本です

VTRでは、貴重な標本が大事に保管されているように思ってもらえるよう、標本の棚が並ぶ部屋を案内してくれる男性が延々と歩く感じで編集したのですが、実際はすぐだったので、ちょっと部屋の中を歩いてもらいました。ココだけの話です。

ミヤコショウビンの顔
青い羽根
学術書にはありますが…

担当者にお話をたくさんお聞きしました。

 ※ミヤコショウビンについては下記を参照してください。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%93%E3%83%B3

まぁ、お話を聞いた結果、もしかしたらミヤコショウビンは宮古島に生息していたかどうかも疑わしいのでは…という印象を受けました。
担当者は決してそんなことは言いませんでしたが。

ミヤコショウビンに付いているタグ
いろいろな説が…

幻の鳥ミヤコショウビンは、ズアカショウビンの亜種では?グアムからの迷鳥では?いろんな説があるそうです。
1887年(135年前)に標本が採取されたのみで、それ以降、誰もその姿を見た人はいないからです。

もしかしたらこの取材があったからこそ、野鳥好きの今の自分がいるのかもしれません。今振り返るといい経験をさせてもらいました。今回は思い出のいっぱい詰まった宝箱をちょっとだけ開けました。








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