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歳下の男

「お久しぶりです、先日無事に帰国し、本日付でマーケティング推進部に着任しました。」

3歳下の後輩である彼がインドネシアにある支社に赴任してしまってから、もうそんなにも月日が経過し、彼はとうとう戻ってきたのか。私は彼からのチャット通知をクリックすることなく「✖️」で閉じ、30分後に始まる会議の資料に目を戻した。

以前であればちょっとだけにやけてしまったりして、すぐに「おかえり!」なんて返信をしていたであろうか。彼と一緒に働いていたのはもう5年ほど前である。端的に言えば、当時私は彼に惚れていたと思う。惚れていたと言っても、胸が苦しくて恋しくて愛しくて辛いとかそういう類のものではない。私には彼氏がいて、彼にも彼女がいて、その事実についてどうしたいということもなく、ただ自分にないモノを持っている彼に惹かれていた。猪突猛進型の私に対し、彼は常に飄々のらりくらりというタイプ。そして、顔は事実として端正ではないのに、私の好きな色気があった。言葉にはできない、そして敢えてする必要もない、動物的で誤魔化しの聞かない私の嗜好だった。

彼と私は仲の良い先輩後輩関係にあり、お互いの良いところ悪いところを認め合っていた。暑苦しくそれらについて議論したり語り合ったりはしていないが、不思議なバランスで自然に支え合っていたように思う。

彼をインドネシアに送り出す送別会の日。解散後、私はなぜか彼と二人で駅まで歩いていた。理由は覚えていない。他の人たちは一体どこに行ってしまったのか。ただ私たちは二人で歩いていたのである。その時突然、私は初めて猛烈な気恥ずかしさに襲われた。今までにない気まずさに耐えられなくなって、「じゃ、頑張ってね!元気でやってください!奥さんによろしく!」と叫び、自分の地下鉄方面に走り去った。彼の顔は見なかった。理由は覚えていない。その後メトロに揺られながら、お礼LINEが来ていたことだけは確認した。

その後もたまに現地からチャットを送ってきた彼。たわいもない話。子供なんていらないと言っていたのに、赴任中に子供が二人もできていた話。おめでとう。そしてくだらない。私は自分が嫌になってきて、彼とのチャットへの返信も億劫になっていった。

月日は過ぎ、そして今。彼は戻ってきたという事実。会社に行けば、会えるかもしれないという期待と恐れ。幸いにも毎日テレワーク環境のため、簡単に会うことはないだろう。そして月日は自分が思っているよりも強くそして確実に私を変えている。チャットの返信は、明日以降にした方が良さそうだ。



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